更新履歴
- 2025年5月4日:歴史小事典に項目追加−
隗囂
−項目数799。
ラスボス公孫述の手前の終盤の中ボス。
紳士で人望があったと言うが戦略眼や定見に欠け、
迷走の挙句惨めな最期を迎えた。
最期まで従った部下は多かったが方望や馬援には見放されているし、
外面が内面を上回る人だったのかも。
- 2025年4月20日:歴史小事典に項目追加−
ケ奉
−項目数798。
寡兵で雲台二十八将相手に善戦し、武力最強を天下に見せつけた驍将。
呂布のような叛服常無きではなく反乱も呉漢のやらかしが原因であったが、
強過ぎ活躍し過ぎ(=被害を与え過ぎ)たため
(劉秀と言うよりその部下に)危険視され処刑されてしまった。
- 2025年4月6日:歴史小事典に項目追加−
彭寵
−項目数797。
劉秀を支援した呉漢の上司。
有能ではあるが人格に問題があって人望に欠け、
そのくせ野心が有り余って身の破滅を招いた。
問題児(だが忠誠心は溢れている)呉漢を取り立てた劉秀も彭寵を従えるのは諦めた位だから
相当やべー奴だったようである。
- 2025年3月23日:歴史小事典に項目追加−
劉楊
−項目数796。
河北で追い詰められていた劉秀を援助したが、
自分も皇帝になろうとして親戚の耿純に処断された人。
本人は劉秀の家臣でないのだから謀反でないと思っていたようだが、
大兵力を擁してのこの行動は認識が甘かったと言われても仕方ないであろう。
ちなみに劉秀が割と優しい(むしろ生け捕りを命じるあたり甘い?)
おかげで息子や姪の郭聖通は連座せずに済んだ
(と言うか劉秀って謀反でも当事者以外に罪の連座をさせない)。
- 2025年3月9日:歴史小事典に項目追加−
王郎
−項目数795。
一大勢力を築き劉秀を危機に陥らせたが実態は有力者劉林に担がれた占い師上がりの一発屋。
見る目のある諸侯からは真の実力を見透かされて距離を取られ、最期は劉秀に打ち破られた。
- 2025年2月23日:歴史小事典に項目追加−
馬援
−項目数794。
光武帝治世後半の名将だが(呉漢ほどではないが)結構な問題児。
名将とされたのは本人の力量もあるが
皇后となった優秀な娘や子孫の馬超のおかげもそこそこあるかもしれない。
まあ馬超も正史では問題児なので最後に劉備配下になった恩恵から
演義で持ち上げられた面もあろうが。
- 2025年2月9日:歴史小事典に項目追加−
来歙
−項目数793。
皇帝の親戚であったため雲台に入らなかったと言われる名臣。
最初の任務は外交使者で戦いになるといきなり雲台の大物すら従える司令官に抜擢されたが
苦戦はあったものの問題を起こすこともなく見事に任をこなした。
正史の劉備や夏侯惇のような統率に長けた名将だったようである。
- 2025年1月26日:歴史小事典に項目追加−
馮異
−項目数792。
雲台二十八将第七位、主君にも父子に例えられた信頼篤い名将。
ついでに降伏した元敵兵にまで慕われた大樹将軍。
おまけに戦場ではその智謀と采配で圧倒的強さを発揮して
ケ禹の敗残兵をまとめて赤眉軍相手に大勝という離れ業までしてみせた。
弱点は高齢故の寿命(と流石に前線で武器を振るうのは厳しいこと)くらいだろうか。
- 2025年1月12日:歴史小事典に項目追加−
岑彭
−項目数791。
雲台二十八将第六位、不器用ながらも仁義に篤い名将。
不器用さと敵に暗殺されたためか武廟六十四将には入らなかったが、
人望と公孫述に「神業」と言わしめた用兵で十分に名将の条件を満たしていると思うのだ。
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