美唄炭鉱 清水台跡 探検: 北の細道 美唄炭鉱 清水台

美唄炭鉱 清水台で地辷りの爪痕を見る




 昭和44年4月、美唄川左岸にあたる常盤台地区の北一の沢付近で
数回にわたって地すべりの大滑動があり、住宅が壊れ道路や河川が埋没する被害があった。
ある住宅の前庭付近で警戒にあたっていた岩見沢林務署の職員によって地面に亀裂が発見され、
移動観測が続けられていた。

4月16日になって数回の大きな動きがあり、17日の朝までに合計して200万m3 の土砂が移動したとされている。
被害は住宅6戸に及び、地すべりの背後にあった2つのズリ山の脚部が変動地にかかり一部が崩壊・流出した。

美唄川の河床から100m程度高いところに平坦な台地があり、
そこにかつては炭鉱住宅が立ち並んでおり、常盤台・清水台・月見台・旭台という地区が存在した。
その背後には地すべりによる滑落崖の痕跡と考えられる急な岩盤の露出した斜面があり、
平坦面は地すべり活動によってできたものと推測されている。


この地域一帯の地質は古第三系の石狩層群に属する砂岩・泥岩・シルト岩で時に礫岩をはさみ、
そして石炭をはさむ一連の地層であり、褶曲と断層も多い。
美唄川上流付近は地すべり地形が数多く存在しており、
道路開発にあたっても数多くの調査と対策が以前から行われてきたエリアである。

そもそも地すべりとは斜面を構成する物質が斜面下方へ塊の状態で運動する現象のことであり、
日本ではこのうち、規模が大きく速度が遅い現象のことに対して用いられてきた。
また、 「集団移動地形」(マスムーブメント)斜面を構成している岩石,土砂などが,もっぱら重力に引きずられて斜面下方に移動する現象の総称 はおおまかに@落石A崩落B地すべりC土石流の4つに分類され、
地すべりが『地滑り』と漢字表記されないのは、
元来『地辷り』の表記が正しくこれが当用漢字に該当しないためである。



美唄炭鉱 は、明治27年(1894)鉱区設定、大正4年(1915)に三菱合資会社が買収、
昭和23年当時には従業員数8,400名とピークを迎えたにもかかわらず、
やがて昭和40年(1965)には従業員数2,500名を下回り、
昭和48年(1973)に閉山を迎える。

今回探索した清水台地区はひときわ山の上の平坦地に存在した集落で、
かつては段々に積み重なるように炭住が犇めいていたようだが、
今は静かな山中となっている。


今回は @rukaruka_mokamo様より多数の情報を提供いただきました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。
ありがとうございました。




鮮魚店・銭湯・浄化槽・・・


夜景
清水台の夜景



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