更新履歴(2022年)
- 2022年12月18日:歴史小事典に項目追加−
普墺戦争
−項目数736。
これでオーストリアとプロイセンの力関係の逆転が明らかになった。
- 2022年12月11日:作者名義を「シムや」に変更。
いつまでも本名を晒すのは問題なので。
- 2022年12月4日:歴史小事典に項目追加−
汎スカンディナヴィア主義
−項目数735。
北欧統一の夢はプロイセンの軍事力と自国も含めた冷徹な政治力学の前に破れた。
- 2022年11月20日:歴史小事典に項目追加−
第2次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争
−項目数734。
ドイツ統一、そして参謀本部躍進の端緒となった戦争。
- 2022年11月6日:歴史小事典に項目追加−
第1次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争
−項目数733。
列強の干渉で白紙講和するもののドイツ系住民の不満は収まらず、
後に第2次戦争を引き起こすことに。
- 2022年10月23日:歴史小事典に項目追加−
鉄血演説
−項目数732。
この演説のインパクトのため強硬派と見られがちなビスマルクだが、
本質は冷徹な現実主義者。だから最後に勝てた。
- 2022年10月9日:歴史小事典に項目追加−
エドヴィン=フォン=マントイフェル
−項目数731。
野心家でそこそこ有能ではあるが保守反動に邁進し過ぎてビスマルクに嫌われ中央から追われた。
結果新生ドイツ帝国軍は正反対な性格かつマントイフェル以上に有能なモルトケに率いられることに。
- 2022年9月25日:歴史小事典に項目追加−
大モルトケ
−項目数730。
近代の軍人だけど武張っていなくて大局を見据える軍師っぽい人。
創設者のシャルンホルストもそうだが参謀本部は地味な仕事師の方がいい仕事をするように思える。
- 2022年9月11日:歴史小事典に項目追加−
ユンカー
−項目数729。
かなり前近代的な制度だが、有能な政治家や軍人を輩出したのも事実である。
- 2022年8月28日:歴史小事典に項目追加−
アルブレヒト=フォン=ローン
−項目数728。
三傑の中で一番格上なのに評価が低い。
有能な裏方であるが、自らの能力を超えて作戦に口出ししたり
軍政以外の政治に手を出してしまったことで評価を下げてしまった。
- 2022年8月14日:歴史小事典に項目追加−
オットー=フォン=ビスマルク
−項目数727。
元強硬保守派政治家だけど実際には現実主義な三傑筆頭。
悉く対立してクビに追い込んだヴィリーが(第1次大戦を)
やらかして欧州の平和を築いたビスマルクの有能さを噛み締めることになった。
- 2022年7月31日:歴史小事典に項目追加−
オーストリア帝国
−項目数726。
国内にバルカン諸民族を抱えた病める老大国。
国内治安もさることながら産業革命に乗っかれず工業力・経済力が伸びなかったことが
後々まで続く痛手となった。
- 2022年7月17日:歴史小事典に項目追加−
大ドイツ主義・小ドイツ主義
−項目数725。
ドイツ統一方針を巡る論争。
史実ではプロイセン主導で小ドイツ主義での統一が実現したが、
大ドイツ主義をやろうとしても
老大国オーストリアにドイツを主導する余力があるとは思えず失敗したんじゃなかろうか。
- 2022年7月3日:歴史小事典に項目追加−
プロイセン王国
−項目数724。
プロイセンの名前の由来はドイツの中心とは言い難いバルト海沿いの地方名。
と言うか今はポーランド・リトアニア、ついでにロシアの飛び地。
ブランデンブルク選帝侯よりプロイセン公が肩書は格上だったため「プロイセン」を名乗ったが、
この辺り南フランス・北イタリア中心なのにサルデーニャ王国を名乗ったのと似たような事情か。
- 2022年6月19日:歴史小事典に項目追加−
イタリア王国
−項目数723。
戦争ではヘタリアと揶揄されるイタリアだが、外交的には結構強かであった。
・・・最後のファシスト政権を除いて。
- 2022年6月5日:歴史小事典に項目追加−
未回収のイタリア
−項目数722。
これも数多ある国境問題の一つだが、ヨーロッパは日本以上に歴史的経緯がややこしく厄介である。
- 2022年5月22日:歴史小事典に項目追加−
ローマ占領
−項目数721。
またもプロイセン様のお力で悲願を達成したイタリア。
- 2022年5月8日:歴史小事典に項目追加−
第3次イタリア独立戦争
−項目数720。
この頃から(ガリバルディ義勇兵を除いて)イタリア王国はヘタリアであったが、
プロイセン様のおかげでしれっと戦勝国側に立てた。
第1次大戦もそうだが外交的にはなかなかチャッカリしてる。
- 2022年4月24日:歴史小事典に項目追加−
プロンビエールの密約
−項目数719。
- 2022年4月10日:歴史小事典に項目追加−
第2次イタリア独立戦争
−項目数718。
イタリア版天下分け目の合戦。
首相カヴールが辞任しちゃうくらいサルデーニャにとって中途半端で不満の残る戦果だったが、
ロンバルディア獲得がイタリア統一の足掛かりになったのだから十分成功だったと言えるだろう。
- 2022年3月27日:歴史小事典に項目追加−
ローマ共和国
−項目数717。
共和国は2つあったが何れも儚い理想であった。
そしてどちらもフランス(というかナポレオン)に振り回され潰れとる。
- 2022年3月13日:歴史小事典に項目追加−
ジュゼッペ=ガリバルディ
−項目数716。
最後の「三傑」はもう一人のジュゼッペ。
政治的定見には欠けるが時にイタリア王国に攻撃されながらも
私情よりイタリア統一を優先させたのは評価されるべき。
- 2022年2月27日:歴史小事典に項目追加−
カミッロ=カヴール
−項目数715。
上司や他の「三傑」には愛されなかったがイタリア統一最大の功労者。
やはり政治家としてリアリストは強い。
- 2022年2月13日:歴史小事典に項目追加−
ジュゼッペ=マッツィーニ
−項目数714。
共和政の理想に拘り続けたため現実のイタリア統一に関与できなかった人。
あくまで革命思想家であって現実を動かす政治家では無かった。
- 2022年1月30日:歴史小事典に項目追加−
サルデーニャ王国
−項目数713。
イタリア王国の母体ではあるが発祥は南フランス。
本拠地の移動後旧領を手放すのはヨーロッパではよくあることです。
- 2022年1月16日:歴史小事典に項目追加−
クリミア戦争
−項目数712。
ナイチンゲール等で有名だけどグダグダで終わり野望剥き出しの帝国主義時代の幕開けとなった虚しき戦争。
フルボッコロシアだけでなく参戦者誰も得しなかったが一番割を食ったのは
参加し損ねて総スカンとなったオーストリアかもしれん。
- 2022年1月2日:歴史小事典に項目追加−
フランス第二帝政
−項目数711。
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