彌生炭鉱跡 探検: 北の細道 彌生鉱業所跡

弥生炭鉱で風薫る





北海道三笠市

  立坑とは地下深部の鉱物を効率よく採掘するために掘った垂直のトンネルのことだ。
その立坑の掘削スピードはどれぐらいのものなのか。
1950年代は月間50〜60mと言われていた。
ところが1960年代には日本でも157m/月という驚異的な掘削スピードに進化した。

しかし世界的水準からみるとこの掘削スピードは決して速いわけではない。
ロシアでは1964年に390.1m/月、チェコスロバキアでも321.9m/月の記録がある。
当時日本の掘削スピードは世界第4位であり、アメリカやヨーロッパ諸国よりも早かった。

この主要因は同時工法によるところが大きい。
立坑を掘削する場合、かつては数回の発破で30〜40mを崩して破砕ズリを搬出。
その後、掘削は一旦中止して周囲の壁の施工(=築壁)を行い、
完成後、仮の足場等を除去して再度発破工程に入りこれを繰り返していた。

築壁時には掘削作業が停止するこの交互方式に対し、
一発破で破砕ズリを搬出しつつ築壁を行う同時工法が、開削スピードの向上に貢献していたのである。

ロシアなどの工法はシールド工法と呼ばれ、
上部で築壁を行いながら、シールドと呼ばれる鋼製の円筒カバーを上部吊足場(スカフォード)から吊り下げて、
囲った中で掘削作業を行う保安上安全な工法である。
シールド工法では一発破ごとに上部で築壁しながら、下部のシールド内で掘削を行う。

シールド工法の欠点としては、シールド自体の巻上機も必要となり開削設備が複雑になること、
使用ロープ本数の増加、初期コストの増加、地質が良く断面の広い立坑でしか使用できないことなどがある。


弥生坑は大正3年(1914)8月に開坑、大正9年 東邦炭鉱 所有となる。
東に奔別 、南に新幌内 、山を隔てて三井美唄 があり、幾春別炭層を上下から採掘していた形となる。

住友石炭鉱業(株)は昭和31年に深部開発と集約合理化のために 立坑 掘削に着手、
昭和35年(1960)6月、立坑設備完成によって
10月に奔別/弥生両坑出炭は本立坑に集約されることとなる。

今回は立坑櫓から2.5q山中の第二坑 排気立坑の探索だ。
坑内の気流を促進する扇風機施設、影の立役者を確認してみよう。

開閉所・扇風機・前曲翼・・・



ローカルファン
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