東邦炭鉱 弥生鉱業所跡 探検: 北の細道 弥生炭鉱

弥生炭鉱 やがて人員の昇降に特化する




 地層の間で層状の石炭分布部分を炭層(たんそう)と呼ぶ。
厚さ1mの炭層は約10mの樹木堆積から生成したとされる。
中には数十mに及ぶ炭層もあり、これは古代に樹木が数百mに渡り堆積したこととなる。

炭層の中には純粋に石炭だけが混じるわけではなく、
多くの場合「はさみ」と呼ばれる石炭以外の岩石も混在する。
この「はさみ」部分も含めた1枚の炭層全体の厚さを「山丈(やまたけ)」と言い、
はさみの部分を除いた石炭部分だけの厚さを「炭丈(すみたけ)」と呼ぶ。

つまり純度が高ければ山丈=炭丈となり得るし、
岩石層が多ければ、山丈に対して薄い炭丈となる。


奔別坑は明治13年(1880)に工部省の技師により発見された。
幾多の変遷を経て昭和3年(1928)に住友合資会社に買収されるわけだが、
一時は住友別子鉱山株式会社に合併、奔別鉱業部と改称された時期もあった。

やがて住友内部の金属・石炭部門の分離が昭和25年(1950)に発生し、
石炭部門が独立、住友石炭鉱業株式会社 奔別鉱業所と称されるようになる。


付近の稼行対象となる石炭層は、夕張層及び幾春別層と言われる部分となる。
夕張層は鉱区北部に位置し、主要炭層は2層となる。
この層は山丈が1.55mに対し炭丈が1.454mと非常に純度が高い。

一方主要な幾春別層は12層からなり、5番層の山丈0.930m/炭丈0.900mに対し、
11番層に至っては山丈1.470m/炭丈0.960mと純度が低い層となる。

また付近は 「褶曲地層」地層や板状の岩体が圧縮,変形されて波のように曲がっている構造 となり局所的に複雑な地層となる。
つまり炭層の傾斜が20度から直立まで幾多に変化しており、
その傾斜に合わせた採炭法がとられていた。


今回探索した弥生炭鉱は、明治28年(1895)発見、大正9年(1920)に東邦炭鉱により継承、
やがて昭和27年(1959)には奔別坑に吸収合併される。


鉱床図に残る長距離のエンドレス軌道跡。
付近の浄水施設や排気坑口もターゲットに、
秋の炭鉱跡を歩いてみよう。





エンドレス・排気立坑・浄水場・・・


排気坑口跡
排気坑口跡



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