年代 | ヤナーチェクの生涯 | 音楽・社会・文化 |
1854 (0歳) |
レオシュ・オイゲン・ヤナーチェク,モラヴィア北部の村,フクヴァルディに誕生(7月3日)。父は,フクヴァルディの教師イジー・ヤナーチェク。母はアマリエ。第十子。 | 英仏がクリミア戦争に参戦。安政和親条約。 |
1860 (6歳) |
マーラー,ミュシャ生。 | |
1865 (11歳) |
フクヴァルディを離れブルノ市内のアウグスティノ会修道院の少年聖歌隊員となる。 聖歌隊指揮者パヴェル・クルジージュコフスキーの指導を受ける。ヤナーチェクの父は彼の恩人にあたる。 |
シベリウス,グラズノフ生。 |
1866 (12歳) |
父イジー死去。叔父ヤンが後見人となる。 | 普墺戦争でプロイセン勝利。 スメタナ「売られた花嫁」初演。 |
1867 (13歳) |
オーストリア=ハンガリー二重帝国の成立。スメタナ「ダリボル」初演。パリ万国博覧会。 | |
1868 (14歳) |
明治元年。ロッシーニ没。 | |
1869 (15歳) |
ブルノ帝国王立師範学校教員養成科(3年制)に入学。 | スエズ運河開通。アメリカ大陸横断鉄道完成。 ベルリオーズ没。 |
1872 (18歳) |
教科課程修了。2年間の実習開始。アウグスティノ会修道院の聖歌隊副指揮者に就任。 | 三帝ベルリン会同。 |
1873 (19歳) |
アマチュア男声合唱団体,スヴァトプルク合唱協会の指揮者に就任。 無伴奏男声合唱曲「耕作」「はかない愛」。 |
三帝同盟(独・墺・露)成立。 ウィーン万国博覧会。 レーガー,ラフマニノフ生。 |
1874 (20歳) |
師範学校卒業。地理と歴史の教員免許を取得。音楽の免許を取るため師範学校の許可を得てプラハ・オルガン学校に一年間の短期留学。プラハで13歳年上のドヴォルジャークと出会う。 | シェーンベルク,スーク生。ムソルグスキー「ボリス・ゴドノフ」初演。 |
1875 (21歳) |
ブルノ帝国王立師範学校の臨時教員となる。ブルノ・ベセダ(文化協会)の合唱指揮者に就任。 | ラヴェル,リルケ,マン生。ビゼー没。 |
1876 (22歳) |
無伴奏男声合唱曲「まことの愛」「沈んだ花輪」,メロドラマ「死」(紛失)。 | ワーグナー「ニーベルングの指輪」初演。ベル電話機発明。 |
1877 (23歳) |
後に妻となるズデンカにピアノを教え始める。 弦楽合奏のための組曲。 |
エジソン蓄音機発明。 露土戦争。西南の役。 |
1879 (25歳) |
ライプツィヒの音楽院に短期留学(5ヶ月間)。 ピアノ曲「ドゥムカ」「主題と変奏」。 |
チェコ国民劇場の開設。 (開設後まもなく焼失。) |
1880 (26歳) |
ウィーンの公開コンクールに「ヴァイオリン・ソナタ」を出品,落選。モラヴィア教会音楽促進協会創立。 | チェコ人の要求をいれ,ボヘミア・モラヴィア両州に言語令発布。 |
1881 (27歳) |
上司にあたる師範学校長エミリアン・シュルツの娘,ズデンカ(16歳)と結婚。 | バルトーク生。ムソルグスキー,ドストエフスキー没。 |
1882 (28歳) |
長女オルガ誕生。ズデンカと別居。ブルノ・オルガン学校創設。ブルノ・ベセダに若い歌手とヴァイオリニストのための学校を創設。 | 独・墺・伊三国同盟結成。 ストラヴィンスキー,コダーイ生。ベルリン・フィル創立。 |
1883 (29歳) |
ドヴォジャークと南ボヘミア旅行。 | カフカ,ハシェク生。 チェコ国民劇場の再建。 |
1884 (30歳) |
雑誌「音楽手帖」を編集長として創刊,編集。母アマーリエ死去。妻ズデンカと和解,別居解消。 | ブルノのチェコ・オペラ劇場開設。スメタナ没。M.ブロート生。 |
1885 (31歳) |
混声合唱曲「野がも」。 | ベルク生。 |
1887 (33歳) |
歌劇「シャールカ」第1稿完成,ドヴォジャークの助言を入れ改稿。民族学者フランティシェク・バルトシュとの交友始まる。ブルノ・ベセダの音楽学校にピアノ科を開講。 | ヴェルディ「オテロ」初演。 |
1888 (34歳) |
長男ヴラディミール誕生。「シャールカ」第2稿完成。 バルトシュとの民謡採取の協同研究開始。 |
ウィルヘルム二世即位。 |
1889 (35歳) |
ブルノ・ベセダとの関係悪化,合唱団および学校を辞職。 | 大日本帝国憲法発布。 |
1890 (36歳) |
長男ヴラジミール狸紅熱で死亡。 「モラビア民謡の花束」,「ヴァラキア舞曲」等編纂。 |
チャペック,マルチヌー生。 フランク没。パリで浮世絵展。 |
1891 (37歳) |
バレー「ラーコーシ・ラーコーツィ」,管弦楽曲「ラシュスコ舞曲」,歌劇「物語の始まり」。 | プロコフィエフ生。 露仏同盟。 |
1894 (40歳) |
歌劇「物語の始まり」ブルノにて初演。 歌劇「イェヌーファ」に着手。序曲「嫉妬」。 |
ドレフュス事件。日清戦争。マルクス「資本論」。 |
1895 (41歳) |
プラハ民俗学博覧会へ参加。 | ヒンデミット生。 |
1896 (42歳) |
ロシア旅行。 | ブルックナー没。第1回国際オリンピック大会開催。 |
1897 (43歳) |
論文「和声とその結合の作曲について」を発表。ロシア愛好者協会創立。 カンタータ「アマールス」。 |
墺,バデーニ内閣,チェコ語を公用語と認める新言語令提示により辞職。チェコ人とドイツ人の対立激化。 |
1898 (44歳) |
「フクヴァルディ民俗詩」。 |
マーラーVPO指揮者に就任。ビスマルク没。 |
1901 (47歳) |
「主の祈り」,「モラヴィア民謡新集成」 | ヴェルディ没。 オーストラリア連邦成立。 |
1903 (49歳) |
歌劇「イェヌーファ」完成。 長女オルガ腸チフスで死亡。 |
ヴォルフ,ゴーギャン没。 |
1904 (50歳) |
「イェヌーファ」ブルノ初演。オペラ「運命」完成。 ワルシャワ音楽院院長への就任依頼を断る。師範学校退職。 |
ドボルジャーク没。日露戦争。 |
1905 (51歳) |
チェコ民謡収集委員会議長に就任。 ピアノ・ソナタ「1905年10月1日,街頭で」。 |
ブルノでチェコ人のための大学設立要求デモ。 |
1906 (52歳) |
男声合唱曲「ハルファル先生」。 | 墺,男子普通選挙法。 |
1907 (53歳) |
男声合唱曲「マリチカ・マグドーノヴァ」。 | グリーグ没。 |
1908 (54歳) |
歌劇「ブロウチェク氏の旅行」着手。 ピアノ曲集「草陰の小径にて」第1集。 |
墺,ボスニア・ヘルツェゴビナ併合。メシアン生。 |
1909 (55歳) |
ブルノ芸術愛好者クラブ会長就任(〜1911)。 男声合唱曲「七万」。 |
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1910 (56歳) |
転居(ブルノ中心街そばスメタノヴァ通りの現ヤナーチェク記念館へ)。 「おとぎ話」,「プレスト」。 |
日韓併合。 |
1911 (57歳) |
マーラー没。 | |
1912 (58歳) |
「和声全書」執筆。ピアノ曲「霧の中で」,「ヴァイオリン弾きの子供」。 | 大正元年。ケージ生。 |
1914 (60歳) |
「ヴァイオリン・ソナタ第3番」。 | 第1次世界大戦勃発。 |
1916 (62歳) |
「イェヌーファ」プラハ初演。 女声合唱曲「カシュパル・ルツキー」,「フラッチャニの歌」。 |
マサリク,パリに「チェコスロバキア国民会議」を創設。 カフカ「変身」。夏目漱石没。 |
1917 (63歳) |
カミラ・シュテスロヴァー(25歳)と出会う。 歌劇「ブロウチェク氏の旅行」。 |
ロシア3月革命。 |
1918 (64歳) |
交響詩「タラス・ブーリバ」。 | 第1次世界大戦終わる。マサリク,チェコスロバキア共和国独立宣言。ポーランド共和国成立。ドビュッシー没。 |
1919 (65歳) |
「イェヌーファ」ウィーン,ケルン初演。ブルノ・オルガン学校が音楽院に昇格。 連作歌曲「消えた男の日記」。 |
ヴェルサイユ条約調印。 |
1920 (66歳) |
歌劇「ブロウチェク氏の旅行」プラハにて初演。 交響詩「ブラニークのバラード」。 |
国際連盟発足。ハンガリー王国成立。チャペック戯曲「ロボット」。 |
1921 (67歳) |
フクヴァルディに家を購入。 歌劇「カーチャ・カバノヴァー」。 |
サン=サーンス没。 |
1922 (68歳) |
男声合唱曲「さまよえる狂人」。 | ソビエト連邦発足。 |
1923 (69歳) |
弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」,歌劇「利口な女狐の物語」 | 関東大震災。 |
1924 (70歳) |
「イェヌーファ」ニューヨーク初演。 木管六重奏「青春」。 |
カフカ,プッチーニ,フォーレ没。 |
1925 (71歳) |
ブルノ大学より名誉哲学博士号を贈呈される。 ヴェネチィア旅行。歌劇「シャールカ」ブルノ初演。 歌劇「マクロプロスの秘事」「コンチェルティーノ」。 |
ロカルノ条約。サティ没。 |
1926 (72歳) |
イギリス訪問。「ブロウチェク氏の旅行」ブルノ初演。フクヴァルディでの祝賀会。「グラゴル・ミサ」,「シンフォニエッタ」,「カプリッチョ」。 | 独,国際連盟加盟。 昭和元年。リルケ没。 |
1927 (73歳) |
ベルリン・プロシャ芸術アカデミー会員に指名。ベルギー王レオポルドより勲章を下賜。フランクフルト国際現代音楽協会音楽祭参加。 歌劇「死者の家から」,「わらべ歌」。 |
ホフマンスタール没。 |
1928 (74歳) |
弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」。 8月12日,肺炎のためオストラヴァのサナトリウムにて没。 |
シュトックハウゼン生。 |