インドネシアで
(4)

 
インドネシア バリ島の夕日の光景

インドネシアで(1) 「インドネシアで」の目次

(1)「住めば都」、「季節のない国?」、「南国の花」、「南国の果物」、
(2)「インドネシア語」、「ブロモ山」、「庭の草花」、「食事の話」、「新聞」
(3)「女性Caddieの話」、「物書きが好き?」、「西ジャワの海辺で」、「日本の歌」
(4)「選挙戦」、「小さなことにくよくよするな」、「最後の麻雀」、
   「インドネシア最後の日」
      
インドネシアで(2)
インドネシアで(3)
インドネシアで(4)
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前書き

大型発電所の建設のプロジェクトで1998年から1999年にかけてインドネシアに滞在中に、
しかも1999年になってから、徒然なるままに書き綴った拙文を整理した。
特にテーマを設定したものではなく、その都度頭に浮かんだことを書き記したに過ぎない。



選挙戦  日本の統一地方選挙で最も注目したのは、当然ながら東京都知事選であった。結果は全く予想通りに「石原慎太郎」の圧勝に終わった。

 バブル崩壊後の経済不況の中で、東京都も他の地方都市同様大きな財政赤字に陥っており、改善の糸口は全く見つかっていないという状況下にある。このような時期に求められる人物像は“強いリーダーシップ”、“実行力”の人であるが、前回の選挙で「青島幸雄」に“実行力”、“清潔さ”を期待した都民は、結果として同氏に期待を裏切られたという実感から、“強いリーダーシップ”の期待がもてる石原氏へ走ったということであろう。小生も、知名度の高い立候補者のなかでもリーダーシップと実行力と言う観点では、石原氏の右に出れる人は見当たらないという感触が強かった。

 自民党が担ぎ出した、元国連事務次長で国際的な場面でも活躍し知名度も高かった「明石康」氏の4位という結果には驚かされた。自民党が好まれなかったのか、明石氏自身に期待感が薄かったのか、小生には理解し難い現象であった。

 インドネシアでも、6月に国会選挙を控えて準備中である。スハルトの独裁から開放されて、しかも独立後初めての選挙らしい選挙(公正に行おうとしている観点から)が行われるということで、現在選挙民登録が進行中である。手を挙げている政党も60以上の数に及び大きな混乱が予想されるなか、その時に向かって着々と時は刻まれている。

 経済不安のなかで、政情も不安定化し、全土で小さな暴動が続発している現状であるが、選挙時期には益々大きな混乱が発生するという大方の予想がある。現地日本人学校は1ヶ月間の休校を発表するなど、早々と手を打っているし、経済活動の停滞も避けられないとの判断がなされている。昨年5月のスハルトを退陣に追い込んだ暴動と比較してどうか、いまは誰も正確には予測しきれないと言う状況である。

 小生の予想は、「選挙前は大した混乱はないだろう。選挙結果次第で、結果に満足しない連中が騒ぎ出し、選挙後からその後11月に予定されている大統領選出まで、大きな混乱が発生する可能性を秘めている」というものであるが、いずれにしろ、この国が早く安定し経済も回復することを祈らずにはおられない。
            <1999年4月14日記>

小さなことに
くよくよするな!

 自己診断では、「くよくよする」ということは少ないが、「激し易い」性格であるとみている。年を重ねるにつれて、「激し易さ」も改まってきているが、まだまだ一般的には強いほうであろう。

 いま以上の心の安定を考えて、「小さなことにくよくよするな!」という本を買い込んだが、なかなか読む機会がない。部分的に拾い読みしただけで、保里君へ貸し出してしまい、今は手元にない。同時に買い込んだ「40歳を過ぎたら、好きなことをやれ」も同じような状況にある。部分的に拾い読みした範囲内で、思い違いもあるかもしれないが、両書には共通した部分、精神が多いように思えた。人生は平均的にみてた高々80歳までしか生きられない。この短い人生のなかの出来事は、総て小さなことに過ぎない。そのひとつひとつに敏感に反応して、心配したり、激怒したり、気をもんだりなど、「すわ一大事」的な生き方をするのでなく、客観的にものを見る習慣を身につけることが大事である。また、廻りに振り回されて自分の求める人生を見失ってはいけない、ということをいいたいように思われる。

 もっともは話で異論はないが、実行となるとなかなか容易ではないのが人生なのである。ただ、学ぶべきものが多いので、ゆっくりと読み込んでみたい。
         
 <1999年4月15日記> 

最後の麻雀

Saloon De Paiton

 最近の若い人は麻雀に興味を示さないと言われて久しい。麻雀以外にもっと楽しい遊びが沢山あるから、というのがその理由であるとも言われている。その傾向は、通常の事務所生活時もそうであるが、現場に出ても同じである。

 この現場でも、「Saloon de Paiton」と称して、小生の宿舎のなかの第2居間を雀荘として開店しているが、利用されることは殆どない。この1年間で数回という程度の利用しかなかった。麻雀好きが揃ったということもあるが、週末のゴルフも出来ない環境のインド マンガロールの現場では、マージャンが最大の娯楽として頻繁にやられている<小生が訪問時にも賑々しくやった>。ここでは、週末は泊りがけのゴルフが最大の娯楽であり、その為に麻雀にさく時間も少ない、というより殆どないというのも大きな理由であろう。小生も、「麻雀好き高齢者」の一人を自認しているので、日本ではゴルフ帰りに時折「ご開帳”となるが、その点では、ここでの生活は些か寂しいものがあった。

 麻雀はギャンブル性が高いということで、麻雀を禁じている国が多い。中国、タイ、インドネシアも原則としては、麻雀は禁じられているらしい。そういう環境でも種々冒険は試みるもので、20数年前、当時4人組が強大な力を持っていた頃、他になんの娯楽もない中国では、厳しい監視の目をかいくぐって連夜麻雀に興じたものであった。また、10数年前の旧東ドイツでも、麻雀が最大唯一の娯楽として盛んにやったものであるが、この頃までは日本国内でも麻雀がサラリーマンの娯楽の最大の娯楽と見なされていた時期かも知れない。麻雀はギャンブルとして金が動くということで、若者にも嫌われているが、各人の個性がよく見えると言う点で面白いし、頭の訓練という面でも有意義であるともいう見方が多い。将棋の「永世名人」大山さんは、勝負感を養う点で麻雀は将棋にもプラスにと観点で麻雀も盛んにやったらしい。しかし、いまは、日本でも現場に出ても麻雀は限られた人達の趣味として狭い範囲に閉じ込められ、多くの人達には忘れられた存在になりつつあるようだ。

 帰国を前に、連日予定が立てこんでおり、今日を逃せば機会がないということで、小生の発意で「Saloon de Paiton」を開店するはこびとなった。アドミ担当のボヤキの太田君、冷静な法律屋の井上君、押さえてはいるが内心激し易いAPM保里、仕事も遊びもネチッコサNo.1のPM西の4氏が協力してくれて、楽しい一夜となったことを感謝したい。さて、戦績や如何に!
              <1999年4月19日記>

インドネシア
での最後の日

 短期出張では時々来るであろうが、15ヶ月に及んだ長期滞在の最後の日は、この1年余り毎週末通い詰めたFINNA Golfで締めくくった(小生の帰国前に間に合うように来訪された韓国の信和のChoi副会長が行動をともにしてくれた)。この長期滞在中、何のストレスもなく健康で来られたのは、ここのリゾートホテルとゴルフ場の存在があってこそであり、心から感謝したい。例によって、ゴルフも2ラウンドやって、名残を惜しんだ。

 ただ、少し心残りなのは昨夜泊まった「Suruya」ホテルである。この1年Tretesで2番目の「Natour」というホテルを定宿にして、「Suruya」には初めて泊まった。この涼しい場所ながらエアコンも完備しており、立地も最高の場所で眺望も抜群、「Natour」とは格段の差がある。値段も3倍近いということで毎週泊まるには考え物であるが、月に一度くらいは使ってみたかったという思いで一杯である。何でも先ず自分で確かめて見ることを実践しなかったことへの悔いが残る結果となった。

 これらのホテルがある地帯(Tretes)は、海抜約800Mくらいとの情報があるが、はっきりとした確認はしていない。エアコンなしでも、毛布がなければ寝れないほどの気温であり、800Mという話は事実に近いであろうと推定する。FINNAゴルフ場は、Tretesの手前で海抜が400−500Mという。ジャカルタやスラバヤの平地のゴルフ場で苦しめられる暑さとは無縁の世界である。この環境が1年余りで100ラウンドを越すプレイを可能にしてくれたということであろう。現場から往復5−6時間を厭わず毎週通えたのはこの環境があってこそと思う。

 FINNAゴルフに付随のバンガローも快適さ・豪華さでは多に類を見ないほどの素晴らしいもので、日本の雑誌でも写真入りで紹介されている。他の条件が整えば老後長期滞在の第一候補地であるが、いまは決心できる状況にない。仕事があって、仲間がいるという条件下では、物価も安く、多くの人が友好的なインドネシアは最大の魅力ある国の一つであることは間違いない。
         
<1999年4月27日記>


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