美唄鉱 廃墟 探検: 北の細道 美唄鉱

美唄鉱で運炭用大幹線を遡る




北海道美唄市

  第一次大戦時の好景気の反動で、
大正9年(1920)以降慢性化した経済不況は、
需要の増加のままに拡張された石炭産業にも大きな打撃を与えた。

光珠炭鉱においても昭和の初めころから苦境にあえぎ、
大資本である美唄炭礦として経営が移ることなった。

標高140mの一の沢と奥沢との分岐点近くに各斜坑の坑底を繋ぐ、
竪入坑道(奥沢通洞)の建設が開始された。
昭和6年には壁面がコンクリートで固められた総延長2,033mの運搬用大幹線が完成し、
大型電車で石炭が搬出されることとなった。

2連の坑口から新選炭機及び積込場までの1,300mにおいても電気軌道が敷かれ、
これをもって坑底から国鉄までが接続されることとなった。



今回のターゲットはこの運炭用大幹線の新選炭機、坑口工場、それに伴う変電所の探索だ。
巨大廃墟の雲に向かってそびえる姿を見ていただこう。







変電所・新選炭機・坑口・・・


廃墟
( ̄u ̄;)廃墟



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