アヴィニヨン・プロヴァンス地方
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9月16日

ニースヴィラ駅 発車前のTGV

 6時前に起床、夜明けの7時を待って朝食。8時チェックアウト、タクシーを呼んでニース ヴィラ駅まで約5分程度で到着。

 駅の待合室は多くの観光客で混雑していたが、ホームに入ると乗車予定のTGVの客は少なく、プラットホームは人も疎ら。
 
 列車は始発なので早めに乗り込み可能で9時に乗車、9時25分発車。ニース発車時点ではがらがらだった一等車内<時刻表と料金表の併記されたテーブルで確認すると二等車よりも安い料金で一等車が利用できる。早めにインターネットで購入するとよい>途中駅から乗客が増える。


TGVの車窓から見る地中海

 カンヌでは車窓から海水浴客の姿が間近に見られる海に近く沿って走る。ニースからコートダジュールの入り口の町サンラファエルまでの約1時間は地中海に沿って走るので車窓から目が離せない。サンラファエルからトウーロン迄は一つの駅間だけ海から離れるが、トウーロンで海側に戻りマルセイユへ。

 マルセイユで各駅停車の普通列車とTGVの特急が切り離され、特急は途中停車なしで約30分後の12時42分にはアヴィニヨンに到着。

 バスへの乗り換えも順調で、12時57分にバス出発約十分後にはアヴィニヨン郵便局前に着いたので、効率よく13時15分にはホテルにチェックイン出来た。

アヴィニヨン橋と法王庁宮殿方面

 14時にホテルを出て、パンをかじりながら町を散策、15時頃から1時間はローヌ川のクルージングを楽しんだ。童謡にも歌われたアヴィニヨン橋も船上から写真に納め、疲れがたまっていたので、市内観光はせず、自分一人だけホテルに引き上げることにした。情けないことに、ホテルへの帰り道で勘違いでかなり遠回りしてしまったので、ホテルに着いたのは5時前、何とも疲れを倍増させる結果となってしまったようだ!

それにしても、天気はよい。ニースでもそうであったが、アヴィニヨンも快晴で、暑い<ニース同様に、最低20℃前後、催行30℃前後のようだ>


アヴィニヨンの街角



 娘のアイパッドはwifi環境でインターネットができるようになったとのことで、ホテルに早く帰ったので種々試みたが我がギャラクシーTabは上手く使いこなせず、大いに失望。ブログの更新も出来ず些か退屈な時を送ることとなった。

 1時間半後にホテルに帰着した娘によれば、街中も見るべき場所が多くて十分楽しめるようだ。また、アヴィニヨンは、ホテルやレストランなどでもニースよりも英語が通じて何かと便利である。

 夕食はムール貝の蒸し焼き(量が多すぎて食べきれず)、娘はホタテ貝の料理を満喫。

9月17日

世界遺産のポン・デユ・ガールの水道橋

<水源のユールからニームまで飲料水を送ったという
全長50Kmの水道橋(1世紀頃の建設)の一部分>
 朝は6時前に起床、wifiも使用できるようになりメールのチェックもやれて、先ずは一安心。
 朝食時にホテルの食堂で約30人位の日本人ツアー客と会った。ニースでは殆ど見かけることがなかった日本人が一気に増えた感じ。このホテルは日本のツアー客も利用するので、日本のホテル並の各種のサービスも整っているように思える。

 さて、9時に出発してプロヴァンス地方の六箇所を駆け巡って19時にホテルに帰着する10時間の弾丸ツアーに出かけた。日本人二人、韓国人一人、オーストラリア人四人の合計七人のツアー客で、英語によるガイド兼ドライバーはシンガポール出身の中年女性。八人乗りのベンツでのツアーとなった。

 先ずは、 アヴィニヨンの西側に位置する世界遺産の一つのボン・デュ・ガール(9:40--10:40の約1時間滞在)を訪問。


レ・ボード・プロヴァンスの街角

 2番目の訪問地は、アヴィニヨンの南側に位置しアルルにも近いレ・ボー・ド・プロヴァンス(11:30--13:00 昼食を含めて約1時間半滞在した)

 白い岩山の上に築かれた城塞の都市。昔は4000人もいた人口も今は250人程度という。外から見た景観は生活感のない石作りの廃墟という感じであるが、街(村)に入ると気のきいた土産物も買えて、女性には楽しめる街のようだ。

 プロヴァンス地方の観光名所の一つであろう。ボン・デユ・ガール以上の多くの観光客が訪れていた。

修道院の中庭(奥に再現された病室がある)

 次が、レ・ボード・プロヴァンスの近郷のサン・レミド・プロヴァンス(13:30−−14:10の約40分滞在)
 
 ここは、果物、オリーブ、ハーブなどプロヴァンスの特産品の町と言われており、食べ歩きにも楽しい街であるようであるが、市中は訪ねず、先ず訪問したのは古代ローマ時代の遺跡(二つあり)である。

 ただ、その遺跡よりも感動したのはこの近くにあるサン・ポール・ド・モゾール修道院跡である。この修道院は18世紀以来精神病院になっていて、自分が最も好きな画家の一人であるゴッホが約1年間入院していたという。アルルに住んでいたゴッホは精神病を患ってここに入院し、この病院内でも熱心に製作していたという。彼が入院していた病室が再現されてり、施設全体にも彼の作品を展示してゴッホ博物館的な雰囲気を醸し出している。


オークルの丘上の赤い村

 ル シヨン(14:50--15:50の約1時間滞在)

 この村は、アヴィニヨンの東側に位置するリュベロン地方の村である。黄色顔料の原料となったオークルという黄土の丘に築かれた村で、家々もオークルで造られているので、村全体が赤っぽい。太陽の輝きにつれてその色合いが変化する様が素晴らしく、絵を描く人々にとっては大きな魅力らしい。


オーストラリアの少年とゴルドの村

 ゴルド(16:05--17:10の約1時間滞在)
 
 ル シヨンにも近く、リュベロン地方で最も観光地として名高い村。丘の頂の古城に向かって石造りの家々が階段状に折り重なっているこの村の景観の写真は、よく観光雑誌などでも紹介されている。
 町の中心地は、カフェや土産物店も多い。また、当日(土曜日)に町の小さな教会では二組の結婚式が行われている場面に出くわした。




ラベンダー博物館の玄関前

 ラベンダー博物館(17:20--18:10)

 リュベロン地方では、豊かな食材とワインの名産地で最もプロヴァンス的といわれているようであり、ベンダーの産地としても良く知られている。6,7月がラベンダーのは花の最盛期のようであるが、9月半ばでは
ラベンダー畑は見るべきものはなく、博物館の訪問となった。



 19時頃 ホテル帰着

 夕食は7時半過ぎからホテル前のレストランでシーフード。イカとエビのフライの野菜サラダと白身魚の魚料理何と、偶然ながら3夜連続でシーフードの夕食となってしまった