美唄炭鉱 火薬庫跡 探検: 北の細道 美唄炭鉱 火薬庫跡

美唄炭鉱で火薬庫を見比べる





北海道美唄市

   炭鉱の深部炭層開発に比例し可燃性ガスや炭塵は増加する。
それに伴い火薬などの発破保安が重要視されてきた。
発破保安の確立は単純に炭鉱爆薬の安全度を高めることだけではなく、
ガス検定や発破孔の確立、炭層状況、炭壁注水、旧坑の充填、水幕防爆、岩粉散布など多岐の分野に渡る。

爆薬自身の安全度向上のためには、 安全試験坑道 での破壊試験が有効だ。
周囲には9%程度のメタンを注入し、爆薬の配置を変えて試験を行い、
その際のメタンへの着火の判定は光度計、高速度カメラ、電磁オシログラフなどにより計測判定する。

それら以上に重要視されるのが火薬の保管、雷管などとの火工である。
これらを行うのが火薬庫で、その 規定 は火薬取締法により詳細に統制されている。


美唄炭鉱は大きく二つの財閥による経営がなされていた。
三菱美唄、そして 三井美唄である。
開坑からの履歴を比較するために表にすると以下となる。

  内容   三菱美唄   三井美唄
 開坑  明治27年(1894)  昭和3年(1928)
 買収  大正4年(1915)三菱に  昭和16年(1941)三井に
 ピーク時出炭量  昭和16年(1941)206万t/年  昭和19年(1944)96万t/年
 分離  昭和40年(1965)→美唄炭砿に  なし
 ピーク時従業員数  昭和16年(1941)1,189名  昭和19年(1944)1,791名
 閉山  昭和47年(1973)  昭和38年(1963)

今回は三菱/三井の両炭鉱に残る火薬庫の探索だ。
どちらも鉱区からは大きく離れた位置に存在する。
それらはすべて防爆のためだ。
もしもの爆発時に被害を最小限にとどめる工夫が随所になされている。


冬の晴れ間に炭鉱奥地を目指してみよう。 

土盛り・火工所・火薬庫・・・



火薬庫
火薬庫





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