インドネシアで
(2)

 
インドネシア バリ島の夕日の光景

インドネシアで(1) 「インドネシアで」の目次

(1)「住めば都」、「季節のない国?」、「南国の花」、「南国の果物」
(2)「インドネシア語」、「ブロモ山」、「庭の草花」、「食事の話」、「新聞」
(3)「女性Caddieの話」、「物書きが好き?」、「西ジャワの海辺で」、「日本の歌」
(4)「選挙戦」、「小さなことにくよくよするな」、「最後の麻雀」、
   「インドネシア最後の日」 
    
インドネシアで(2)
インドネシアで(3)
インドネシアで(4)
ご隠居の戯言へ戻る

前書き

大型発電所の建設のプロジェクトで1998年から1999年にかけてインドネシアに滞在中に、
しかも1999年になってから、徒然なるままに書き綴った拙文を整理した。
特にテーマを設定したものではなく、その都度頭に浮かんだことを書き記したに過ぎない。



インドネシア語

インドネシアに長期滞在して1年が過ぎて、残りもあと1ヶ月余りとなってしまったが、インドネシア語もあまり上達しなままで終わりそうである。長期滞在が半年を過ぎた頃、その気になって勉強を始めようと試みたが、平日は13時間も現場事務所で時間を過ごし日曜日は終日ゴルフに時間を費やしてしまうため、勉強の時間がとれない。Caddie相手の勉強だけでは限界がある。

 インドネシア語は日本人には習得し易い言葉である。文法的にも日本語との共通点も多いし、発音も一部を除けばローマ字読みでよい。日本語と同じように、主語を省いても通じるし、単数・複数の差がない。また、時勢(過去、現在、未来)がなく、語彙も少ないので、ある程度まではすぐさま到達できる。数少ない基本的な文法と基本用語を覚えれば、後は語彙を増やすことに注力するだけ、発音を気にすることなく会話出来るのだ。

 言葉を覚える最短の道は異性の友達(恋人)を持つことであるというが、この歳ではもはやその気力もない。女性のいる飲み屋(バー、クラブ)に通って、女性との会話を楽しみながら上達をはかる道もあるが、酒を嗜まない(正確に言えば、健康上で医者から注意されている)小生はそういう場所に出入りすることは1年に1度程度しかない。

 半年ほど前に勉強を思い立った時、自由な時間を持てるのは日曜日のゴルフ場しかないことに気付き、その時間を活用するほかに道はない、と思い立った。

 さっそく、「ゴルフに行って、インドネシア語を覚えよう!」と題して、超初級者向け会話集と最低限必要な単語を纏めた「ミニミニ インドネシア語辞典」の作成に採りかかった。自分の会話の早期習得を狙いとしたが、同じような境遇の後続者が望めば利用を妨げないことも念頭においたものである。

 一気に数ページを作り上げたが、その後、進展することなく今に至っている。残りのインドネシア滞在が少なくなったこと、やりたい事が多すぎて時間が上手く配分出来ない事が言い訳であるが、何時かはケジメをつけておきたい。                              <1999年3月21日記>

後日談:
2005年の12月に何時ものメンバーとバリ島へゴルフに出かける前に完成させたいと言う強い意思を持って「ゴルファーのための超初級インドネシア語講座」なる小冊子(単語約1000語を収録)の作成にかかり予定通り完成させた。仲間にも配布したが、この作業を通して自分のインドネシア語の実力が格段に上がり、日常会話が辞書ナシで可能となった。この冊子は、このHP上に取り込んで改廃も容易になるようにしたいと思っている。

ブロモ山

インドネシアは、日本と同じように火山、しかも活火山の多い国である。小生が暮している東ジャワも例にもれない。宿舎から頂上まで自動車で約2時間の場所にも複式火山で、ご来光参りで有名な「ブロモ山」という名山がある。東南アジア各国から観光客が訪れており、時折日本からの観光客もあるらしい。絵葉書も発行されており、名勝の地であるという。近くに住んでいて、今まで訪れる機会がなく気掛かりであったが、本社から専務が来訪したのを幸いに、この機会を逃せば二度とチャンスはないという思いで44日に初めて訪ねてみた。

 ブロモ山地区は、昔イスラム教徒に追われたヒンズー教徒(イスラム教が入る前、インドネシアはヒンズー教徒が支配していたという)が逃げ込んで住みついた場所で、山麓から頂上近くまでインドネシアらしからぬ独特の情景をみせている。今は、高原野菜の産地としても有名になり、生活も豊かな様子である。畑の形態は、バリ島でみる有名な段段畑ではなく、山肌の急斜面にその斜面なりに開かれており、少しの隙間もなく有効活用しようという苦心の作品と見受けられる。その畑では、キャベツを中心にネギ、ニンジン、ジャガイモ、サトイモなど日本の畑と錯覚するような野菜類が栽培されており、今はキャベツの収穫の最盛期であった。イスラム教徒から追われて、山中に身を隠すようにしてひっそりと暮していた住民も、この高原野栽の成功で暮しも安定し豊かな農村と変化しているようである。ブロモ山の西側山麓では、南地リンゴも栽培されているという。

 外輪山の頂上まで登りつめると、そこは別世界、ミニ阿蘇山を思い出させるカルデラが一望でき、ミニ草千里も存在する美しい景観を楽しむことが出来る。外輪山の一番高い山が海抜やく2,700Mもあり、そこはひんやりとした冷気が漂い、薄いセーターが欲しいほどの気温となっている。ブロモ山は活火山で、いまでも休み無く噴煙を吹き上げておるが、阿蘇山同様、その火口を観ることも可能である。日本の都市近傍であれば、連日観光客で混乱するであろうと思わせる景勝の地である。ブロモの山並みの連なりの南端には、インドネシア ジャワ島で一番高い活火山(海抜約3,800M)が噴煙を上げているの観ることもできる。帰国前にこの機会をもてたことは幸運であった。
              <1999年4月9日記>   

庭の草花 

 宿舎の庭に幾種類かの花が1年中絶えることなく咲き続けている。その何本かを手折って、部屋に持ち込みウィスキーの空き瓶に刺してみた。一瞬部屋の雰囲気もなごやいだような気持ちになれる。

 庭の草花の一つに、日本でも馴染みのハーブの一つがある。ハーブはイギリスなど寒い国で栽培が盛んで、日本でのブームもイギリスあたりの影響が大きいと思い込んでいたが、必ずしもそうではないようだ。東南アジアの各国の山中で暮している原住民が重宝している薬草が、その源流である物が多いようである。

 2、3ヶ月前であるが、ある新聞記事で、マレーシア在住の若いオーストラリア人がハーブを加工した飲料、菓子を販売して大成功している例が紹介されていた。彼は新しいバーブの種類を探すために、東南アジア各国の山岳民族を訪ねまわり、原住民が昔から薬草としている草木の中から貴重なハーブを見出しているという。原住民は定住している場合が少なく、同じ人物を探し出すのが容易でないらしいが。勉強不足の小生にとっては、これは意外な事実の発見という気分である。

 前にも書いたが、ランを例外として南の国では「花」に感動する場面が少ないように思う。何時でも、何処にでも、それなりに存在する「花」、一瞬目を見張るような場所と瞬間に出会うということはない。

 日本の我が家の庭も、ここ数年の海外出張の多さとこの1年の長期インドネシア滞在で、すっかり荒れてしまった。春の花の全盛期は過ぎてしまうが、帰国してからも今年の花がまだ楽しめそうである。何とか早く前の状態に戻したものである。
                <1999年4月10日記>

食事の話

 東南アジア各国は何処へ行っても、日本人にとっては食事に関しての違和感はない。日本よりも油を多く使った料理、揚げ物が多い傾向はあるが、暑い気候で生物(なまもの)が傷み易いことから当然の現象であろう。

 日本では「焼き」もの、例えば焼き飯、焼き蕎麦と「揚げ」もの、例えば鳥の唐揚げ、魚の唐揚げは区別して表現する。インドネシアでは、英語の「フライド」と同様、同じ表現「ゴーレン」で言い表している。「ゴーレン」の前に、ナシ(飯)、ミー(麺)、アヤン(鶏)、イカン(魚)をつければ、それぞれ焼き飯、焼き蕎麦、鳥の唐揚げ、魚のフライとなる。この4種類の料理はインドネシアでも最もポピュラーな食べ物でもある。

 味付けも大きな違いは無いように思う。日本独特の醤油は、日本食屋以外では使用しないが、塩の味付けは共通のものがある。塩で味付けた鶏がらスープ(ソトアヤンという)は、薄味の関西(特に九州か)風の味付けと共通した趣があって、九州育ちの小生にとっては好みの料理である。インドネシア風スープ(ソトー)はバングラデッシュの一流ホテルでメニューに入っていた記憶があり、ナシゴーレンはサウジアラビアのヤンブーという都市のホテルのメニューでもお目にかかれた。それほどにインドネシア料理も世界的なものなのかも知れない。

 小生は、週末以外は毎食キャンプの食堂で食事しており、日本人コックが夫婦で働いているので、大方は日本食あるいは日本食まがいをとっている。この1年も食事で苦労したことは全くない。食欲不足や腹具合をおかしくしたことも、一度たりともない。食事が小生に合っているのか、小生の内臓が丈夫なのかは詮索することもなかろう。
              
<1999年4月13日記>

新聞

 日本ではあまり読むことが無い日経新聞(シンガポール発行の国際版)を1年余り購読した。日経新聞は、予想以上に自分が欲しい情報が多くて、読み始める前に抱いていた先入観を一変させるものがあった。日本へ帰ったら、読売から日経へ変更することを決めて、既に娘に手続きを依頼した。

 東南アジア地域で読まれている邦字新聞は、日本から発送されてものではなく、シンガポールで印刷されているのが多いとのことである。殆ど時差なしで、日本語で日本のニュースが手元に届くサービスが出来あがっている。

 何処にいても、日本のNHK国際放送が観られる時代であり、海外にいても日本の事情に疎くなるということもないが、文化、経済、政治、スポーツほか総ての分野の細かな情報の入手はテレビではなく新聞に頼わざるを得ない。

 インドネシアに住みながら、現地の新聞を読むことは殆どなかった。情けない事ではあるが、インドネシア情報も日本の新聞を経て入手したものが、比較的に多かったように思う。
                
<1999年4月21日記>


ご隠居の戯言へ戻る