赤平炭鉱 南排気立坑  探検: 北の細道 南排気立坑

赤平炭鉱 南排気立坑で巨大制御盤を見る


北海道赤平市

  生産効率の悪い中小炭鉱は、大資本を投入した設備で生産効率を上げる大規模炭鉱に対して
「スクラップ&ビルド」として自然淘汰された。

それに対して、昭和30年代には地下350mから上層がすでに枯渇した、
赤平炭鉱のようにその立地と優良炭を背景に読んで字のごとく 「ビルド鉱」として更なる出炭増を迫られた炭鉱もあった。


昭和34年に完成した 赤平第一立抗 は年間出炭能力140万トン、深さ650m、内径6.6m、
閉山の平成6年まで31年間稼働してきた。

2台のゲージ(竪抗内を上下するエレベータ室)自体が4階建てで、
1フロアに18人×4階(計72人)と炭車4台を積載し、驚くべきはその速度。
秒速12m(時速43km)である。
現在の日本最速エレベータが時速45kmなのでほぼ同等ということとなる。


それよりはるか以前、昭和16年10月、二坑と南総排気立坑の着工が開始された。
二坑の掘進速度は17年末から18年初頭までの5か月間で
151.1mと非常に速い掘削を記録している。

南総排気立坑については仕上がり内径6.60mという当時としては大きな内径の立坑で
(奔別6.4m/羽幌6.0m)
深さも415mとかなり深く、立坑内側の壁のライニングは、
坑口にセメントプラントを持ち、練り上げたコンクリートを流し込む方式であった。
櫓の足場は木組みで、必要資材は平和橋付近の傾斜路にレールを敷設して、
台車をホイストで巻き上げて、立坑位置まで運搬したという。

南総排気立坑は位置が非常によく、赤上合併(昭和28年)後の350L以下の深部開発後も
その効果を十分に発揮することとなる。


工費20億円を投入し建造された本立抗の生命線ともいうべき、
排気抗を今回は探索する。
内部の遺構に謎の鉱山名が記載され、それがまた謎を呼ぶこととなった。


排気抗・制御盤・軸流送風機・・・


河野鉱山
( ̄u ̄;)河野鉱山?



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