屋根のない小屋



まずは三菱美唄炭鉱、常盤台地区から山に入る。
火薬庫までは約2.96km、標高差150mを予定、
一部林道があるがこの時期は雪原を歩くこととなる。 アプローチ


なだらかだが延々登ることとなる。
付近はエゾシカの足跡だらけだが、
スノーブリッジやクレパスには十分注意して歩く。 獣道


やがて大きな平場がある。
火薬庫の設置場所には保安距離という規定があり、
貯蔵量に応じて保安物件からの離れる距離が決められている。 平場


保安物件とは第一種から第四種まであり、
たとえば第一種は学校や病院、国宝建造物などで、
第二種は公園、第三種は家屋、鉄道、第四種が道路や高圧電線などとなる。 廃道


第一種保安物件が最も重要視され、例えば貯蔵量が10tの火薬庫なら、
第一種からは340m離れること、第三種なら170m離れることと
取り決めがなされている。 鹿道


更に進むと奥には自然の地形を割る人為的な直線がある(マウスon赤ライン)。
これは無機質な土盛り、
恐らく火薬庫の周囲を囲う土堤のようだ。 マウスon土盛り


土堤は70m程度とかなりの距離に達している。
土提は屋頂以上の高さと規定があり、
火薬庫が周辺から見通せることは少ない。 土堤


土堤を超えると、
その下部に火薬庫が出現した。
屋根は無く木々に囲まれている。 火薬庫


ブロック壁は厚く、窓は少ない。
規定では壁の厚みは20p以上、
窓の高さは地上から1.7m以上とある。 火薬庫


外扉は耐火扉で熱さ3o以上の鉄板とされ、
鍵は南京錠以外のものと決まっている。
今は脱落しているが、保安のための措置が講じられていたようだ。 扉


実は土提に囲まれ火薬庫は全部で三棟が並んでいる。
右と中央の二棟は同等の大きさ、
左だけが少し小規模だ。 三棟


小規模な建屋は恐らく火工所。
雷管や導火線、遅発雷管などの保管を行ったのだ。
導火線は50qの長さをダイナマイト1tと換算する。 火工所


壁の厚さは三棟とも変わらず厚い。
すべての建屋の屋根が抜けているがこれは火薬庫の特徴で、
もしもの暴発の際に上部に爆風が抜けるよう、屋根は薄く造ってある。 導火線


かわって今度は三井美唄鉱区である南美唄地区から山へ入る。
こちらも車道からは1.5q以上とかなりの山中だ。
火薬庫の目印、土提を探して進む。 三井美唄


火薬庫までのルート上には鋼製の遺構が残存している。
これは恐らく通気関係の末広装置、
排気抵抗を低減する煙突状の機器だ。 マウスon末広装置


谷の間に小さな建屋があり、周りは土提で囲われている。
これが三井美唄炭鉱 火工所だ。
多くの雪をかぶっているが屋根は残存しているようだ。 火工所


火工所の隣には土提を隔てて火薬庫がある。
こちらは合計で二棟。
再び屋根が残っている。 火薬庫


火薬庫はブロック造りではなくRC製だ。
扉も厳重に残っており、残存度は高い。
RC製の壁の場合はその厚さは10p以上と決められている。 火薬庫


火薬庫の裏手には警鳴装置と思われる電源が来ている。
盗難防止や保安のための装置で、
防爆用の配線が敷設されている。 警鳴装置

隣の小さな棟の火工所も火薬庫と同様の扉や配線が処理されている。
表側の配線は内部の照明かもしれないが、
自動遮断器や開閉器は火薬庫外に設けることとなっている。 火工所


換気口は金網張りとし、天井裏から外部に通ずるように両つまに各一個以上を設けることと規定され、
それに沿った施工となっている。
三菱に比較し三井の方が造りが堅牢な印象を受ける。 立坑


総轄すると三菱美唄炭鉱の火薬庫は三棟が並ぶ。
ブロック造りで扉も屋根も脱落。
建設された時代がかなり古いのかもしれない。 三菱美唄


変わって三井美唄炭鉱の火薬庫は二棟、
RC製の堅牢な壁で屋根も扉も残存。
警鳴装置や照明装置の配線も残っている。 三井美唄


火薬庫は選炭場や坑口からも大きく離れた位置に存在し、
その頑丈な造りから残存度も高い。
しかし発見に至るには他の遺構と比較にならない窮状を乗り越えなくてはならない。 火薬庫










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晩冬
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