□「平成30(2018)年ブログ」NO.1 平成30年1月1日〜3月31日  「BGMエンブレム」
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  • ■「春爛漫の風景」
    平成30年4月4日
    「今年最後の忘年会」
     今年の冬はことさら寒かったので、桜の開花は相当遅れると思っていたのに、昨年より8日ほど早く23日ごろに開花した。その後雨が降り気温が下がったせいか、我が居住地一番の桜は30日に満開となった。...続きを読む
  • ■「ナルシストへの警告」
    平成30年3月19日
    「ナルシストへの警告」
     いつもの散歩道に水仙の花を見つけた。図鑑によれば左側は、黄房水仙(キブサズイセン)で、右側は、黄水仙(キズイセン)である。可憐なこの花の花言葉は、...続きを読む
  • ■「学問の神様、史跡を訪ねる」
    平成30年3月11日
    「湯島聖堂」
     掲載の順が後になったが、例の3人組による芸術や歴史・文化史跡を巡り一献傾ける会を7日に実施した。今月のテーマは、学問の神様、学問の街・史跡を訪ね、...続きを読む
  • ■「春の大雨」
    平成30年3月9日
    「四大学連合文化講演会」
     このところ、爆弾低気圧とかの影響で、頻繁に台風並の風や大雨に襲われるようになってきた。そのたびに、蒙る被害は増大し、被災の悲劇が繰り返されている。...続きを読む
  • ■「サンタルチア」
    平成30年3月6日
    「センター祭り」
     20台の頃だったと思うが、TVでイタリアの歌手が、この歌「サンタルチア」を歌うのを聴いて、ひどく惹かれたことを思い出す。この歌の旋律、情感あふれる歌い手の歌い回しや声量、...続きを読む
  • ■「春遠からじ」
    平成30年3月2日
    「春遠からじ」
     暦の上では「雨水」を過ぎた。雨水が温んで草木が発芽し始める季節になり、もうすぐ「啓蟄」を迎えようとしているが、今年の2月は特別に寒く、冬はいつ明けるのか、...続きを読む
  • ■「故郷の豪雪」
    平成30年2月19日
    「故郷の豪雪」
     故郷の福井で2月4日から降り始めた雪が、7日には147cmに達した。報道によると昭和56年豪雪以来37年ぶりの記録的な大雪となったようだ。この大雪のために、国道8号線に車が1,400台も立ち往生するなど、 ...続きを読む
  • ■「冬の帰省で思ったこと」
    平成30年2月2日
    「冬の帰省で思ったこと」
    このところ、1月に帰省するたびに列車の遅延事故に遭遇することが多くなった。昨年は1月24日の降雪によって、北陸線の電車が遅延したため、予定の新幹線への乗り継ぎが出来ず、 ...続きを読む
  • ■「転倒」
    平成30年1月26日
    「最後の収穫を待つ稲田」
     22日から23日にかけて20cmを超える雪が降った。20cmを超える降雪は2014年2月15日以来4年ぶりのようで、23日は、雪かきに大わらわとなった。...続きを読む
  • ■「腹立たしく思った日」
    平成30年1月24日
    「腹立たしく思った日」
     ジムからの帰りにバスに乗った。丁度午後5時ごろだったので、駅始発のバスは混んでいた。小生が乗り込んでからしばらくして、老婦人が荷物を手に提げて乗り込み、...続きを読む
  • ■「躊躇」
    平成30年1月23日
    「躊躇」
     ここにきて、我が家の家電製品に故障が起こってきた。2か月ほど前にテレビの画像が消える故障が起こり、修理した矢先に、今回は冷蔵庫の取っ手が外れてしまった。...続きを読む
  • ■「超一流の世界に再起をかける」
    平成30年1月22日
    「超一流の世界に再起をかける」
     このところ、胸筋を痛めた某横綱の再起が注目されているが、今場所も再起の兆候が見られない。プロ野球の世界でも米大リーグで活躍をした超有名某投手も、...続きを読む
  • ■「石内都の「肌理(きめ)と写真」展」
    平成30年1月6日
    「石内都の「肌理(きめ)と写真」展」
     横浜市民ギャラリーあざみ野でボランティアをしているものを対象に、横浜美術館で開催されている「石内都の「肌理(きめ)と写真」展の鑑賞会に出かけた。...続きを読む
  • ■「誤報の緊急地震速報とリアルな地震」
    平成30年1月6日
    「誤報の緊急地震速報とリアルな地震」
     この日、午前11時(正確には11:02)ごろ携帯のアラームがけたたましく鳴った。画面を見ると「茨城沖で地震発生、強い揺れに備えてください」となっていた。...続きを読む
  • ■「今年の正月に思ったこと」
    平成30年1月3日
    「今年の正月に思ったこと」
     今年の正月は、喪中のため祝い事を控えたが、TVを始め放送、報道関係から届く正月の風景を見て、新年を祝うこの伝統文化に改めて思いを馳せた。...続きを読む
  • ■「ご挨拶」
    平成30年1月1日
    「ご挨拶」
     本年も一生懸命愚痴っていきたいと思います。...続きを読む

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  • ■「春爛漫の風景」
    平成30年4月4日
  •  
    「我が居住地の主役を張る桜」            平成30年3月30日撮影
    「春爛漫の風景」
     今年の冬はことさら寒かったので、桜の開花は相当遅れると思っていたのに、昨年より8日ほど早く23日ごろに開花した。その後雨が降り気温が下がったせいか、我が居住地一番の桜は30日に満開となった。この桜に釣られてか、周辺の里山の花々も競うように咲き始め、横浜寺家ふるさと村は今日(4月3日)も春爛漫の日が続いている。
  • 「我が居住地の主役を支える桜」           平成30年3月30日撮影
    「春爛漫の風景」
     主役を支えんと、右隣にどっしりと腰を据えて淡いピンクの花びらを咲かせる。その独特な色に奥ゆかしさが感じられる。
  • 「ふるさと村の里山を覆う」             平成30年3月30日撮影
    「春爛漫の風景」
     桜の花に覆われたふるさと村の里山は、今年一番の春爛漫を呈していた。
  • 「ふるさと村の釣り堀・熊野池も桜に覆われて」    平成30年3月30日撮影
    「春爛漫の風景」
     里山の中にある熊野池の釣り堀も桜に覆われて、釣果を危ぶませているように見えた。
  • 「寺家ふるさと森の入口」              平成30年3月30日撮影
    「春爛漫の風景」
     訪問者を、春爛漫の森に誘い込もうとしている寺家ふるさとの森の標識にも、春が匂い立っていた。
  • 「ふるさと森に分け入って」             平成30年3月30日撮影
    「春爛漫の風景」
     森の中は、芽吹き始めた草木の息吹が充満していて、訪問者を異次元の世界に誘っていた。
  • 「ふるさとの森に架かる橋は異次元の世界に・・・」  平成30年3月30日撮影
    「春爛漫の風景」
     ふるさと村の森に架かる橋が、異次元の世界に繋がれているのではないかと錯覚を起こさせるように見えたのは、春の息吹のせいなのかもしれない。
  • 「ふるさとの森の出口付近の風景」          平成30年3月30日撮影
    「春爛漫の風景」
     桜満開のこの出口の風景を、独り占めするのはもったいなすぎる。誰と分かち合いたいかと問われている気がしたが、返答に窮する自分に戸惑いを覚えた。
  • 「ふるさとの森のむじな池」             平成30年3月30日撮影
    「春爛漫の風景」
     この池は、少し奥まったところにあるので、訪問者に愛でられることは少ないに違いないが、人目を気にせず、妍を競うわけでもなく、凛として控えめな自己主張をしているここの桜に、一番惹かれてしまう。今年もその佇まいは変わらなかった。
  • 「ヤマツツジ」                   平成30年4月1日撮影
    「春爛漫の風景」
     我が住宅地の法面に咲いていたこの花のことを今まで気づかなかった。「ヤマツツジ」だと思うが、可憐な紫がかったピンクの花は、とても清純に見えた。住民の心を諭そうとしているのかもしれない。
  • 「チューリップ畑」                 平成30年4月3日撮影
    「春爛漫の風景」
     ふる里村の畑に、今年もチューリップの花が満開になっていた。今年は例年に比しオレンジ色の濃い熱情的な花が目立った。
  • 「チューリップの花のなか」             平成30年4月3日撮影
    「春爛漫の風景」
     それらの花の中を覗くと、花々の活き活きとした喜びの息吹が感じられた。今年は、跋扈し始めた内外のリーダ・独裁者を忖度しなければならないような事態にまどわされ、不信と不安な幕開けとなっている。自然界でこういったことは起こってもらいたくないが、人間の傲慢な生き方によっては分からない。温暖化による独裁的な自然が目につき始めた気がするが、チューリップの花を見ていても気付かない。


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  • ■ 「ナルシストへの警告」
    平成30年3月19日
  • 「ナルシストへの警告」
    「ナルシストへの警告」
     いつもの散歩道に水仙の花を見つけた。図鑑によれば左側は、黄房水仙(キブサズイセン)で、右側は、黄水仙(キズイセン)である。可憐なこの花の花言葉は、「うぬぼれ」「自己愛」。水鏡に映った自分の姿に恋をしてスイセンになってしまった美少年ナルキッソスの伝説に由来しているとなっていた。

     その伝説「スイセンとギリシア神話」をそのまま引用すれば、「美少年ナルキッソスは、その美貌によりさまざまな相手から言い寄られたが、いつも冷たい態度をとりました。森のニンフ(山、川、森、谷に宿る精霊)のエーコーもナルキッソスに恋をしましたが、彼に相手にしてもらえず、屈辱と恋の悲しみからやせ衰え、ついには肉体をなくして声だけの存在になってしまいました。」

     それで、「復讐の女神ネメシスは怒り、その呪いによりナルキッソスは水面に映る自分の姿に恋をしてしまいます。しかし、水面の中の像はナルキッソスの想いに応えることはなく、その恋の苦しみで彼は憔悴して死んでしまいました。そして、ナルキッソスの体は水辺でうつむきがちに咲くスイセンに変わりました。だからスイセンは水辺であたかも自分の姿を覗き込むかのように咲くといわれます。」(ここまで伝説の引用)

     今世界の情勢は、独裁を目指さんとする国家のリーダーがやたらと多くなってきており、時代を逆行させかねない形相を呈してきている。誠に由々しいことになってきたと危惧されるが、そのもとを糺せば、その国家・リーダの強烈な「うぬぼれ」「自己陶酔」に起因しているのではないかと思う。

     他人、他国から寄せられる愛のメッセージを、素直に受け止める度量を示さなければ、いつか「復習の女神ネメシス」が怒りだすに違いない。そして「うぬぼれ」の効果は、ブーメランの如く自身、自国に跳ね返り、取り返しのつかない影響を受けるであろう。歴史を振り返れば、過去に何回となくスイセンの気持ちを味わわされてきたのではないか。それなのに性懲りもなく・・・、道端の水仙の鮮やかな黄色は、既に「復習の女神ネメシス」が行動を起こした警告なのかもしれない。


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  • ■ 「学問の神様、史跡を訪ねる」
    平成30年3月11日
  • 「学問の神様、史跡を訪ねる」
    「湯島聖堂」
     掲載の順が後になったが、例の3人組による芸術や歴史・文化史跡を巡り一献傾ける会を7日に実施した。今月のテーマは、学問の神様、学問の街・史跡を訪ね、ボケがこれ以上進まないようにと祈願をすることであった。全国各地に学問に関わる寺社や史跡があって、昔から我が国の教育に関する関心の高さが伺えるが、東京では、湯島周辺にそのことを象徴する有名な史跡や神社があることを知った。そこで、今回はこの周辺を巡り、遅まきながら学問の恩恵に与られるように願った次第である。

     この時期は、寒さも緩み散策するには一番適した頃のはずなのに、今日は一段と寒く16時を過ぎた東京の町は、真冬並みの有様で、訪問した先々の史跡、神社は何処もまばらで、訪問すること自体が修行のように感じた。
  • 「湯島聖堂」
    「湯島聖堂 大成殿」
     最初に訪問したのは湯島聖堂。上野忍岡にあった林羅山邸内の孔子廟が5代将軍・綱吉によって湯島へ移され、規模を拡大したものが湯島聖堂。1797年その西隣に幕府直轄の昌平坂学問所が開設されたと説明に記されていた。
  • 「湯島聖堂」
    「湯島聖堂 孔子の像」
     昌平坂学問所の跡の案内板を見、堂内の孔子の像にぬかずくと、近代日本の学問の曙に尽力した先人たちの思い入れの吐息が聞こえてきそうな気がした。
  • 「神田明神」
    「神田明神」
     次に、地続きの神田明神にお参りした。この神社は 江戸東京に鎮座して1300年近くの歴史をもち、 江戸時代には、「江戸総鎮守」として将軍様から江戸庶民にいたるまで江戸のすべてを守護されたそうだ。
  • 「神田明神」
     そして今もなお、東京―神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108の町々の総氏神様として、江戸の素晴らしき伝統文化を保ちながら、絶え間なく発展と創造を繰り返す東京都心をお守りいただいていると説明にあった。
  • 「神田明神」
     境内には、小唄塚や銭形平次の碑などもあり、庶民文化の象徴がこの神社には垣間みえる。そして、近代ビル群に囲まれたその佇まいに、絶え間なく発展と創造を繰り返す東京都心との悠久な歴史の繋がりが感じられ、凝縮された江戸庶民の知恵が感じられた。
  • 「湯島天神」
    「湯島天神」
     この後、湯島天神に向かった。この神社には「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」を詠われた学問の神様・菅原道真が祀られている。折しも明日(8日)まで梅まつりが開催されている中だったので、参詣には最も相応しい日になった。
  • 「湯島天神」
     説明書きによれば、古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れるが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。とあった。合格祈願の絵馬が鈴なりになっている光景に、我が国の教育に関する関心の高さが表徴されている気がした。
  • 「湯島天神」
    「湯島の白梅」
     ちなみに、湯島天神と言えば「湯島の白梅」で梅の名所になっている。境内には約400本の梅の木が植えられているようだが、これを有名にしたのは、泉鏡花の小説「婦系図」とのことである。この碑の前に立つと、早瀬主税とお蔦の別れ話の舞台が浮かんでくるが、清純で凛とした白梅は、当時の左大臣の藤原時平からねたまれ、あらぬ罪で、大宰府に左遷させられた道真の気持ちを忖度しているようにも見えた。

     いま、どこやらで「忖度」が話題となり、機能マヒに陥っている。「忖度」するなら「学問の神様」のような方の心を慮るべきであって、「我利我利亡者」を慮るべきではない。その昔、いい学校に入り、立派な人にならんと、学問の神社に願をかけ、絵馬をつるしたはずでははないか。我々はもう一度、その原点に立ち返り、神様の前にぬかずき、願掛けした初心を真摯に問うべきであろう。

     今日は、学問の神様の恩恵に与り、ボケ防止を祈願する積りだったが、寒い修行の1日となったためか道が逸れてしまい、当日の懇談は、いつもの通りと言おうか、誰やらを糾弾することになってしまった。「年寄りの冷や水」は当分収まりそうにもない。


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  • ■ 「春の大雨」
    平成30年3月9日
  • 「春の大雨」
    「普段の子供の遊び場」
     このところ、爆弾低気圧とかの影響で、頻繁に台風並の風や大雨に襲われるようになってきた。そのたびに、蒙る被害は増大し、被災の悲劇が繰り返されている。この現象は、世界各地で起こっており、温暖化の影響が避けられない状況にあることを改めて思い知らされる。
  • 「春の大雨」
    「大池と化した公園」
     先日(3月8日)も、夜通し我が居住地域に降った大雨は、この時期にしては稀に見る雨量で、子供らの遊び場になっている公園が水浸しになり、大きな池と化した。水害対応用に設計された公園ではあるが、こんな風景を見たのは、この地に住まってから35年ほど経つが初めてである。

     風も吹いたらしく、この公園に続いている里山の古木が根こそぎ倒れているのもあった。幸いにして、今回は大きな被害は出なかったが、こんなことが日常茶飯事化していきつつあることに危惧の念を持った。こういった状況に麻痺して何も手を打たないことが最も案じられる。

     我々が打たなければならない手は、温暖化へ歯止めをかけること、温暖化につながる要因を断つことであり、生活様式を変えることであろう。大変苦しい試練になるだろうが、乗り越えていかなければ将来はない。

     贅沢な生活に慣れ切った人間にやれないのであれば、今はやりのAIに託すしかないのかもしれない。朝起きてから寝るまで、食事の供給から何から何まで一切を、温暖化の歯止めを目指す高度な学習機能を持つAIに、管理してもらうということである。地球の危機を救うのであれば、こんなAIの使い方には、賛成の票を投じてもいいと、大池と化した公園の淵に立って思った。


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  • ■ 「サンタルチア」
    平成30年3月6日
  • 「サンタルチア」
    「サンタルチア」
     20台の頃だったと思うが、TVでイタリアの歌手が、この歌「サンタルチア」を歌うのを聴いて、ひどく惹かれたことを思い出す。この歌の旋律、情感あふれる歌い手の歌い回しや声量、そして歌詞(日本語訳)等この歌のもつ不思議な響きに惹きつけられ、それに当時の小生の心境がシンクロナイズしたからに違いない。ようやく社会人として独り立ちできるようになり、育ててもらった故郷に対する感謝の気持・情感のほとぼりがこの歌の響きに同調したのだと思う。

     以後、何かにつけ故郷を想う時自然とこの歌が頭を駆け巡るようになった。レコードも聞くようになった。下手ながら日本語歌詞で鼻歌を歌うようにもなった。最近、ネットで歌巡りをしていた際、Youtubeの中でこの歌を熱唱・指導しているコーナを見つけ、さらにのめり込み原語で歌えるようにとの思いが強くなった。

     今更ながらと思うが、この年になって火がつくと止めようもなく、毎夜Youtube参りを続け、日中に誰も歩いていない田んぼ道を横目に、散歩をしながら声を張り上げ練習にいそしんでいる。小生の歌は、小さい時から「ねぶか(田舎ではネギの事:節がない)」と言われたり、「味噌が腐る」とか言われてきたので、人様にご迷惑をおかけすることだけは、絶対に避けなければならないのである。

     その分、畑で虫をついばんでいるカラスどもが迷惑を受けているようで、小生が歌い始めると、驚いたように一斉に飛び去って行く。最近では、慣れたせいなのか、小生の歌が少し良くなったのか、飛び去る数は減ってきた。来月、田舎で小学校時代の友人たちとの懇談会が予定されている。それまでに、カラスが逃げなくならないほど、腕を上げることが出来たら、彼らの前で感謝の気持ちを込めて、熱唱したいと思っているところだ。果たして、カラス殿の判定やいかに! カラス殿の挙措が気になる日々となっている。

     ※□サンタルチアの歌の魅力を確かめたければ是非お聴きください。


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  • ■「春遠からじ」
    平成30年3月2日
  • 「春遠からじ」
    「春遠からじ」
     暦の上では「雨水」を過ぎた。雨水が温んで草木が発芽し始める季節になり、もうすぐ「啓蟄」を迎えようとしているが、今年の2月は特別に寒く、冬はいつ明けるのか、と「春の遠さ」を暖房の効く部屋でごちる日が続いた。
  • 「菜の花」
    「菜の花が芽吹く」
     そんな日が続く中、24日に久々に散歩道に出てみたら、菜の花が芽吹き、
  • 「梅林」
    「梅の花が真っ盛り」
     梅林には花が真っ盛り、
  • 「鳥たち」
    「一族郎党の鳥たち」
     鳥たちも春の気配を感じてか一族郎党で新居の巣作りを始めようとする風景に遭遇した。まさに「春遠からじ」確実な季節の巡りを実感した。

  • 「雪の山」
    「雪の山」
     ところが、28日に帰省して、除雪でうず高く積まれた雪の山々に、豪雪に泣かされた故郷の姿を見せつけられたとき、故郷で育まれた我が春への思いが蘇り、「冬来たりなば春遠からじ」を思い知った。豪雪の被害を受けた方々が、苦境を耐えぬかれ早く幸福・繁栄の時期を迎えられる確実な季節の巡りを、念じないわけにはいかなかった。


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  • ■ 「故郷の豪雪」
    平成30年2月19日
  • 「故郷の豪雪」
    「故郷の豪雪」
     故郷の福井で2月4日から降り始めた雪が、7日には147cmに達した。報道によると昭和56年豪雪以来37年ぶりの記録的な大雪となったようだ。この大雪のために、国道8号線に車が1,400台も立ち往生するなど、各交通機関が麻痺状態に陥り、生活にも支障をきたすようになったと、田舎(芦原)に住む弟から連絡が入った。

     8日に彼から、コンビニやスーパーでは、食料品の入荷が途絶えてしまい、冷蔵庫の中に蓄えてあるものでやり繰りしなければならなくなった、との悲鳴が聞こえてきたので、大慌てで食料品を買い、段ボール一杯に詰め込んで、スーパの窓口で現地に送る手配をした。手配は午前中に終わったが、午後5時ごろにスーパから、この荷物は大雪の影響を受けて、物流業者が受けてくれないとの連絡が入った。

     どうやら、スーパの店員は物流業者の情報を確認しないまま受けてしまったので、状況が分かるまでに時間が掛かってしまったが、必要なものを、必要なときに送れないのは本当に困った。スーパーの窓口担当に、中身は腐るものは入っていないので、道路事情が好転したら送ってくれるよう依頼してその日は引き下がったが、翌日も事情は変わらず、荷物の引き取りをお願いされた。

     郵便で何とかできないかと思ったが、3連休に入ってしまい八方塞がりで、じりじりと気を揉んだが、天災だからどうしようもない。改めて自然の脅威を感じないわけにはいかなかった。雪国だから雪害対策には十分なノウハウを持っているはずなのに、37年間事なきを得ていたので気が緩み、伝家の宝刀もすっかりさび付き、被害を拡大してしまったのかもしれない。

     連休明けの13日に郵便局に駆け込み送付の手配を行った。2-3日遅れるかもしれないと言われたが、予定通り翌日には配達された。時期は大分失したが、現地のスーパでは、未だ十分補給されている状況ではなく、お役に立ったようでほっとしたところだが、この大雪のほぼ1週間前に帰省した折に、変な予感を感じたことを1つ前のブログで掲載したことが、まさか現実になろうとは思いもしなかった。

     本日(2月18日)、東京の某ホテルで、高校の関東支部の同窓会総会が開催された。福井から駆け付けた来賓の挨拶に、今回の雪害がどれほど酷かったかや、道路事情が改善されるには、まだ1週間はかかるとあった。自然を甘く見たつけであろう。パーティの料理を見ながら、故郷の食事情に思いを馳せり、先人の「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を肝に銘じなければならないと思った。


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  • ■ 「冬の帰省で思ったこと」
    平成30年2月2日
  • 「冬の帰省で思ったこと」
    「冬の帰省で思ったこと」
     このところ、1月に帰省するたびに列車の遅延事故に遭遇することが多くなった。昨年は1月24日の降雪によって、北陸線の列車が遅延したため、予定の新幹線への乗り継ぎが出来ず、1.5Hの遅延となった。一昨年は1月18日の大雪のため、新横浜に着くまでに3時間を要したが、予定の新幹線に乗れず、結局1時間の遅延となった。冬ではないが、一昨年の4月18日には、低気圧の影響で、米原駅で2時間缶詰を食らった。等々、帰省するたびに自然の猛威にしばしば遅延を余儀なくされている。

     ところで、今年は例年になく大雪が予想されていたので、1月31日〜2月2日にかけての帰省に問題がなければと危惧していたのだが、まさか的中するとは・・・。
     帰省する3-4日前に大雪が降ったが、それ以降降雪は続いていなかったので問題は起らないと思っていた。ところが2日の帰りに改札口で切符を見せたところ、駅員からこの列車は運休になったので、窓口で手続きをするようにと指示された。

     天候状況から判断しても、耳を疑う話だったので駅員に詳細を確かめたところ、1本前の列車が米原近くのところで、凍てついた信号機の故障の影響を受けて、大幅に遅延をおこしたため、小生の予定した列車と次の列車を運休せざるを得なくなったとのことだった。結局2時間後の列車に切り替えるしかなく、福井駅で2時間待たされることとなった。

     切り替える際に、駅員に切り替えた後の列車は大丈夫かと念を押したところ、正常に運転出来る見込みだから大丈夫との確約を得たのだが・・・。敦賀を過ぎたころから列車は心持ち減速し始めた。すかさず車内に、車両筐体付近に氷が付着しているのでここから先は少し減速する。現在約5分の遅れである旨の放送が流れた。やれやれまたかと思ったが、5分程度の遅れであれば新幹線への乗り継ぎは十分間に合う範囲であったので、冷静に放送を受け止めることができた。

     ところが、2-3分しない内に、列車はさらに一段とスピードを落とした。落雪が起こって窓ガラスに影響を受ける可能性があるとのセンターからの指示を受け、スピードを落として走行しなければならない、との放送が車内に流れた。これでは、新幹線の乗り継ぎは絶対に無理だと思った瞬間に、車内では、スマホを操作し乗り継ぎを調べ始める風景があちこちに現出した。文句を言うものは見当たらず、ただ黙々と操作をしている風景は、異様な雰囲気を醸していた。

     結局新幹線は、さらに1時間遅れの便に乗るしかなく、当日は予定より3時間遅れとなった。雪国のローカル線は雪害対策も最先端の技術を駆使しているに違いないが、2年ほどの間にこれほどトラブルに合うのは、自然の威力の前には、未だ成すすべがないことを思い知るしかない。

     昨今、異常気象が多発し始めてきており、このようなことに直面するのは、避けられないに違いない。その原因の多くに、我々の生活習慣(エネルギーの大量消費)が関わっている、と指摘されているのを聞くと、何ともやるせない思いがする。長期の天気予報を聞くにつけ、今年は、これからまだまだ自然の猛威の前に平伏(ひれふ)さなければならないことが、起こりそうな予感がしてならない。


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  • ■ 「転倒」
    平成30年1月26日
  • 「転倒」
     22日から23日にかけて20cmを超える雪が降った。20cmを超える降雪は2014年2月15日以来4年ぶりのようで、23日は、雪かきに大わらわとなった。ほとんどが勤務が免除されている住人(定年となった高齢者と家を預かる主婦たち)だったが、日頃の働きぶりを発揮せんと頑張り、短時間のうちに生活周りの道路を完璧に除雪した。

     ところが、いつも散策する公園周りの道や里山周辺の道は、手つかずで自然の融雪に任せるしかないのが、この辺の雪が降った時の事情である。いつもなら、降雪があった翌日以降は天気も良くなり、気温も上がるので自然の融雪にはそれほど時間を要することはないのだが、今年は、異常低温の日が続き、この辺りの道路は依然として融雪が進んでいない。

     それでも大分融雪が進んだので26日に散歩道に踏み込んだ。踏み込む前に、知人のKさんとすれ違い、未だ融雪していないテカテカに凍っている所があるので充分注意されるようにとの忠告を受けた。当方、雪国育ちだからという思いもあって、忠告を重く受け止めなかった。むしろ我が意を得たりとばかり勇んでこの道に入り込んだ。

     日陰の続く散歩道の入口はところどころテカテカで、それに続く20段ほどの階段道は、真ん中20cmほどが融雪されてはいたものの、両脇はテカテカで手すりにつかまって下ることはできない状況であったが、何とか下まで降りることができた。散歩の本番はこれからという道の端に立ち先を見ると、2m幅の道の真ん中30cm位がテカテカにひかり、両脇は雪が積もった状況を呈していた。

     運動靴を履いてこういった道を進むには、両脇の積もった雪を踏みしめて歩くのが鉄則なのだ。鉄則通り5mほど進み、難なくこの関門を通り抜けるところまできた。ところがそこから本通りに戻るのに、どうしても1歩テカテカの場所を踏まなければならないことになった。危ない道はほとんど過ぎていたこともあって、気が緩んでいたのか、雪国生まれという過信からか、無造作に左足をそのテカテカに踏み込んだ。その刹那、左足が宙に舞い尻からドスンと落ちた。

     何十年かぶりに、道端で寝転がりながら冬の青空を仰ぎ見ることとなった。幸い、昔取った杵柄、右手で受け身をしたので頭を打つことはなく大事には至らなかったが、極まりが悪いことこの上もなく、何事もなかったように起き上がるのに苦慮した。この時期、TVから流れてくる転倒事故を少々馬鹿にしてきた。こんな雪で転倒するなんてと、雪国育ちを鼻にかけていたのに。まさか自分がそんな目に合うとは。

     故郷を離れて50年以上が経ったことや、物忘れが激しくなってきたことを重ね合わせると、もはや雪国育ちの経験が何の役にも立っていないことを知るべきなのだ。すべからく過去の経験を過信してはならないということであろう。これからは、何事にも謙虚にという戒めだったのだと思う。それにしても痛くて恥ずかしい転倒だった。


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  • ■ 「腹立たしく思った日」
    平成30年1月24日
  • 「腹立たしく思った日」
     ジムからの帰りにバスに乗った。丁度午後5時ごろだったので、駅始発のバスは混んでいた。小生が乗り込んでからしばらくして、老婦人が荷物を手に提げて乗り込み、小生の隣にきた。混んでいたので立つしかないわけだが、どうも足元がおぼつかなく、バスが動き出せばよろよろしそうだったので、倒れては危険と思い、向きを変え備えた。

     小生の前には、50代後半に見える夫人が席に座りじーっと出発を待っていた。その後ろの席には20代後半の女性が席に座っていた。明らかにこの2人の女性には、かの老婦人の様子は視野に入っていて、状況もわかっていたはずなのに、席を譲る気配は全くない。小生の右隣に立っていた30代の女性も、この状況を見て何か気になる風に見えた。恐らく小生と同じ思いをしているのではないかと思い、気を取り直し座席に座っている女性たちに、席を譲ったらどうかとの思いを態度に表して、促してみたが一向に気付いてくれず、しまいには、目をつむり無視を決め込んだ。

     いささか腹立たしくなってきたがどうすることもできず、流れに任せながら3つ目の停車駅に着いた。ここで、20代女性の後ろの席に座っていた方が降車し席が空いた。当然ここに老婦人をと思った矢先、右隣の30台の女性が座ってしまった。信頼しきっていだけに隣の女性に裏切られた思いは深く、腹立たしさは頂点に達した。若いからと言って立ってはいられない理由もあるだろうが、3人も続けてそのようなことは考えにくい。疲れ切って老人に配慮するどころではないのか、もともとそんな気などサラサラないのか、我が家周辺に住まう方々の気持ちを図りかねた。

     高齢化は一層進むが、我々は、人に甘えてはいけないことを、このバスの中で思い知った。ジムで鍛え直さなければならないことを肝に銘じ、終点で降車した老婦人を見送った。(老婦人は、4つ目の停車駅で座ることが出来たことを付け加えておく)。


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  • ■ 「躊躇」
    平成30年1月23日
  • 「躊躇」
    「冷蔵庫の次は・・・」
     ここにきて、我が家の家電製品に故障が目立ってきた。2か月ほど前にテレビの画像が消える故障が起こり、修理した矢先に、今回は冷蔵庫の取っ手が外れてしまった。購入した時期が同じだったせいか、使用に耐える時間もほぼ同じように正確に伝えてくる。それでも、今回の場合は冷蔵機能が落ちているわけではないので、開ける時にちょっと工夫が必要だが一向に不便は感じていない。Made in Japanの中味の作り込み品質のすごさに、今更ながら感じ入る。

     ところが先日、娘が孫を連れて遊びに来た際この状況を見て、どうしてすぐに買い替えないのかと、やや非難めく言葉を放った。当方としては、まだ使えるのにもったいないという気持ちと、経済的負担をできるだけ後回しにしたいという思いが錯綜し、そう簡単に決断できないのである。優柔不断と言われればその通りだが、生まれてから育まれてきた価値観の相違でもある。

     老若男女を問わず、こういったケースに躊躇なく買替を決断できる方を羨ましく思う。が、もったいないという気持ちから躊躇する価値観を失ってはいけないのではないか。貧乏性の価値観で経済が成長しないことは理解している積りだが、何でもかんでも経済原則だけで判断しようとすることには抵抗感を抑え難い。そういう風に生きることを教えた親を怨むしかないが、地球にやさしい生き方をしなければ、破滅的な報いを受けることになるのは必定と言われ始めてきていることを思えば、親の先見性に思いが至る。

     しかして、我が子にこのような教えをしてきたか、躊躇しない決断を迫る我が子にたじろいでしまう。冷蔵庫のほかに次は何が故障するか、躊躇する日々は続く。


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  • ■ 「超一流の世界に再起をかける」
    平成30年1月22日
  • 「超一流の世界に再起をかける」
     このところ、胸筋を痛めた某横綱の再起が注目されているが、今場所も再起の兆候が見られない。プロ野球の世界でも米大リーグで活躍をした超有名某投手も、利き腕の手術を受けてから坂を転げ落ちるように力を落とし、今では、日本の球界での活躍も覚束ない状況になっている。幸い、最近名古屋の球団と契約することになったとのことで、今年の活躍を大いに期待したいところだが・・・。

     思えば、もう十数年前になるが、小生が会社で保持していたバレーボールの担当をさせられていた折、我がチームのエースの某選手が肩を痛め手術を受けた。その後の再起に向けた訓練、努力はすさまじいものがあったが、往年の力強い豪快なスパイクは蘇ることはなかった。選手寿命に関わるもので、彼の無念の思いは我々関係者や、ファンが推し量れないほどだった。

     このような事例は、履いて捨てるほどあるに違いない。中には、再起を果たして成果を上げられた選手もいるだろうが、少数派なのだと思う。痛めたり、怪我をするのは大抵利き側(利き腕、利き足、利き腰等々)に起こる。一流であればあるほど、そこに負担をかけてでも成果を求めるからであろう。そして直しても、そこを庇うためほかのところに負担をかけ、結果全体のバランスを崩し、元の状況にはなかなか戻りづらいのが現実である。

     加えて、試合から遠ざかることで試合勘が鈍るという悪循環に陥り、選手寿命を断たれるのは必然となる。小生も実際にこのような事例を目の当たりにしたので、彼らの悲哀を理解できるが、改めて超一流の場で競うことの厳しさを思い知らされる。超一流の場であるからこそ、ちょっとしたスキも、誤魔化しも通じない世界なのだ。

     これは、スポーツの世界だけで起こっている訳ではない、頭脳を振り絞って戦う囲碁・将棋や、芸術、著述、技術など創造を生業とする世界でも起こっているのだと思う。そして、彼らの利き脳を痛めたときには、同じ悲哀を感じるに違いない。
     翻って、小生の利きもの(身体機能、脳)に徹底的に負荷をかけて何かに向かったか、と、自問してみたが、所詮3流以下の甘い世界に住する者には、自問すること自体が無駄であることを思い知った。

     ところでこのところ、将棋や卓球やその他のスポーツにも超若手が活躍しだし、超一流の世界を見せつけられるようになって、再起をかけて頑張っている選手に、一層熱い思いがよぎるようになった。それは、惰眠を貪る3流以下の世界に住まう者の自省と、彼らの再起を通じて、一流の世界を身近に感じたい淡い願望の表われなのである。


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  • ■ 石内都の「肌理(きめ)と写真」展
    平成30年1月6日
  • 「石内都の「肌理(きめ)と写真」展」
    「石内都の「肌理(きめ)と写真」展」
     横浜市民ギャラリーあざみ野でボランティアをしているものを対象に、横浜美術館で開催されている「石内都の「肌理(きめ)と写真」展の鑑賞会に出かけた。学芸員のギャラリートークによれば、石内都は、1979年に木村伊兵衛写真賞を受賞したり、2014年にアジア女性としては初めてハッセルブラッド国際写真賞を受賞するなど、いま国際的に最も高く評価されている写真家の一人だそうである。こんな著名な写真家なのに、小生は、今日説明を受けるまで存じ上げていなかった。芸術の世界と遠く離れている証拠である。
  • 「絹(Silk)」
    「絹(Silk)」
     会場は、1.横浜(Yokohama)、2.絹(Silk)、3.無垢(Innocence)、4.遺されたもの(Belongings)の4つのテーマに分かれて展示されている。思春期を過ごした横須賀や横浜の「風景や建物(旧赤線跡地、住人のいなくなったアパート)」などのモノクロの作品から、被爆した女性が纏っていた絹の衣服を撮影したことを期に、日本の近代を支えた「大正・昭和の女性達が愛用した絹織物」のカラーの作品、生きることの根源的意味(無垢)を問いただす「女性の身体の傷跡」の写真、更に、「亡き母や被爆者らの遺品」の写真作品を通して、存在と不在、人間の時間の痕跡を一貫して表現する展示になっている。
  • 「遺されたもの(Belongings)」
    「遺されたもの(Belongings)」
     何かの思いを伝える、何かを問いただそうとする写真は、喜びや歓喜を表現する写真とは異なり非常に重く感じられる。作品から問われ思いを巡らせると、動けなくなってしまうほど重圧を感じるということで、作家の思いに絡めとられてしまう印象を受けた。とても重々しいが、時々はこういった芸術写真展を観ることで、人間として生きるべき道しるべを失わないようにと思った。なお、この展覧会は、3月4日まで横浜美術館で開催されているので、お暇があれば是非足を運ばれたらと思う。


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  • ■ 「誤報の緊急地震速報とリアルな地震」
    平成30年1月6日
  • 「誤報の緊急地震速報とリアルな地震」
     1月5日午前11時ごろ(正確には11:02)携帯のアラームがけたたましく鳴った。画面を見ると「茨城沖で地震発生、強い揺れに備えてください」となっていた。比較的近間なので揺れに身構える姿勢をとった。5秒、10秒、20秒と待てど暮らせど揺れの兆候が表れず拍子抜けしたが、どうやら2か所で同時に起きた地震をに反応し緊急地震速報を誤ったらしい。

     小生は、子供の頃から地震に対しては神経過敏である。昭和23年に福井で大震災が起こり、大きな被害を被ったことがトラウマになり、地震には相当に神経過敏になった母親の影響を受けたからである。母親にとって、昭和20年の空襲と23年の地震は地獄そのもので災害の怖さを身をもって経験したからであろう。小生はその両方に遭遇しているが、幼児期の頃なので記憶はない。それなのに、地震で揺れるたびに金切り声をあげて、子供らを抱えて逃げる母親から受けた影響は計り知れない。

     とりわけ、2011年に起こった東日本大震災以降、神経過敏は一層進んできている気がする。今回10秒、20秒と待つ間いろんなことを想定したが、何も起こらなくて本当に良かったと思う。が、関東地方で大地震が、いつ起こっても不思議ではない言われて久しいところなので、おさおさ油断をしてはいけない。そんな戒めを当日の夕食時に話し合って、確認したところだった。まさか、寝入りばなに、リアルな地震に遭遇するとは・・・。

     当日、寝入ったころ大きな揺れに飛び起きた。午前1時ごろである。正確には0時54分、1月6日ということになるが、先の誤報からほぼ半日後のことなので、半日の間に神経を尖らせることが2回も起こったことになる。今回は震源地も近く、震度4クラスの揺れだったので神経過敏な小生を慌てさせた。幸い短い時間で終息したので一安心したが、夜が明けるまで眠りは浅く、新年早々寝不足の日となった。

     偏に母親に刷り込まれたことなので、今更神経過敏が治るわけではないが、災害が起こった状況の報道等に触れるたびに、神経過敏であることは大事なことではないかと思うようになった。大慌てでパニックに陥ることは避けなければならないが、冷静に逃げ延びたりするには、地震へいち早く感応することが肝要で、神経過敏であることがその感知機能を高めているのではないかと思うからである。

     今回は、近かったせいか緊急地震速報は鳴らなかった。深夜に携帯がけたたましくなっていたら、大騒ぎになっていたかもしれないが、こういう情報は早い方がいいに決まっている。一段の性能向上を望むところであるが、自己防衛のためには、母親に刷り込まれた特異な能力に、磨きをかけなければならないのかもしれない。


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  • ■ 「今年の正月に思ったこと」
    平成30年1月3日
  • 「今年の正月に思ったこと」
     今年の正月は、喪中のため祝い事を控えたが、TVを始め放送、報道関係から届く正月の風景を見て、新年を祝うこの伝統文化に改めて思いを馳せた。辞書によれば正月とは、@1年の最初の月(the New Year) 、 A新年を迎え、祝いをするめでたい期間となっている。我が国では、明治6年に新暦「グレゴリオ暦(太陽暦)」に切り替えてから正月は新暦の1月になったが、新年を祝うめでたい行事(いわゆるお正月)は、大正末期頃までは、旧暦で進められてきたようだ。いわゆる「旧正月」と称されるものだが、現在ではすっかり新暦の1月元旦から始まる正月に定着した。

     ところが、我が国以外のアジアの多くの国では、正月の行事を旧暦の1月に行い、グレゴリオの正月よりずっと盛大に祝う。と、世界の正月事情に載っている、新暦「グレゴリオ暦」は、世界の標準であり、ほとんどの国はこの暦に切り替わっており、新年は新暦の1月になっているが、旧暦で構築されてきた伝統的な正月の行事は、今でも旧の仕来たりで執り行われることが多い。だから、中国歴(旧暦)に準拠してきたアジアの国々では、(中国では「春節」、韓国では「ソルラル」、ベトナムでは「テト」と呼び)旧暦によって正月のお祝い事を盛大に祝っている。

     正月を祝うことが、1年で最も重要な行事と位置付けている国がある一方で、宗教によってそれが異なる国もある。キリスト教徒にとってはクリスマスであり、イスラム教徒にとってはラマダンであり、ヒンドゥー教徒にとっては「Diwali(ディワリ)」である。(Diwaliは、ヒンドゥー教の神様である「ラーマ王子」の西インド地方への帰国を祝う為のお祭りで、インド国民が一年間で最も買い物をする時期だとも言われている。)

     これらの国々も、暦を始めとして世界の標準(長さや距離や重量などの単位などなど)に合せなければならなかったものは、決して少なくはなかったであろう。そのことによって、固有の伝統文化や風習が影響を受けて様変わりしたものもあるに違いないが、正月のような行事や、その国で重要と位置づけているものについては、かたくなまでに守り通している国々の多いことに気付かされる。

     翻って、我が国ではどうであろう。正月もお盆もすっきりと新暦に合せてしまった。尺貫法も既に死語になってしまった。こういった新しいものへの切り替えに何の躊躇もしないところが、我が国民性の特徴であり、このお蔭で世界の冠たる経済大国の仲間入りができた。それでも、そういったことを評価しても、大事なことを失ってきていないかと思うと、何かむなしい思いに駆られる。

     平成30年で歴史はまた一区切りとなる。今年1年こういったことに正対して、なけなしの頭で考えていかなければと、正月の番組を見ながら控えた正月に思った。


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  • ■ 「ご挨拶」
    平成30年1月1日
  • 「ご挨拶」
           本年も一生懸命愚痴っていきたいと思います
           皆さん方の酷評によるご愛顧を賜れば幸いです
             本年もどうぞよろしくお願いします



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