主政・主帳小考ーその職務遂行と、在地における存在形態ー


(目次)
T はじめにー本稿の課題・意義・手法ー
U 「基本的紐帯」の析出(1)ー任用基準制度の検討ー
V 「基本的紐帯」の析出(2)−「試練」の検討ー
W 結び



〔T はじめにー本稿の課題・意義・手法ー〕
1.本稿の課題とその意義

 本稿では、郡司の中の三等官・四等官である主政・主政を取り上げる。具体的には

(@)主政・主帳の職務遂行の基本的根拠

について検討し、さらに

(A)主政・主帳に任用される首長層*1)の、在地社会における存在形態

について、一定の知見を提示することを課題とする。ただし、ここでは令制における、これらの課題を中心とする。
 この課題設定の意義は次のとおりである。
 そもそも、先行学説において、主政・主帳の問題は等閑視されているといってよい。
 例えば、(@)の問題に直接、関わるのは郡制・郡司制研究であるが、研究は郡領に集中している観があり*2)、主政・主帳について、特に検討した学説は見られない。これは、職員令74大郡条*3)において、郡内統括の権限は郡領のみに与えられ、郡制・郡司制の具体的運営においても、(1)終身官、(2)戸口増益による昇進などの点で、郡領と主政・主帳との間で明確な区別が確認される*4)ためと思われる。
 また、(A)の問題に直接、関わるのは生産関係・共同体論であるが、この際、留意すべきは、主政・主帳には、郡の構成員に対する支配の上で、郡領に任用される在地首長層よりも下位のレベルの首長層が任用されたと考えられることである。この点は、前記の職務権限などに見られる郡領との区別から明らかと思われる。
 とすれば、関連するのは村落首長制論である。村落首長制は、律令制国家成立の内的動因を把握するために、吉田晶によって提起された概念であるが*5)、当該期の共同体の支配者であり、在地首長層の下位にあって、その支配の矛盾を表明する存在とされる。
 この村落首長の律令制国家における編成については、従来から議論の対象となってきた。吉田は、律令制国家は郡雑任として彼らを編成したとし、彼らの編成が郡司の重要な機能であったとする*6)。吉田の提起を受けて、里長として彼らが編成されたとの見解も提起されている*7)。これに対し、大町健は、郡雑任・里長は村落首長の支配の制度化ではないとして、かかる形での彼らの編成を否定した。さらに、国家の社会編成を端的に示す身分制において、村落首長が、「官人」ではなく「百姓」として、共同体成員と同様に編成されていることから、彼らは律令制国家機構に編成された存在ではなく、統治対象であるとする*8)。これは、律令制国家が村落首長の私富追求を抑止する第三権力であるとする、第三権力論の基本的根拠の一つとなっている。
 これらの議論においても、首長層について、特に検討されているわけではない。
 しかしながら、郡制・郡司制研究、生産関係・共同体論においても、主政・主帳の問題を看過してよいとは思われない。
 例えば、前者についていえば、まず、郡制とは郡領のみならず主政・主帳を含む四等官制によって運営されるのが基本であり、郡司制とはかかる四等官すべてを指すという当たり前の事実を踏まえる必要がある。そして、それはそれはクニ制・国造制はもちろんのこと、評制・評造制とも異なる郡制・郡司制の独自の特質であった可能性が高いといえる*9)。とすれば、主政・主帳が、郡制・郡司制による民衆支配において、いかなる機能を有していたかといった問題を捨象して、郡制・郡司制の特質を捉えうるとは思われない。
 また、(A)で述べた村落首長制論についても、主政・主帳に在地首長層よりも下位のレベルの首長層が任用されるとすれば、彼らが村落首長とどう関わるのか、村落首長と見なすべきか、あるいは在地首長層と見なすべきかといった点は、問題といえる。
 以上のように、主政・主帳及びそれに任用される首長層の問題は、郡制・郡司制研究、生産関係・共同体論においても不可欠といえる。
 (@)の職務遂行の基本的根拠の問題は、そのまま主政・主帳の職務遂行のあり方を示し、その民衆支配における機能の問題につながる。例えば、郡領の職務遂行の基本的根拠はー後述の人格的身分的結合関係の特質からもー系譜と考えられ*10)、これは郡領としての職務遂行は、ある系譜に属するという人格を根拠とする、郡の構成員に対する人格的支配に基づくことを示す。この点を欠いて、郡領の民衆支配における機能を把握することは不可能である。主政・主帳の職務については、職員令74大郡条に後述のような規定があるが、それがいかなる根拠に基づいて行なわれるかは、郡領同様、かかる規定に留まらない主政・主帳の民衆支配における機能につながるといえる。
 また、(A)の首長層の存在形態も、村落首長制とのかかわりを考える上で不可欠であり、前記のような村落首長制論の状況からすると、とりわけ在地首長層との異同が重要となる。
 とすれば、この二つの課題の検討は、現在の研究状況において、重要な意義を有しているといってよいであろう。
2.本稿の手法
(1)本稿の手法
 本稿では、以上の(@)(A)の課題に、首長層と天皇との人格的身分的結合関係の特質を把握することで迫りたい。以下、この手法の意義を述べる。
 まず、(@)の主政・主帳の職務遂行の基本的根拠について。
 拙稿で述べたように、「人格的身分的結合関係」という概念は、支配層の「『国家機構との結合の仕方』の追究」を「第一義的目的」とする*11)郡領に任用される在地首長層は、(1)任用→(2)叙位の任用過程を取るので、(1)任用において「国家機構と結合」することとなり、この局面においてかかる関係が成立することになる*12)ということは、人格的身分的結合関係の成立が、そのまま郡領任用につながることになる。かかる関係はそのまま職務遂行の根拠であり、就中、その特質を規定する基本的要素が基本的根拠となる。
 主政・主帳は、令制においては、初叙規定がなく*13)、任用過程は(1)任用のみであるから、なおさら、この局面において天皇との人格的身分的結合関係が成立することになる。したがって、その特質を規定する基本的要素が、主政・主帳としての職務遂行の基本的根拠となることも、郡領と同様である。すなわち、人格的身分的結合関係の特質の把握は、そのまま主政・主帳の職務遂行の基本的根拠を明らかにする作業でもあるのである。かかる課題に迫る手法としては有効であると考える。
 次に、(A)の首長層の在地社会における存在形態について。
 この手法は、かかる形態を直接、分析するわけではないから、効果は限定的である。しかし、前記のように、(@)の職務遂行の基本的根拠は、そのまま主政・主帳の職務遂行のあり方を規定し、したがって、主政・主帳にはいかなる首長層が任用されたかについて、一定の知見を提示する。また、かかる関係は、首長層の、律令制国家における支配層の一員としての基本的編成形態を示すから、先の村落首長制論ー特に、その律令制国家における編成ーとも関わる議論といえる。先の研究状況を考えれば、その意義を否定することはできず、前記のように、在地首長層との編成形態の異同は重要といえよう。
 以上のように、首長層と天皇との人格的身分的結合関係の特質の把握は、(@)(A)の課題に迫る上で十分な意義を有しているといえる*14)
 また、かかる特質の把握に当たっては、その基本的規定要素を析出する必要があるが、それは一般官人でいえば位階が該当する「基本的紐帯」であることは、拙稿Aで述べたとおりである。
(2)本稿の素材
 前項で述べたように、以上の手法を取る場合、「基本的紐帯」の析出が問題となる。(1)任用において人格的身分的結合関係が成立する以上、分析対象は任用制度になるが、かかる析出にあたって、好個の素材となるのは、本来任用手続きである。首長層が、主政・主帳に任用される手続きーしたがって、天皇と人格的身分的に結合する手続きーが、まさに任用手続きに他ならないからで、実際、在地首長層と天皇とのかかる関係の特質の析出にあたっては、任用手続きが基本的素材となった。
 しかしながら、首長層と天皇とのかかる関係の特質の把握にあたっては、任用手続きのみによって、「基本的紐帯」を析出することは困難である。

 主政・主帳の任用手続きは、以下の形態を取る。

(a)国擬→(b)「試練」→(c)叙任

郡領の場合は、(b)「試練」と(c)叙任の間に、読奏が行なわれるが、主政・主帳は、選叙令3任官条によって判任官とされているので、これが存在せず、「試練」の後、直ちに叙任が行なわれる形となっている。この内、(a)国擬は中央官司における任用の予備的作業と考えられるので、「国家機構との結合」の直接の前提となるのは、(b)「試練」である。
 したがって、任用手続きの検討から、「基本的紐帯」を析出しようと思えば、基本的素材はこの「試練」になる。しかしながら、後述のように主政・主帳の「試練」には不明な点が多く、特に「基本的紐帯」を示す(a)系譜を申す儀については、執行の明証が存在しない。もとより、後考のように、一定の想定は可能だが、それのみを「基本的紐帯」析出の基本的根拠とするのは不安がある。
 そのため、本稿では、まず任用基準制度を検討し、一定の知見を得てから、任用手続きー具体的には「試練」ーを検討することにする。
 また、筆者は、先に、郡領に任用される在地首長層と天皇との人格的身分的結合関係を検討し、その特質が

(1)在地社会の秩序に規定された在地首長層が、系譜を「基本的紐帯」として
(2)良人共同体の首長たる天皇と結合する

点に求められるとの結論を得た*15)
 さらに、これを受けて、郡領の「試練」の意義について論じ、それが、在地首長層を「自発的に労働し、規律に服従」させる「意識の内部の支配」の基本的手段であることを指摘した*16)
 これらの結論もまた、「基本的紐帯」の析出、人格的身分的結合関係の特質の把握にあたって、援用可能であるので、本稿の素材ともいえよう。


〔U 「基本的紐帯」の析出(1)−任用基準制度の検討ー〕

 本章では、「基本的紐帯」についての一定の知見を得るため、主政・主帳の任用基準制度を分析する。令制における主政・主帳の任用基準を示すのは、次の選叙令13郡司条の太字部である。
〈史料1〉 選叙令13郡司条

凡そ、郡司は、性識清廉にして時務に堪える者を取りて大領・少領とし、強幹聡敏にして書計に工なる者を主政・主帳とせよ。それ、大領は外従八位上、少領は外従八位下に、これを叙せ。〈それ、大領・少領、才用同じならば、まず国造を取れ。〉

この内、「才用」規定に該当するのが、「書計に工なる」である。官人の「才用」規定としては、一般的には選叙令4応選条の「才用」規定*17)が適用されるから、なぜ、主政・主帳独自の「才用」規定が制定されたは問題といえる。

 この問題の根拠として、第一に想定されるのは、職員令74大郡条における職掌規定との関連である。すなわち、同条では、

主政:「郡内を糾判し、文案を審署し、稽失を勾し、非違を察す」、
主帳:「事を受け上抄し、文案を勘署し、稽失を検出し、公文を読み申す」

と職掌が規定されているが、実務能力が強く要求される内容となっている。一方、応選条の「才用」規定は、具体的な内容が不明であるから、同条の適用によっては、実務に堪える要素が、主政・主帳の「才用」であることを明示できるわけではない。そのため、「書計に工なる」との「才用」規定が独自に制定されたとのの想定が一応、考えられる。
 しかし、この職掌規定は、独自の「才用」規定の制定を必然化するものではない。なぜなら、これは一般の判官・主典の職掌規定の敷衍に過ぎず*18)、本来、応選条の一般官人の「才用」規定が適用されるべき内容だからである。内容的にも、主政の職掌規定の内、太字部で示した「郡内を糾判しの「糾判」は内容不明な概念であるから*19)、厳密には「才用」規定を必然化できるものではない。また、同じく太字部で示した「非違を察す」は「書」「計」の能力のみによって対応できるものではないと言える。したがって、職掌規定から「才用」が必然化したとはいえないと考えられる。

 第二に想定されるのは、一般官人と異なり地方の首長層を任用する主政・主帳においては、「書」「計」の能力を第一義的基準として明確化する必要があったとするものである。これは、かかる明確化がなければ、郡務遂行に問題が生じるとの認識が前提であり、律令制国家において、首長層は「書」「計」に象徴される実務能力の点で劣ると判断されたことを示す。
 しかし、一般官人に任用されることの多い畿内出身者と、首長層の間で、実務能力にどれだけ差があるかは測定不能な問題であって、一種の偏見・差別意識でもなければ、国家が画一的に首長層のみを劣ると判断するのは考えにくい。実例としても、中央官人から、主帳への任用を請願した例が見える*20)のであって、これは一般官人との間で実務能力の点で顕著な相違があったとは考えられない。

 また、日本律令制国家において、一般的には、官職への適性の考慮が実務・雑務の範疇で行なわれ、「才用」の具体化やそれを審査する「試練」のような国家的な儀式・政務が執行されないのは、日本律令制国家における「公」「私」の分離の特徴の問題である*21)。かかる問題をふまえず、単に首長層の実務能力に問題を還元する見解は、にわかには支持しがたい。
 では、どのようにこの問題を考えればよいのであろうか。
 参考になるのは、主典以上で、主政・主帳と同じく独自の「才用」規定が制定されている郡領の事例であろう*22)。すなわち、郡領に任用される在地首長層は、系譜を、天皇との人格的身分的結合関係における「基本的紐帯」とし、任用の「基本的媒介」とした。それ故、個人としての奉仕が不十分であっても、「祖」以来の奉仕の来歴によっては、郡領に任用され、また、その逆も生じるという、「平等性」「同質性」を有していた。
 一方、一般官人の任用基準を制定した選叙令4応選条は、官職任用において、「天皇にたいしては、貴族も工匠も公民もすべて平等に臣下…たりうる」というディスポティシズムの原理を具現化することを本質的意義としており、個人としての奉仕が一定基準に達していれば、官職に任用されうるという「平等性」「同質性」が前提となる。前記のような、「平等性」「同質性」を有する在地首長層をも適用対象に含めれば、応選条はもはやその意義を果すものとはいえないから、その「才用」規定を適用することはできず、郡領独自の「才用」規定が制定されたと考えられる。また、郡領が官位非相当とされたのも、この「平等性」「同質性」のためと見られる。
 主政・主帳も、郡領と同じく在地の首長層を任用し、官位非相当である。前記のように、職掌規定などによっては、「才用」の独自制定を説明できないことからすれば、基本的に郡領と同様であった可能性が想定される。すなわち、系譜を「基本的紐帯」「基本的媒介」としていたために、独自の「才用」規定が制定されたとの可能性が指摘できる。
 以上、任用基準制度の検討からは、首長層と天皇との人格的身分的結合関係における「基本的紐帯」が、系譜であった可能性が示唆されるのである*23)


〔V 「基本的紐帯」の析出(2)ー「試練」の検討ー〕

1.「試練」の構成要素と早川説
 次に、「試練」について検討しよう。ただし、ここでの検討は直ちに令制における「基本的紐帯」を示すものではない。検討史料が、九世紀初頭に編纂された『弘仁式』*24)の条文であることもあるが、そもそも主政・主帳の「試練」が、実際に執行されたのは、七一二年(和銅五)以降である。『続紀』*25)。同年四月丁巳条によれば、それ以前は、「国司、便に任じて名帳を申し送り、随いて処分す。」との手続きがとられていたことが知られる。
 しかし、そこから析出される「基本的紐帯」のあり方は、令制に遡るとしてよく、また、その検討は、なぜ七一二年の段階で主政・主帳に「試練」が執行されたかにつながると考えられる。
 「試練」の検討から「基本的紐帯」を析出しようとする場合、まず把握すべきは、「試練」で何が行なわれているのかーすなわち、その構成要素ーである。
 検討すべき基本史料は、『弘仁式』式部下、試郡司条である。同条によれば、郡領の「試練」については以下のような次第が知られる。

(T)事前準備
(U)式部輔主宰の第一回の「試」…(a)系譜を申す儀が行なわれる
(V)式部卿主宰の第二回の「試」…(a)系譜を申す儀と(b)筆記試験が行なわれる

したがって、郡領の「試練」の構成要素は

(a)系譜を申す儀
(b)筆記試験

である。その性格については

(a)…(α)天皇との人格的身分的結合と(β)郡領という官職への任用の、それぞれの一環
(b)…(β)郡領という官職への任用の一環

であることは、拙稿Cで述べた。
 以上のような記述に続いて、試郡司条は次のように述べる。

〈史料2〉 『弘仁式部式』試郡司条

但し、主政・主帳は、卿以下唱えてその身を試み、国司を召さざれ。

この記述について初めて触れたのは、「試練」の本格的追究の魁となった早川庄八である*26)。早川は、この記述から次のように述べた。

…「唱」すなわち(@)口頭による「試」のみで、(A)筆記試験が行われなかった(二六二頁)

この早川説から「試練」の構成要素についての論点を演繹しよう。まず、太字部(@)の「口頭による『試』」と(a)系譜を申す儀との関連は不明であり、両者をまったく別のものとする説*27)もあるから、少なくとも

(@)(a)系譜を申す儀が行なわれたかは不明である

ということになる。また、太字部(A)から明らかなように、

(A)(b)筆記試験は行なわれなかった

ということになる。
 (@)(A)の限りでは、主政・主帳の「試練」で何が行なわれていたかは不明だから、現在のところ、その構成要素は不明ということになる。しかし、この早川説は本当に正しいのだろうか。以下、検討してみよう。
2.筆記試験について

 まず、(A)から検討してみよう。結論から言えば、これは明らかに誤りである。
 この「試練」の後に行なわれる、主政・主帳の(c)叙任の次第を記した『弘仁式』式部下、主政帳条には、
〈史料3〉 『弘仁式』式部下、主政帳条

三月三十日以前に、(A)比校対試すること、また上例に同じ。おわらば、その(B)状書を聚め、(C)その等第を判じ、簿を造り卿に申し、決を取れ

とある。「試練」(太字部(A))の際の「状書」(同(B))を集め、任用を決定する(同(C))とされていることが分かる。主政・主帳は判任官とはされるものの、太政官ではなく式部省が任用を決定することが知られるが、「試練」の際の「状書」がその資料となることが分かる。この「状書」は試郡司条にも見え、(b)筆記試験の答案であることは明らかである*28)。したがって、主政・主帳にも(b)筆記試験が課せられたと考えられる。
 そもそも、選叙令13郡司条の主政・主帳の「才用」は、「書計に工なる」である。八世紀を通じて、この「才用」の内容については、変更は加えられていない。また、郡司の任用基準にはその後、大筋としては「才用」→「譜第」という形で改変が加えられているが、それは郡領に限定されている*29)。すなわち、『弘仁式』段階においても、主政・主帳の任用基準制度は選叙令13郡司条から変更されていないのであって、試郡司条もまた同条を法的前提としている。とすれば、主政・主帳に対する「試練」は、法的には擬任の主政・主帳が「書計に工なる」かどうかを審査するものと位置づけられていたと考えるべきであり、(b)筆記試験が課せられるのは、むしろ当然ということになる。
 早川が、(b)筆記試験が行なわれないとした根拠は、〈史料2〉の太字部を「口頭でその身を試練する」と解したことによる。この場合、〈史料2〉の「唱」が「口頭で」の意となるが、試郡司条においては、「唱」はすべて、国郡司を呼び出すことーつまり「呼び出し」−の意であるから、この場合も同様に解するべきであろう。すなわち、〈史料2〉は

但し、主政・主帳については、(A)卿以下が(擬任主政・主帳を)呼び出し、その身を試練せよ。また、(B)国司を召してはならない

といった意と考えられる。主旨としては、まず

(A)「呼び出し→『試練』」という過程を、卿以下が行う

ということである。卿が出御するのは、(V)卿主宰の第二回の「試」であるから、この際、主政・主帳の「試練」を執行するということであろう。ということは、式部輔主宰の第一回の「試」では、主政・主帳の「試練」は執行されないということである。また、(B)の主旨は本文の通りであって

(B)「試練」の際に、国司を召してはならない

ということである。すなわち、試郡司条の〈史料2〉以前の記述では、「試練」の際、国司(朝集使)が同伴することになっているが、主政・主帳の際にはこれは行なわないということになる。以上の検討からすれば、〈史料2〉の主旨は、「試練」の構成要素にはないことになり、主政・主帳の「試練」が口頭で行なわれるとする根拠は得られないということになる。
 以上から、主政・主帳の「試練」の構成要素として(b)筆記試験が存在することが明らかになった。この要素は、「試練」が「試練」たる基本的根拠であり、また、選叙令13郡司条の「書計に工なる」を審査するものと位置づけられている以上、七一二年の「試練」執行当初に遡ると考えられる。
 しかしながら、この要素は、先の郡領の「試練」における性格を考慮すれば、(β)主政・主帳という官職への任用の一環ではあっても、(α)天皇との人格的身分的結合に直接、関わるものではないと考えられる。「基本的紐帯」を析出しようと思えば、(a)系譜を申す儀の検討が重要となる。

3.系譜を申す儀についてー「基本的紐帯」の析出ー
 主政・主帳について(a)系譜を申す儀が行なわれていたことを直接、示す史料は存在しない。しかし、以下のように実施されたと想定される。
 その最大の根拠は、前述のように、〈史料2〉の記述は「試練」の構成要素に関わるものではないことである。試郡司条における、主政・主帳に関する但し書きが、(A)「呼び出し→『試練』」という過程を、卿以下が行う、(B)「試練」の際に、国司を召してはならない、の二点に限定されている以上、それ以外の点は〈史料2〉以前の記述に準ずると考えるべきであろう。とすれば、「試練」の構成要素は、(a)系譜を申す儀と(b)筆記試験ということになり、系譜を申す儀も行なわれたことになる。
 この場合、「基本的紐帯」は系譜ということになる。前章で考察したように、任用基準制度の検討からも、同様の可能性を想定できることからすれば、首長層と天皇との、人格的身分的結合関係における「基本的紐帯」は、系譜と考えてよいであろう。
4.主政・主帳の「試練」の意義ー各構成要素の位置づけの確認ー
 前項までの検討で、本章の課題はほぼ果したが、あわせて、主政・主帳の「試練」の意義についても検討しておく。
 前記のように、郡領の「試練」の意義は、在地首長層に対する「意識の内部の支配」の基本的手段という点にあったが、これは「試練」の構成要素の位置づけーすなわち、(a)系譜を申す儀と(b)筆記試験の、どちらが本質的要素かーの把握から導き出される。すなわち、「試練」におけるかかる支配を担うのは、(a)系譜を申す儀であり、こちらが本質的要素と考えられるので、前記の「試練」の意義が導き出される*30)。とすれば、主政・主帳の「試練」についても、構成要素の位置づけを把握する必要があると言える。
 もっとも、かかる位置づけも、基本的には郡領に準じて考えてよいと思うが、主政・主帳の場合、状況を異にする点があるので、本項で検討しておく。
 第一は、「才用」の内容が「書計に工なる」と具体化されていることである。
 郡領の場合は、選叙令13郡司条の「才用」規定は、「時務に堪える」という抽象的な内容に過ぎず、それを審査する(b)筆記試験の評価基準が明確ではないから、(b)筆記試験は人事の資料としては機能しないと考えられる。在地首長層を評価できない(b)筆記試験が、「試練」の本質的要素とは考えられないことが根拠の一つとなって、(a)系譜を申す儀を本質的要素とする結論が導き出された。
 しかし、主政・主帳の「書計に工なる」との「才用」規定は、これを審査する(b)筆記試験における評価基準が明確であることを示す。この場合、「試練」においては(b)筆記試験における首長層の選別こそが目的であった可能性が生じることになり、(a)系譜を申す儀が本質的要素かは疑問の余地が生じる。
 しかし、註(23)で述べたように、そもそも「書」「計」という字句自体に積極的な意義を認めがたいとすれば、かかる能力を審査する位置づけとなっている(b)筆記試験を行なうために、「試練」が執行されるとは考えにくい。(b)筆記試験は、郡領同様、首長層がディスポティシズムの原理に編成されていることを象徴的に示すためのもので、「試練」の本質的要素は(a)系譜を申す儀と考えるべきであろう。
 第二は、法的根拠である。
 大宝令における郡領の「試練」の基本的法的根拠は、選任令応選条の「凡そ選すべくんば、皆、状を責い試練せよ。…」であるが、「大宝元年(七〇一)七月二八日太政官処分」*31)によって、郡領を含む奏任官に対する、式部省の銓擬権・「試練」は否定され、養老令において応選条の「試練」の規定は廃されたから、その法的根拠は曖昧であった。
 しかしながら、七〇一年の「処分」には「ただし、官判任の者は銓擬して太政官に申せ」とあり、主政・主帳を含む判任官には、式部省の銓擬権が認められた。これを根拠に「試練」を執行することは可能だから、法的根拠については郡領とは状況を異にしている。根拠が異なる以上、本質的要素が異なる可能性も当然、想定される。
 しかし、同「処分」は、「試練」執行の本質的根拠ではない。銓擬権が認められたからといって、「試練」を執行しなければならない必然性はないからである。主政・主帳と同じ判任官であることが明白な家令には、「試練」が執行された明証は存在しないし*32)、式において式部省が銓擬することが明記されている出雲国造についても「試練」が行なわれた形跡はない*33)。主政・主帳と家令・出雲国造との相違は、前者に独自の「才用」規定があることだが、前述のように、「書計に工なる」との「才用」規定に積極的意義はないから、「才用」審査のために「試練」が執行されるとは考えにくい*34)。すなわち、同「処分」を根拠に「試練」を執行することは可能ではあるが、同「処分」があるからといって、「試練」を執行しなければならないとは、本来、いえないのである。執行の本質的根拠ではない同処分によって、「試練」の本質的要素が規定される事態は考えにくいから、特に問題とする必要はないといえる。
 以上の検討と前項での想定からすれば、主政・主帳の「試練」の意義は、郡領同様、首長層の「意識の内部の支配」の基本的手段という点にあると考えられる。
 七一二年に、主政・主帳に「試練」が課せられたのも、かかる支配のためということになる。
 なお、それ以前の、国司が「便に任じて」いた段階(以下、「便宜的任用」)のかかる支配はまったく不明である。しかし、(1)「意識の内部の支配」は国家機構の維持・運営において不可欠であること、(2)式部省の「処分」は必要とされているが、「便宜的任用」は、ほぼ正式な任用に直結すると見られること、からすれば、「便宜的任用」の段階で、何らかの形でかかる支配が行なわれたと見てよい。さらに、(3)系譜が「基本的紐帯」であることは、任用の「基本的媒介」が系譜であることを示すから、「便宜的任用」の段階においても、系譜が審査されたと見られること、からすれば、単なる審査に留まらず、系譜を呪術性のある口頭で述べる、「意識の内部の支配」の基本的手段である(a)系譜を申す儀に類する政務・儀式は行なわれたと見られるのではないだろうか。


〔Y 結び〕
 以上、第三章の「3.系譜を申す儀についてー『基本的紐帯』の析出ー」で述べたように、任用基準制度・任用手続き双方の検討からは、主政・主帳に任用される首長層と天皇との「基本的紐帯」は、系譜と考えてよいと思われる。
 ここでは、それをふまえて首長層と天皇との人格的身分的結合関係の特質について検討するが、基本的に、郡領に任用される在地首長層と天皇とのそれに準じて考えてよいといえる。すなわち、

(1)在地の秩序に規定された首長層が、系譜を「基本的紐帯」として、
(2)良人共同体の首長たる天皇と結合する

点に、その特質を求めてよいと考える。
 まず、(1)については、前記のように首長層と天皇との「基本的紐帯」が系譜であることから明らかである。「平等性」「同質性」を特徴とする人格的身分的結合関係において、系譜が「基本的紐帯」となることが、在地社会の秩序に規定されたものであることも、詳しく説明する必要はないであろう。
 (2)についても、任用基準制度において、「書」「計」を任用基準とする「才用」主義が取られていることから明らかである。これは主政・主帳が、「平等性」「同質性」を有しつつも、「天皇にたいしては、貴族も工匠も公民もすべて平等に臣下…たりうる」というディスポティシズムの原理(既述)に編成されたことを示すが、かかる原理は良人共同体の首長たる天皇と官人との人格的身分的結合関係の秩序を基礎としているのであり、首長層もまたかかる存在である天皇と人格的身分的に結合したことを示す。
 以上をふまえて、〔T はじめにー本稿の課題・意義・手法ー〕で、本稿の課題として述べた(@)主政・主帳の職務遂行の基本的根拠、(A)首長層の、在地社会における存在形態の二つの課題について述べよう。
 まず、(@)の問題について。「基本的紐帯」が系譜であったことは、主政・主帳の職務遂行の基本的根拠が、その人格であったことを示す。すなわち、主政・主帳は、郡領同様、郡の構成員に対する人格的支配に基づいて職務を遂行する存在であったのである。職員令においては、主政・主帳は「事務官的」な役割を担わされているに過ぎないが、以上は、民衆支配におけるその機能が単なる「事務官」には留まらないことを示している。主政・主帳が中央派遣ではなく、在地任用とされたのも、基本的にはそのためであろう。
 次に、(A)の問題について。
 主政・主帳の任用における系譜意識はまったく不明だが、人格的身分的結合関係における「基本的紐帯」である以上、天皇・律令制国家に対する奉仕の蓄積が、系譜の優劣の基本的基準となったと想定され、基本的には、かかる蓄積が可能な系譜に属する首長層が任用されたものと見られる。(@)で述べた人格的支配の問題からしても、ー当然のことではあるがー郡内に一定度の基盤を有する有力者が任用されたと考えられる*35)。
 また、人格的身分的結合関係の特質が基本的に同一であることは、−前記のように、職務権限その他で郡領とは明確な区別が設けられているもののー支配層の一員としての首長層の編成のあり方は、在地首長層と基本的に同様であったことを示す。従来、越前国坂井郡の品治部君広耳のように、主帳から大領にまで昇任した事例が指摘されているが*36)、律令制国家の体制において、首長層と在地首長層の間に本質的な区別は設けられていないと見るべきであろう。とすれば、在地社会における存在形態の点でも、両者の間にー基盤の規模その他で相違があることは否定しないがー本質的な相違がない可能性も示唆される。
 以上、首長層と天皇の人格的身分的結合関係の特質を把握し、(@)主政・主帳の職務遂行の基本的根拠、(A)首長層の、在地社会における存在形態の二つの課題について、検討した。ここでの検討結果は、郡制・郡司制、当該期の生産関係・共同体の特質を、直ちに示すものではないが、冒頭でも述べたように、これらの把握にあたっても不可欠といえよう。


*1)本稿では、主政・主帳に任用される首長を「首長層」、郡領に任用されるそれを「在地首長層」として、区別する。ただし、後論に明らかなように、これは両者の本質的存在形態を示すものではなく、あくまで便宜的区分である。
*2)例えば、大町健は、郡司の機能を共同体的諸関係の総括としたが、かかる機能を担う存在として具体的に分析されているのは郡領である。主政・主帳は国司制と郡司制との結合の結果、成立したものとされるているに過ぎず、特に分析されているわけではない(「律令制的郡司制の特質と展開」〔『日本古代の国家と在地首長制』校倉書房、一九八六年〕。主政・主帳については、一八一頁参照)。また、近年の郡制・郡司制研究としては、(1)実態としては、国守のもと大領と少領が同等官として位置づけられる三等官制の構造を持つ(宮森俊英「律令制成立期の郡司の性格について」〔『日本海地域史研究』一二、一九九四年〕)、(2)大領・少領が郡を地域的に分割して支配する形態が取られた(相沢央「八幡林遺跡と郡の支配」〔『新潟史学』四〇、一九九八年〕)、といった見解が提示されているが、主政・主帳の問題が特に検討されていないのは同様である。
*3)引用は、『日本思想大系三 律令』(岩波書店、一九七六年)による。
*4)直木孝次郎「郡司の昇級について」(『奈良時代史の諸問題』塙書房、一九六八年。初出は一九五八年)。この他、後述のように、(1)選叙令13郡司条(後掲〈史料1〉)の任用基準、(2)主政・主帳は、令制当初、「試練」が執行されず、執行後も式次第において郡領とは相違が見える(本稿〔V−2.筆記試験について〕の〈史料2〉についての解釈参照)、などの区別も確認される。また、選叙令3任官条では、主政・主帳は四等官以上では唯一の判任官とされており、郡領との対比のみならず、四等官制による律令官僚制全般においても、特異な位置づけを与えられていた。
*5)『日本古代村落史序説』(塙書房、一九八〇年)
*6)(1)郡家に常勤して事務を執る者(郡書生・郡案主など)、(2)郡内にあって貢納物の収奪に当たる者(税長・徴税丁など)は、郡内の支配層(村落首長)からの出身と見られ、彼らを編成することが郡司(在地首長層。吉田の用語では大村落首長)の重要な機能であったとする(註(5)書、二七二〜三頁)。

*7)明石一紀「日本における里制と編戸制の特質」(『歴史学研究』一九七七年度別冊)、関和彦『風土記と古代社会』(塙書房、一九八四年)など。ただし、明石の用語は「小首長層」、関の用語は「村々の首長」(一六九頁)。
*8)「古代村落と村落首長」(註(2)書)
*9)評制施行当初の段階では、四等官制はもちろん、三等官制も成立していなかった可能性がある(大町註(2)書、一八一頁)。
*10)拙稿「在地首長層と天皇ー令制郡領任用制度の検討ー」(www7b.biglobe.ne.jp/~inouchi/zaichi.htm。以下、拙稿A)、同「郡領任用抗争の特質ー大和国高市郡の事例からー」(www7b.biglobe.ne.jp/~inouchi/kousou.htm)など参照。
*11)「機構論における『人格的身分的結合関係』とは何か?−任用過程研究の意義ー」(www7b.biglobe.ne.jp/~inouchi/jinkaku.htm。以下、拙稿B)

*12)拙稿A。任用過程・任用制度・任用基準制度・任用手続きなどの用語については、この拙稿を参照のこと。

*13)選叙令13郡司条(後掲〈史料1〉)。初叙規定の成立は、七六七年(天平神護三年)である(「同年五月二一日勅」〔『類聚三代格』巻七 郡司事〕。なお、『類聚三代格』の引用は新訂増補国史大系本による)。
*14)なお、後述のように、人格的身分的結合関係の特質の把握という手法を用いる場合、第三の意義として、主政・主帳の任用制度のいくつかの問題の解明につながることを挙げることができる。後述のように、かかる手法を取る場合、基本的素材は任用制度となり、その把握は、従来、必ずしも十分検討されてこなかった主政・主帳の任用制度の問題を解明することにつながるからである。ただし、人格的身分的結合関係の特質の把握という限られた範囲での検討となるので、ここで、すべての問題を明らかにすることはできない。例えば、後述のように、主政・主帳の「試練」には国司(朝集使)が同伴しないことが確認されるが、それがいかなる論理に基づくかは、本稿では明らかにできない。

*15)拙稿A
*16)「郡領の『試練』の意義ー早川庄八説の意義と課題ー」(www7b.biglobe.ne.jp/~inouchi/jinkaku.htm。以下、拙稿C)
*17)「銓擬之日、まず徳行を尽くせ。徳行同じくは、
才用高き者を取れ。…」とある。
*18)職員令1神祇官条の職掌規定は、大祐:「官内を糾判し、文案を審署し、稽失を勾し、宿直を知る」、大史:「事を受け上抄し、文案を勘署し、稽失を検出し、公文を読み申す」とあり、それぞれ他の判官・主典が准ずることとなっている。太字部が主政・主帳と共通の職掌である。
*19)中田薫「養老令官制の研究」(『法制史論集 第三巻 上』岩波書店、一九四三年)六一〇頁以下。吉川真司「奈良時代の宣」(『律令官僚制の研究』塙書房、一九九八年。初出は、一九八八年)二〇二頁。
*20)「天平勝宝二年五月二〇日造東大寺司牒案」(『大日本古文書 編年文書之一一』二五二〜三頁)
*21)拙稿C
*22)以下の郡領についての記述は、拙稿A「X−3.坂本の提起への回答ー郡領任用基準の独自設定ー」による。
*23)なお、この「才用」の具体的内容が「書」「計」とされたのは、唐選挙令の流外官の「才用」規定たる「書」・「計」・「時務」から、職員令の職掌規定に相応しいものを選択しただけのことであろう(拙稿「郡領任用における『才用』−その『内容』と唐制継受過程ー」〔『民衆史研究』五三、一九九七年〕)。仮に、「書」「計」の字句に積極的意義が付されたとすれば、令編纂者は、主政・主帳については「才用」の具体化を重視していたことになる。しかし、前記のように、日本律令制国家の官職任用における「公」「私」の分離は、法概念としての任用基準・「才用」の具体化によっては行なわれないのであって、主政・主帳のみこの特徴から逸脱するという根拠は何もない。前記の職掌規定との齟齬を見ても、主政・主帳に相応しい「才用」は何かが厳密に追求されているとはいえず、かかる想定は成立しがたい。さらに、同じく独自の「才用」規定を持つ郡領も、「時務に堪える」という具体性のない規定とされていることを考えれば、ー法体系の一部として選叙令13郡司条で制定された以上、「試練」の構成要素も規定するがー「書」「計」という字句それ自体には、さほど積極的な意義はないと考えられる。
*24)引用は『弘仁式・貞観式逸文集成』(国書刊行会、一九九二年)
*25)引用は、新日本古典文学体系本による。
*26)「選叙令・選任令と郡領の『試練』」(『日本古代官僚制の研究』岩波書店、一九八六年。初出は一九八四年)
*27)森公章「試郡司・読奏・任郡司ノート」(『古代郡司制度の研究』吉川弘文館、二〇〇〇年。初出は一九九七年)二一五〜六頁。
*28)訳注日本史料『延喜式 中』同条頭註(五九七頁。虎尾達哉執筆)。なお、以下、『延喜式』の引用は同本による。
*29)任用基準を改変した法令としては、(1)「天平勝宝元年(七四九)二月壬戌勅」(『続紀』同年同月日条)、(2)「延暦一七年(七九八)三月一六日詔」(『類聚国史』巻一九 神祇一九 国造)、(3)「弘仁二年(八一一)二月二〇日詔」(『類聚三代格』巻七 郡司事)があり、(1)は令制の「才用」主義を改変して、嫡々相継制を採用したもの、(2)は(1)を改変して「芸業著聞にして郡を理(おさ)めるに堪える者」を任用することにしたもの、(3)は(2)を改変して「譜第」を第一義的基準、「芸業」を第二義的基準としたものである。(1)・(2)が郡領を適用対象とすることは、法令に明記されており、(3)は「郡司」とあるだけだが、(2)との関連から同様と見るべきであろう。他に、郡司の任用基準に関わる法令としては、(4)「天平七年(七三五)五月二一日制」があり、これは「譜第」副進制を定めたものである。同制中には対象を郡領に限定する文言は確認されないが、「譜第」が郡領任用に関わる系譜意識であることから、(1)〜(3)と同様と見られる。しかし、仮にそうでなかったとしても、単に、国擬の他に「譜第」などの者を副進することを命じたものだから、そもそも令制の任用基準を改変するものではなく、ここでの考察の支障にはならない。
*30)以上、郡領の「試練」については、拙稿Cによる。
*31)『令集解』選叙令4応選条令釈、『続紀』同年同月戊戌条。
*32)選叙令3任官条義解によれば、他に内舎人・文学・才伎長上が判任官とされるが、「試練」が行なわれた形跡は見られない。
*33)式部省が出雲国造を銓擬するとされていたのは、『延喜式』式部省下5神寿詞条「国造を銓擬すること、一に郡領のごとくせよ。」に明らかである。
 ただし、同条は「国造を銓擬することは、専ら郡領の(
手続きの)ようにせよ。」の主旨とも読めるので、この限りでは「試練」が執行された可能性を指摘できる。しかし、実際には「試練」が執行された明証は存在しないし、出雲国造の職務内容からしても、一般には技能・実務能力の審査である「試練」による銓擬は考えにくいと思われる。
 この文言は、太政官式132出雲国造条に「凡そ出雲国造、国司、例によりて銓擬し言上せば、すなわち太政官において補任すること、諸国の郡司を任ずる儀のごとくせよ。」とあるように、国→式部省→太政官の順で「銓擬→補任」が行なわれる旨を規定していると見られる。すなわち、「国造を銓擬することは、専ら郡領のように(
国の銓擬の後に式部省が銓擬を)せよ。」との主旨であって、「銓擬」の手続きを郡領と同様にせよとの内容ではないと考えられる。
*34)形式的には、「才用」を審査するために「試練」が執行されることになっているが、それは両者の本質的関係を示すものではない。
*35) なお、八世紀後半には、主政・主帳がかなりの私富を蓄積していたと見られる事例が確認される(別表参照)。
*36)直木註(4)論文



※アンケートにご協力ください→アンケート記入フォーム

論文総目次は………こちら

トップページは………こちら