滝の川の水源は、近郊にある六つの溜め井であると言われ、「片倉うさぎやま公園」内にある池の湧き水が、その内の一つです。現在では、支流の反町川も含めた、ほとんどの部分が暗渠化され、三ツ沢せせらぎ緑道・六角橋緑の小径・滝の川せせらぎ緑道に姿を変えながら横浜市民に親しまれています。でも、昔は本牧の千代崎川、保土ヶ谷の帷子川と並んで横浜の三大悪川といわれ昭和6年(1931年)の区画整理で改修されるまでは毎年秋の出水期になると必ず東神奈川うら、平川町、二ツ谷、反町付近一帯は洪水に見舞われ田畑や民家などが水浸しとなったそうです。この「滝の川」はかつて権現〔ごんげん〕山(戦国時代に上杉氏と北条氏の合戦になった場所で、山の名はその後熊野権現が建立されたことにちなんで名前が付けられました。本覚寺の高台、そして高島台へと尾根が続いていたそうですが、神奈川台場の建設の際に土砂を得るため、かなり掘り崩されました。現在の幸ヶ谷公園周辺) の山上からひとすじの滝が流れ落ち、滝川となってこの川に注いでいたそうです。このため、この川を「滝の川」というようになりました。その滝つぼには、数百年も生きているカッパがいたといわれています。(片倉うさぎやま公園内の水源池にいく場合は「酒のつかさ」の駐車場(公園利用者は駐車するな、タイヤロックしますと警告看板がでています)ではなく「TUTAYA」の駐車場が近いです。(汲むこと、飲むことは出来ません)
《民話「滝の川のカッパ」》
かつて権現山の山上からひとすじの滝が流れ落ち、滝川となってこの川に注いでいました。このため、この川を「滝の川」というようになりました。その滝つぼには、数百年も生きているカッパがいたといわれています。滝つぼの主であったカッパは、近くの東海道に出かけては旅人にいたずらをしたり、馬から荷物を奪っては馬子を困らせていました。ある日、神奈川宿に住んでいた剣術使いの浪人がそのカッパをつかまえると、カッパは涙を流しながら「わたしには夫がいましたが、去年、大蛇に決闘を挑まれ、殺されてしまいました。残された二人の子どもを養うために、悪いこととは知りながら人間に迷惑をかけていました」との打ち明け話。「今後二度と悪いことはしないので命だけは助けてください。先ほどの話がうそではない証拠に、命の次に大切なものを今夜差し上げましょう」と手をあわせて懇願するので、浪人も同情して許すことにしました。そしてその夜、浪人宅に昼間約束したカッパの夫のサラが投げ込まれました。カッパがくれたのはサラではなくカッパの頭だったという言い伝えもあります。
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由来・歴史
滝の川水源(横浜市神奈川区)
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