プランクの法則

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現代物理学のメインテーマの1つである「量子力学」。

その発端となった“量子”という概念は、どのようにして生まれたのでしょうか?

「色と温度の関係」を研究していった結果、誕生したようです。



19世紀の終わり、ヨーロッパ諸国の中で最も躍進したのは、プロイセン王国(現ドイツ)でした。

“鉄血宰相”の異名をとるオットー・ビスマルク(1815−1898)が、

1862年にプロイセン王国の首相になり、武力政策を推し進めていました。

ナポレオン3世(ナポレオン・ボナパルトの甥)が率いるフランス軍と戦った

「普仏戦争」に勝利したのが1871年。

この勝利により、プロイセンは多額の償金とアルザス・ロレーヌ地方を獲得したのです。



アルザス・ロレーヌ地方は豊かな産鉄地帯であり、製鉄・鉄鋼の冶金工業が急速に発達していきました。

冶金工業では、熔解・鍛練・焼入などの工程において、温度管理が重要です。

それまで職人が色を見て、経験則から判断していた炎の温度についての、

より正確・精密な追求が熱輻射の研究を加速させました。

そして1900年、ドイツの物理学者マックス・プランク(1858−1947)が、

「プランクの法則」を発見し、「量子」という概念が誕生しました。



(※)事前に、「ステファン・ボルツマンの法則」について学んでおくと良いです。→ こちら

   また、併せて「ウィーンの変位則」について学んでおくと良いです。→ こちら

(01)
プロイセン(現ドイツ)・・・19世紀末、ヨーロッパで最も躍進した国です。

(02)
オットー・ビスマルク(1815−1898)・・・“鉄血宰相”と呼ばれる武力政策推進者。

(03)
普仏戦争・・・1871年、プロイセンがフランスに勝ちました。

(04)
アルザス・ロレーヌ地方・・・“戦利品”として、鉄鉱石豊富な地域を獲得しました。

(05)
冶金工業の発達・・・武器をつくるため、製鉄業などが急速に発達しました。

(06)
温度管理・・・熔解、鍛錬、焼入などの工程において、温度管理が重要です。

(07)
色と温度・・・当時の職人は、炎の色を見て、温度管理をしていました。

(08)
熱輻射の研究・・・より正確、精密な温度管理を目指し、国立理工学研究所が設立されました。

(09)
ヘルマン・ヘルムホルツ(1821−1894)・・・国立理工学研究所の初代総長です。

(10)
マックス・プランク(1858−1947)・・・“量子論の父”と呼ばれています。

(11)
プランクの法則・・・エネルギー値は、連続的なものでなく、離散的なものです。

(12)
プランクの法則を微分すると・・・「ウィーンの変位則」が出てきます。

(13)
プランクの法則を積分すると・・・「ステファン・ボルツマンの法則」が出てきます。



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