きれいな山の常夜灯
網走支庁管内中央部の生田原町は、
かつて「北海道に生田原という名の金山の村がある」と知れ渡り、
鴻之舞・静狩・珊瑠御車に次ぐ道内第4位の金銀生産量だった。
市街地南方から林道を登る。
地形図では鉱山跡は標高550m付近。
索道の記述もあるので、精錬所はかなり下部かも知れない。
まずは地形図で想定した標高150m付近を探索する。
予想される精錬施設は250m付近にもありそうなので、
下部から50m刻みにローラー探索を進める。
そして標高250m付近で遭遇した山中の巨大施設。
あれはどうみても旧いRC製の廃墟のようだ。
近づいてみよう。
標高50mごとの探索3度目で巨大神殿に到達した。
これは紛れもなく、青化精錬所だ。
おそらくWWW上初公開だと思われる。
精錬所の廃墟は山上に向かって何段にも渡って伸び、
コンクリート色は昭和初期の色合いだ。
大栄鉱山の乾式精錬所より遥かに大きいかもしれない。
左右から巻きながら精錬所を1段づつ登る。
廃止後70年の時はコンクリートをも砕くようだ。
精錬所に纏わりつくように木々が伸びる。
いよいよ本丸に接近する。
円筒の施設も見える。
総幅は100mを超えるようだ。
少しずつ登攀するが全体で6段程度の構成のようだ。
夏場は木々に覆われ、
その躯体をすべて隠すかもしれない。
中段から見下ろすと、
円筒の中には深い水が溜まり、
繰り返す凍結が更に構造物に打撃を与えているかもしれない。
この規模は豊浦町の大岸鉱山より大きいかもしれない。
混汞青化法により土砂鉱と鉱石を混合処理していたようだ。
泥分が多いと沈殿が遅く、その対策もなされていたようだ。
徳星鉱山の精錬所よりは大きくないが、
よくここまで残存したものだ。
アクセスの困難さも到達感を大きくする。
廃墟に生える木々にはヒグマのテリトリーを表す爪痕が・・・。
無人の廃墟を闊歩する野生動物達が居るのだ。
ここはもう彼らの縄張りなのかもしれない。
最上段に到達した。
これを超えると、あとは熊笹の森が広がる。
逆に最下部を探索してみよう。
最下段まで降下した。
付近に積み込み施設や、
索道跡が無いか探索してみる。
ここにもホッパーらしき廃墟が広がっている。
期待した索道の痕跡は発見できなかった。
そして山上の坑口群も今は牧場と化していた。
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