忘れられたカスケードシステムの産物




然別-蘭島間に鉄道が開通したのは明治35年。
然別駅もその12月から営業を開始した。
鉱山の発展と共に栄えた元山地区と余市越えの中継地としてかつては市街地が形成されていた。 然別駅

標高30m付近、然別川の中流域から山中を目指す。
正面が標高271mの円山だ。
山の北部(右)が大江然別鉱山、正面が目指す大周鉱山となる。 然別川


ポンシカリベツ川との分岐を超えて直進すると、
やがてゲートがあり、一般車両は通行止めとなる。
グラベルとなって、鉱山跡までは片道4.5kmとなる。 然別林道


標高200m付近の然別川。
11月初旬の山中はいよいよ積雪となりそうだ。
紅葉と積雪が交錯する、この時期ならではの光景だ。 然別川


林道が廃道と化すと、
昭和45年完成の「みずたにはし」を渡る。
柵もなく、簡易な橋梁だ。 探索


紅葉の廃道を進む。
鉱山道路のなれの果てだ。
いよいよ右手に鉱山事務所のはずだが果たして・・・。 紅葉


鉱山事務所付近に到達したが、
そこは辛うじての平場でしかない。
一切の痕跡は無く、笹薮が広がるだけだ。 鉱山事務所"


右岸にサバイバル氏が坑口らしき穴を発見した。
しかし河床まで30m程あり、よく見えない。
ここからはボルダリングよろしく、然別川のレベルを目指す。 硫黄



Fである。
3連並ぶ滝壺の奥にも坑口が見える。
まだまだ高さはあり、更に下降する。 滝壺


ようやく滝壺に到達した。
やはり対岸は坑口で間違いない。
腰まである水位を超えて、坑道を目指す。 坑口



坑口は滝壺の脇の斜面に、
辛うじての穴が開いている。
ほとんど匍匐で入坑することとなる。 2番坑


坑口は狭いが内部は身長以上の高さがある。
しかし羽虫が多く、異臭がある。
恐らくコウモリの糞とカビであろう。 2番坑


乾燥した坑道である。
幅は狭い。
やがて60mほどで掘削が終了し閉鎖となる。 坑道


埋没ヶ所にコウモリである。
一切逃げることなく、じっとしている。
ヤマコウモリかヒナコウモリだろうか。 コウモリ


内部から坑口を望む。
気温は高く、空気は滞留している。
そろそろ外部へ脱出である。 坑口


川下の坑口を目指し、然別川上流を下る。
場所により、深さは膝上まである。
11月の水温は低い。 然別川


そして約200m下った右岸に存在したのが本坑口である。
開口部は上流の坑口より広いが、
それでも屈んでも入れないサイズである。 1番坑


こちらの坑道は水没している。
しかもかなりの深さだが、
内部へ続いている。 水没


膝まで水没した坑道を進む。
足元の汚泥は深く、
底なしのように思える。 坑道


60mほど進むと水かさは少なくなり、
それと同時に坑内分岐である。
左が本坑で右は試掘坑のようで、すぐに行き止まりだ。 分岐


試掘坑の壁や天井は染み出した銅の成分が腐食し、
鮮やかなブルーの緑青となっている。
銅が硫黄や水分と結合した場合は、強酸性の可能性もありその雫などに注意する。 緑青


更に40m程度進む。
こちらはコウモリの気配は無く、
空気も淀んではいない。 配管


その先で掘削は終了している。
かつては熱心な「山師」と呼ばれる探鉱家が、
山野を散策し、鉱山の発見は偶然の産物が多かった。 終点


やがて「山相学」が確立され、無作為な探索は姿を消した。
その後、成因や形態から鉱床学が反映され、
物理探鉱による採算の検討も盛んとなったが、本坑はそれらと無縁だったかもしれない。 坑口







戻る

ボルダリングと
トップページへ

トップページへ