□「平成26(2014)年ブログ」NO.1   平成26年1月1日〜3月31日 ♪BGM 
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■「岡倉天心市民研究会」発足に臨む               平成26年3月19日

 ボランティアのお仲間から、岡倉天心市民研究会準備会に参加しないかとの連絡を受け、19日に横浜メディア・ビジネスセンターに出かけた。本会では、発起人のノンフィクション作家新井恵美子氏、公益財団法人大倉精神文化研究所理事長高井禄郎氏、神奈川新聞社元専務取締役千葉信行氏から、横浜に「岡倉天心市民研究会」を発足させるための講演と趣旨の説明がなされた。

 本会の目的は、岡倉天心の業績、生涯に関わる調査・研究を行い、広く地域に発信することを通して、その業績を顕彰することであり、既に福井県福井市や新潟県妙高市、ならびに茨城県北茨木市で設立・活動をしている「岡倉天心顕彰会」と交流し、全国天心サミットに参加していこうとすることも謳われていた。

 これらの街は、いずれも天心にゆかりの深いところで、天心の功績に感じ入り福井では1981年、妙高では1998年、北茨城では1992年から活動を開始しているが、もっともゆかりが深い横浜には市民の活動拠点がなかった。昨年、生誕150周年、没後100周年を記念し横浜で開催した天心サミットを切っ掛けに、遅らせばせながら今般、横浜に「岡倉天心市民研究会」を設立する機運が高まり本会の開催となった。

 小生は、昨年の天心サミットに参加して深く感銘を受けたことと、我が郷土が誇る偉人でもあることから本会に大変興味を持って参加し、設立総会に向けての討議に耳を傾け本会への加入を決めた。調査・研究発表を拝聴出来たり、見学会等のイベントに参加できる事業が並び、興味津々といったところである。

 横浜が誇る国際人・偉人でもあるので、師の一端を覗けることに大変意義があると思います。皆さんの中で興味がおありでしたら是非一緒に参加しませんか?

 昨年の天心サミットについては ここをお読み下さい。

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■「2014年春の便り」                      平成26年3月15日

 三寒四温が続き、春の兆しが見えてきましたが、いかがお過ごしでしょうか。
 当方、本日ジャガイモを植えつけたところです。このところの異常気象で、昨年は時期を失し種イモが購入できなかったので、今年は早めに手を打ったのですが、少し早かったかもしれません。昨今の天候にプロの農家の方さえ悩まされているようなので、素人の俄か農夫には、今年の植え付けが吉と出るか凶と出るかは、ほとんど運任せといったところです。

 そういえば、ますます激情(劇場)化・グローバル化してきたネット犯罪や、行方が分からなくなってきた航空機事故やSTAP細胞、さらには、多極化が進み不安定の度を深め始めてきた国際情勢等々、予想もつかないことが頻発しており、異常なことは天候だけに止まらないようです。

 揚句に、打った手が吉と出るか凶と出るかは運任せです、と言われた日にはとてもかないません。せめて今のところは、異常は気象にのみ留めておいて、と願うしかないようです。

 4月1日に近所のお仲間と花見に行く予定です。昨年は異常気象にたたられ散々な目に会いました。今年の花見も吉と出るか凶と出るかは運任せですが、異常気象とのせめぎあいが花見の醍醐味に加わったようです。

 皆様方のお花見はいかがな具合でしょう?


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■「3年目の3月11日」に想う                   平成26年3月12日

 東日本大震災から今年は3年目を迎えた。瓦礫の処理は終えたようで少しずつ復興が進んでいるとの報告が目につくようになったが、スピード感が全く感じられないのはどうしたわけであろう。予算は組んだが実行ができないとか、国の予算を食い物にしているとか、住民の意思が統一されないので街づくりの計画が頓挫しているとか、スピードを阻害する要因に事欠かないようだ。

 一方、報道等に関しても3月11日近辺にフォーカスした報道ばかりが目につく。復興は継続して行われているのだから、ピンポイントにフォーカスしたその日近辺だけ報道すればいいというものではない。少なくても毎月11日には現地に赴き、進捗状況や問題・課題を正確に絶え間なく報道し知らしめるべきではないかと思う。正義感ぶったその場しのぎのお座なりの姿勢しか見えてこない。もっと泥臭く、自らも問題解決に向けた姿勢を見せていかなければ、誰からも愛想をつかされていくに違いない。

 これは、小生自身についても言えることで、その場しのぎでお座なりにしか問題をとらえていないかどうか、真摯に向き合っていかなければならないと思っている。小生は、国の存亡にかかわる2つの事象を経験してきた。1つは先の敗戦であり、もう1つは東日本大震災だと思っている。もっとも、先の敗戦は生まれたばかりで記憶はないが、母親を通じ耐乏を極めたことを刷り込まれたことで、国の存亡に思いを馳せることができた。そして、東日本の大震災は、先の敗戦に次ぐほどの国土の荒廃を目の当たりにし、国民の一人として国の存亡を真剣に考えさせられたからである。

 歴史を詳細に理解しているわけではないが、先の戦争による我が国の存亡にかかわる事象は、過去に蒙古軍の襲撃を受けて以来のことで、約700年に1度起こる事象に遭遇したということになる。一方、大震災は約100年から150年周期で起こるらしいが、東日本を襲った超巨大震災は恐らく200-300年周期なのではないかと思われる。人生70年そこそこのものにとって、700年に1回起こる事象と、200-300年に1回起こる事象を一生涯のうちに体験できる確率は極めて低いであろう。

 小生がその該当者の一人であることに気付いたときに、不思議な巡り合わせを感じないわけにはいかなった。こういった危難を克服し、再度の被害を極小化することのため後世にきちんと伝えていく役割を担っているのではないか、ということである。だから、その場しのぎお座なりでは許されないのだ、と昨晩夢の中でうなされた。腰が引けそうになってきたことへの大喝と受け止め、お役に立てることを愚直にやっていくしかないと12日の早朝に想った。


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■「ヨコトリ鑑賞パートナー勉強会」               平成26年3月9日

 横浜トリエンナーレの開催に向け、ボランティア活動に関する期待も一層高まり、佳境に入ってきた。3月1日、事務局長からヨコハマトリエンナーレサポーターの2014年・これまでとこれからについての訓話に続き、新たな活動の展開として「事前ガイダンス」と「ギャラリー・ツアー」についての研修が始まった。

 今年の本番に向け、ボランティアではすでに4つのチームを編成して自主的な活動を進めてきているが、それに加え、ボランティア個人がお勧めする「展覧会の見どころ」や、ボランティア個人の研究に基づいた「ギャラリー・ツアー(フロア・レクチュア)」を展開していくことにしたのである。プロの見方とはちょっと異なる市民(アマチュア)の目線を取り入れることで、展覧会を一層発展・盛り上げていこうとする試みのように思われる。

 この為、事務局は、このような試みを年初から始めてきた横浜美術館の鑑賞パートナー育成プログラムに基づき、横浜美術館のボランティアの方々と一緒に学ぶ勉強会を3月9日と23日に実施することとなった。当日の説明によれば、ボランティア個人が出展各作家(お勧めの作家達?)を徹底的に調べ上げ、自身の思いを盛り込んだ「展覧会・ここが見どころ」の解説文を作り上げ、来客にご説明を差しあげることになるのだが、美術・芸術に全く疎い小生にとっては至難のことである。3年前に横浜市民ギャラリーの展覧会で、ある作家の作品のキャプションを作った時の苦労が思い出されたからである。

 3月9日、研修の前に横浜美術館のボランティア(観賞パートナー)から、開催中の「魅惑のニッポン木版画」展の「事前ガイダンス」を拝聴した(研修の一環)。S氏の解説は独自・独創性に富み、プロも顔負けするような見事な解説であった。この後研修に入ったが、完全に打ちのめされ(自分はずぶの素人なのだから、落ち込むことはないのにあまりの衝撃に)講義内容が少しも頭に入らず、この活動への参画は無理だと思い知らされた。

 当日参加したトリエンナーレのお仲間たちの中に、小生と同じ思いを持ったものが多かったようで、美術館の担当官殿が「あの人は特別なのだ」と一生懸命フォローしてくれた。そのことで研修は進んだが、小生の気持ちは塞ぎっぱなし、世の中には本当にすごい人がいることを改めて思い知らされた。研修後、彼の解説を思い出しながら本木版画展を鑑賞した。これも研修の一部であるから自分だったらどう解説するかと思って観ていたら、かすかな解説ストーリーが頭をよぎった。衝撃から立ち直れるほどのものでもないが、このかすかな自信を頼りに23日の研修に臨んでみる気になった。当日も返り討ちを食らうかもしれない・・・。

 毎週日曜日の11時と14時に彼ら(横浜美術館の観賞サポータ)による「事前ガイダンス」が、横浜美術館で(13分間)行われているので、お時間があれば是非お立ち寄りいただければと思う(合わせて本木版画展もご覧いただきたく)。素人とは思えない解説を目の当たりにするでしょう。


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■「いけあさみのビックアニメーションパーティ」         平成26年3月2日

 この日18時から、横浜市民ギャラリーあざみ野で一夜限りのアートイベント「あざみ野ナイト」:『いけあさみのビックアニメーションパーティ』が開催された。新進気鋭若手のアニメーション作家 池亜佐美さんの作品6本(《ASAMIIKE2009-2011 TV》《USAWALTZ》《うえのぞう》《まわるうま》《そとのみな》《したのくま》)とワークショップ参加者作品《ひなまつり ダンシン!》のアニメーションが、ギャラリーのエントランスホールの吹き抜けや、館内の壁面に上映され、館内がアニメーションに彩られた異様な空間になった。

 アニメーションに深い興味があったわけではなかったが、今や世界に誇れるほど高くなってきたアニメーション文化を覗くのも意味あることだと思い、当日のアートサポータを務めることとした。当日の役割は、来館者の受付、案内・誘導、屋台での甘酒(ひな祭りにちなんだ趣向)の販売などではあったが、事前に作品のことを知っておく必要があって、作家から直接説明を受けた。

 説明を聞くうちに、数分の映像を作るのに作品の着想はもとより、途方もない原画を描き上げることと、その集中力を維持することが小生の想像をはるかに超えており、アニメーションに対する見方が変わった。それは、現場に行って作品と向き合ったときに、ユーモラスなオブラートと音声に包まれた得も言われぬ怪しさや、悲しさ、滑稽さが醸す不思議な魅力にどんどんと引きこまれてしまったことで、一層拍車がかかった。

 当日は、雨模様のとても寒い日となったので、こんな夕べに来館者が来るのかと心配していたが、来館者が沢山お出でになった。アニメーションの不思議な魅力に取りつかれれば、天候などは問題ではないのかもしれない。小生が引きこまれていった理由が分かる気がした。それにしても、当夜の来館者に小さなお子様連れで見えた方が多かった。世界に誇れる文化を象徴している風景といえるかもしれない。

 いけあさみの一夜限りのアニメーション・パーティは こちらからどうぞ。


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■「慌ただしかった2月の後半」                  平成26年2月28日

 今年の2月は、2回の豪雪に見舞われたり近年にない寒い日が続き、暦で云う如月(更衣着:きさらぎ)を地でいった。前半は雪のため予定が大いに狂い、出不精気味に陥った。後半はあまりの寒さに託(かこ)つけて、出不精を決め込み惰眠を貪るつもりだったが、そうは問屋がおろさなかった。近年にない忙しさに引きづり回され後半は忙月(ぼうづき:せわしづき)となった。

■その@
 平成25年度に地元ふるさと村体験農園振興組合から委託された園芸教室の世話人を引き受けさせられた。早い話、振興組合から町内で借り受けた農地(108区画、30平米/1区画)の利用者管理・運営(更新手続き、空き農地の募集、年間行事の実施等々)を行うのだが、その主要な業務が2月に集中しているため、この準備・実施に忙殺。

 集中した業務は・更新手続き文書の配布、・更新処理・参加費の徴収、・空き農地の募集ビラの掲示板貼付、・空き農地の抽選会と現地案内、・年間会計処理(帳簿の整理)等々。雪が積もった中での杭打ちや、寒風吹きすさぶ中でのビラ貼りには忙しさもさることながら、奉仕作業の原点を見た気がした。all for one を求めず、one for allに専念するところであろうか。

■そのA
 娘の引っ越しに駆り出され、車での荷物の運搬を何度も行わされたことだ。小生の予定をやり繰りし、その合間を縫いながらの運搬に忙殺。車で片道50分ぐらいのところだが、道幅が極端に狭い上、道端に積まれた雪に阻まれ閉口を極めた。娘可愛さに住み家をよくチェックしなければと思ったが、家から離れた場所に車を停めざる得なく、ご近所から何か言われないかとの気遣いが先に立ち、荷卸しをしてすぐに出なければならなかった。だから、チェックするどころか冷汗三斗、慌ただしさだけを刻んだ。

 何もこんな時期にと思ったが、引っ越しシーズンを迎えることへの対応と、消費税引き上げの対応のために決めたようだ。親父の都合を最優先で考えてもらいたいもんだと愚痴ったが、馬耳東風、2月の風がことさら身に沁みた。

■そのB
 ボランティア活動が錯綜し忙殺に拍車がかかった。某ボランティアグループが4月よりNPO法人として活動することとなった。本グループにはスポットで数カ月前から参加してきたが、今般、ある部会に会員(正式には4月から)として取り込まれ、4月を待たず本部会に呼ばれ活動を余儀なくされた。旧弊を打ち破り新しい活動を目指すお仲間(ほとんどが女性)の士気が高く、口八丁・手八丁を地で行く彼女らに振り回され、加えて、ヨコハマトリエンナーレが佳境に入ってきたことや、WFPも新年度に向けた活動が入ってきたことなどが錯綜し忙殺が極まってきたのだ。

 ボランティアの新な活動には、彼女たち(小生とは年齢差がほとんどないと思われる)の力量・能力の高さに脱帽するしかない。小生の未経験分野だから特にそう思うのかもしれないが、着想・発想力、折衝力、行動力(IT応用力は極めて高い)に非凡なものを感じさせる。海外で生活してきた経験がそうさせているのかもしれないが、彼女らに共通しているのは、とにかく忙しいということだ。惰眠を貪ろうなど口が裂けても言えない雰囲気に取り囲まれてしまった。この先思いやられるが、異質な経験をせよとの思し召しと受け止め、しばらくついて行くしかない。


 こういったことことのほか、術後のケアに眼科に行ったり、耳鼻科や歯科医院にも通わなくてはならず、今年の2月後半は稀に見る忙しさとなった。寒さのため暖房費がうなぎ上りとなっているが、忙しさのため血圧も上がってきている。暖房費はもう少しで目途は立つが、血圧の見通しは・・・? 当分は言い出すことすらできないが、惰眠を貪ることも視野に入れないといけないのかもしれない。


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■「豪雪あれこれ」                       平成26年2月15日

 今年は2月に入って豪雪に見舞われた。最初は2月7日早朝から降り始め終日降りやまず、翌朝には小生の住む一帯では25センチ以上の積雪となった。数日前から大雪の予報がなされていたので心の準備はできていたものの、昨年1月の豪雪より積雪量は多かったと思う。当日はあるボランティア行事への参加を断ってまで聴きに行きたかった「YOKOHAMA本牧ジャズ祭・冬の陣」に行けなくなってしまい大変残念な思いがした。

 行けなかったについては交通機関の事情にも因ったが、道路や駐車場周りの雪かきに駆り出されたからである。今般の積雪は何十年ぶりとかの降りようで半端な雪かきではなかった。加えて、ご近所の方々は高齢者が多くなってきていることと、雪の経験が少ない方ばかりで、まだ若そうな小生に思いのほかの負担がかかった。2時間ばかりみっちり働かせていただいた。雪かきの経験がこんなところでお役に立てるとは面はゆい気がしたが、さすがに疲れ果て午後3時過ぎからぐったりと寝込んでしまった。

 その疲れが取れない中、またしても1週間後の週末に大雪の予報がなされた。報道ぶりでは降っても先週ほどではなさそうな印象を受けたので大して気にもせず、当日予定していた娘夫婦と孫との家族挙げての箱根への旅行を楽しみにしていた。ところが、14日の早朝から降り始めた雪は翌日の朝方にも降りやまず、積雪量は先週を上回り、交通機関はあちらこちらでマヒし旅行するどころではなくなってしまった。

 ご多分に漏れず、旅行中止を悔やんでいる暇もなく、雪かきに出動しなければならなかったのだ。今回の雪は量もさることながら水分を含んだとても重量のある雪だったので、労働は半端でなく、しかも2日間の出動となったので、疲れようは筆舌に尽くしがたいものになった。スコップを握っていた左の手のひらに豆ができた(豆ができるなんて、もう記憶にないほど昔のことだ)。さらに、右腕に異常をきたすやら腰が回らなくなるやらで、雪害を一身に背負ってしまった感がした。

 一息ついてから、小生の雪害(体の節々を痛めたり、楽しみだった予定がすっかり狂ってしまったなど)への恨み節が口をついた。ところが、2月8日の早朝、大変な雪の中をいつも通りきちんと新聞を配達してくれた方がいたことを知り、自分の恨み節が何と甘いことかと思い知った(さすがに15日の朝夕刊は配達されず、16日にまとめて配達された。それは配達所の都合ではなく、配達所に新聞が届かなかったのが真相らしい)。こんな劣悪な日にも関わらず、我々のために懸命に働いてくれる方がいるというのに。とんだ思い違いをしていたことを豪雪に寄せ知らしめてくれたに違いない。

 助け合いや人のために何かして差し上げようという気が希薄になってきていることへの警鐘なのかもしれない。であれば、せめて豪雪の時だけでも、早起きをして新聞配達がスムースにできるよう雪かきに専念しなければなるまい。と思ったら、わが信念を問う試練が、「今週も20日辺りに雪が降る」との予報によって早くも用意されたようだ。幸い遊びの予定はないと呟いたら、まだ分かっていないようだ、と、豪雪を取り込み凛と咲き始めた梅の花から言われた気がした。

「豪雪を取り込み凛と咲き始めた庭の梅の花」


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■ 今年最初の「ひまじん会」                   平成26年2月13日

 今年に入って初めての「ひまじん会」が開催された。1月は新年会だったので、本日の会合が実質年最初の集りとなったわけである。年を重ねるごとに舌鋒の鋭さが増してきているお仲間にとって、ソチ・オリンピックは格好の話題となった。

 またしてもメダル有力といわれていた選手へ、当人が受けきれないほどのプレッシャーを与え、失敗に至らしめる愚を犯していることが起こっている。偏にマスコミの思い違った対応によるものである。一個人を、親戚縁者や友人知人、昔の恩師やじいちゃんばあちゃんまで、ありとあらゆる手練手管を動員しこれでもかと祭り上げ、当人へ押し付ける親切ごかした凄まじい期待の醸成に、ひまじんのオジサン達は怒り心頭に発してしまうのである。

 国民の誰もがそういった(芸能三面的記事)情報を求めているから、と彼らは弁明するのだろうが、商業・儲け主義に走っていたり、過度なイデオロギーにかぶれているかとしか思えない。これは何もスポーツの世界だけに起こっているわけでもなく、あらゆるところで散見される。最近気になったのは、「STAP」細胞論文を発表されたリケジョ・小保方さんの報道であり、論文とは関係のない一切合切が、報道という名の下に祭り上げられ赤裸々にされたことである。一流と言われているマスコミですら過熱化している。一体どういう神経なのかと疑いたくもなるだろう。

 そして書かれた当人が失敗でもしようものなら(その責任の大半は彼らにもあるのだが気が付かないのか、またはそのふりをしているのかは定かではないが、はっきりしていることは、謝ったことも反省したこともないことであろう)手のひらを返したように無視したり、落とし込むのである。彼の大戦でマスコミ関係も学んだことは大きかったはずなのに、懲りない面々のメンタリティは何も変わっていないのかもしれない。

 メダルの話はしたくないが、こういった記事や報道でプレッシャーをかける前にあらかじめ我ら「ひまじん」たちに諮っていてくれていたなら、もう少しゲットできていたかもしれない。そんな暴論で今年最初の「ひまじん会」はスタートした。
 今年もお仲間について行くのが思いやられる。


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■「ヨコトリ2014 参加作家が語る!」               平成26年2月5日

 ヨコハマトリエンナーレは今年8月1日から開催される。いよいよ押し迫ってきたが、本日はヨコハマトリエンナーレ2014の参加作家である和田昌宏氏を講師に迎え「ヨコハマトリエンナーレ2014 参加作家が語る!」と題して、自らの作品や本展に向けての構想についてお話を伺った。主催者の紹介によれば、氏は映像作品やインスタレーション、パフォーマンス、彫刻などで幅広く表現を展開されている気鋭のアーティストであるらしい。何よりも、今トリエンナーレのアーティスティック・ディレクターを務められる森村保昌氏がその作風を大変評価され、今般のトリエンナーレに参加を依頼されたようである。

 美術・芸術に全くセンスのない小生にとって、とりわけ現代アートは分らない。なんでこのような絵や映像、インスタレーションが良くて感動を受けるのか全く分からないということだ。これは小生なりに持っている常識<生まれ育ってから今まで、世の中の森羅万象について理の当然として刷り込まれてきた見方や対応(たとえば美醜や、秩序・無秩序の見分け方)>から大きく逸脱しているからである。

 この常識に拘泥している限り、現代アートは分からないのではないかと思う。本日も、色々映像を見せていただきながら説明をお聞きしたのだが、よくわからなかったというのが正直なところである。ただ、自分は決してそんな疑問を持つことも気が付きさえもしないであろうことを氏が創作活動の中核にしていることが分かった時、自分の常識の狭量さを思い知った。そのことを知ることで、自己の常識が揺るがされたことで、氏の作品を理解できるかもしれないと思えたことが、本日の何よりの収穫となった。

 作家については(考え方など) こちらを参照して下さい。

 このことが、まさに今トリエンナーレのコンセプト「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」につながるのであろう。氏が8月1日にどのような作品を展示するか、とても待ち遠しく楽しみになってきた。そう思えるようになってきたのは小生の常識が少しばかり広くなってきた証である。


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■「久方ぶりの雑木」                      平成26年2月2日

 昨年12月16日に白内障の手術を受けて以来、過度な運動を避けなければならかったので、雑木のボランティアをずっと差し控えていた。この日、術後1か月半を過ぎたので久方ぶりに雑木に挑戦した。この日のために少しづつ身体を慣らし準備をしてきたつもりだったが、お仲間のスピードにはついて行けず音を上げてしまった。この1か月半身体を労わりつづけてきた(なんにもしなかった)ことの付けをつくづく思い知らされた。

 それは遣りたくてもやれなかった事情もあったが、言い訳を募り、怠惰に溺れ甘えに流れてしまったこともあったからだ。手術前は、1日に10キロ以上歩けるぐらいの筋力は維持し、雑草・雑木狩りは朝飯前ぐらいに思わせる体力の維持に努めてきたはずなのに、慙愧に堪えない。そういえばこのところ、小生の周りに怠惰へと導く甘い囁きが顕著になってきた気がする。何かのきっかけ(手術を受ける等)がそれに拍車をかけ、自堕落の道をナビゲートしている風に思えてならない。要は心の弱さが露呈しているにすぎず、懲りない性格に辟易するばかりである。が・・・。

 この日、久々に大汗を掻き一気飲みしたビールがことのほかうまかった。ここ数か月忘れかけていたビールの本当のうまさを思い出させてくれた。大汗をかいたからこその格別なうまさである。このことのために、辛い体力維持に努めてきたのではなかったか。だからもう、辛い体力作りに手を抜かないでおこうと思った。それは、何かのきっかけ(病気にかかる等)を作らないことになるからであり、もっと言えば、こんなにうまい格別な味を袖にするわけにはいかないからである。そう思い直したとき甘い誘惑から解放された。

 有り難いことに、今年もビールの消費が減る兆しはない。雑木から大汗をかかせる計画をつきつけらているからだ。


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■「キラキラネーム」に思う                   平成26年1月30日

 つい先日、あるところでボランティアをしていた折、最近の子供さんの名前を正確に読めないことに愕然としてしまった。当日は、児童画の展覧会に寄せられた児童に、感謝状を差し上げるため感謝状に名前を漢字と英文表記で記すボランティアをさせて頂いたのだが、小生が担当した50-60名の7割近くの名前を正確に読めなかったということだ。

 以前から、新聞や雑誌・TV等で、通常では読めそうもない名前を散見するようになっていたから、全くその存在を知らなかったわけではなかったが、これらはごく少数派だと思っていたので、この現実に直面してみて大変驚いた。ITや通信技術が進展し世の中は急激に変わってきたことを実感するが、まさか人の名前までもがこれほどまでにすさまじい変わりようを見せるとは思いもしなかった。

 命名は、子供の幸せで健やかな成長を願う親の気持ちをその名に託すもので、親のその子に対する最初の責任ある行為だと思う。だから子供の名前を考えるのに四苦八苦するのは、今も昔も変わらないところであろう。ところが、名簿を見て外来語を当て字(漢字化)にした名前や、漢字をイメージ化した読みにした名前など、目を疑うばかりのオンパレードに四苦八苦の方向の違いを思い知らされた。

 隣で、一緒に感謝状を作成していたお仲間に「これは『キラキラネーム』というんですよ」と言われ、彼女も大仰に驚いていた。恥ずかしくも小生は知らなかった。でも、まさかとは思いネットで調べたところ、世に取り残された自分を改めて確認する羽目になり、激変する世の中におののくばかり。それは、「人と違う名前がいいというのが最初にあって。子どもには個性的であってほしいから。難しい名前で困ることがあるかもしれないけど、自分で乗り越えるはず」というコメントに違和感を感じたからである。

 既にご存知かもしれないが、次の「キラキラネーム」のサイトをご覧いただいて、どれだけ正確に名前を読めるか試してみて欲しい。小生は、世の中の命名がこのように変わってきたことについて行けなくなってしまった。もっとも、心情を吐露すれば、ついていく気がないということが正直なところである。
「キラキラネーム」のサイトはこちら入れます。


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■「新年の飲み会」                       平成26年1月22日

 今年は、昨日21日までに「新年の飲み会」と称するものに7回も付き合わされてきた。昨年12月16日に目の手術を受け、ドクターから酒は1週間は厳禁、その後は落ち着くまでたしなむ程度にするようにと言われていたので、1月一杯はできるだけ控えなければと思っていたのだがこの体たらく。新年早々、己の気概の甘さを暴露してしまい愕然としてしまう。

 確かに、術後1か月間は、何度かお誘いを受けたが断腸の思いで丁重に断り続け、聖人君子ばりの暮らしに徹していたのだが、1か月を過ぎるころ、「順調に回復しているからもう大丈夫」というバッカスの囁きにくらまされ、あっさりその囁きを受け入れてしまったのだ。酒神様との付き合いは長く深いので、やすやすと縁は切れない、という言い訳をいいことになし崩してしまったのだが、またしても、のど元過ぎれば熱さ忘れるの轍を踏んだかもしれない。

 意志薄弱で歯がゆいばかりだが、それでも今般、「どれだけ明るく元気に前向きにされたことか計り知れない一杯遣るお付き合いの効用」に舵を切ったことは、愚者にも一得と云ったところかもしれない。今年1年、先が思いやられるが、昔のように長時間、腰を据えてとはいかなくなってきている。悲しむべきことなのか喜ぶべきことなのか、患い明けの新年に思った。


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■「みらいの自分に忘却の手紙を送ろう」             平成26年1月13日

 「ヨコハマトリエンナーレ2014」が開幕まであと200日を迎えた。この日、カウントダウンイベントとして、みらいの自分に『忘却の手紙』を送ろう!を MARK IS みなとみらいと横浜美術館を会場にして実行された。ヨコハマトリエンナーレ2014は「忘却」がコンセプト。会場を巡るスタンプラリーに参加すると、200日後にヨコハマトリエンナーレ2014の開幕の日に『忘却の海』を超えて、自分に手紙が届くという仕掛けを講じた広報宣伝のイベントになっており、50人を超えたボランティアが参加して本イベントを盛り上げた。

「あなたにとっての世界とは・・・」

 小生も朝9時から参加し15時まで、MRAK IS みなとみらいの2階チェックポイント3で支援活動に従事した。事務局の当初の予定を大きく超えた来訪者に、スタンプカード(はがき)を増刷するなど、大わらわの嬉しい悲鳴を上げることとなり、市民(または市域)と国際展とを結びつける新しいきっかけづくりに大きく貢献したと思う。

「忘却の海を口にしたとき・・・」

 3年ごとに開催される本展覧会も、今年は5回目を迎え国際都市横浜にふさわしい現代美術の国際展覧会として定着してきたようだ。ボランティアで前回の展覧会から参加しその魅力に憑りつかれてしまったので、この2年間もトリエンナーレ学校などに通い続けた。 未だ前回の思い出が完全に吹っ切れたわけではなかったが、200日を前にした本イベントで来訪者に『忘却の海』を口にしたとき、今年の展覧会に取り組むモードに切り替わった。今回もボランティアの一員としてこの展覧会を支えられればと思う。

 本トリエンナーレは、8月1日〜11月3日まで開催される予定です。下記の案内を参照していただき、足をお運びいただければと思います。これからも開催時期までにいろいろご案内いたしますので、ご参考にしていただければ幸いです。

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             華氏451の芸術;
              世界の中心には
              忘却の海がある

               ヨコハマ
              トリエンナーレ

               2014
             8月1日(金)---11月3日(月・祝)

 ヨコハマトリエンナーレについてはこちらを参照してください
 サポーター活動の模様(ブログ)は こちらからご覧いただけます
 ■本活動歴2011年6月の項に小生の記事が掲載されています。お暇な折にどうぞ。

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■「すずめの家族に再会 2014年の瑞兆を想う」           平成26年1月12日

 この日、家の周辺にある里山に囲まれた田んぼ道を散策していたら、スズメの大家族に遭遇した。この光景は、奇しくも昨年の同じ日に出会った光景と同じで、懐かしく嬉しい気持ちになった。昨年の同日付で、すずめがめっきり減ってしまったなか、このような大家族に出会った喜びを、きっと何かいいことが起こる瑞兆なのかもしれない、と記した感想を思い出した。

「すずめの大家族に再会」

 それは、長い閉塞状況からの解放を、新政権が実現してくれるものとばかり先走り、滅多に見なくなってしまったすずめに出会ったことで瑞兆を予感したのである。その予感は、気象庁の担当官殿に「過去経験したことのない」と言わしめた異常気象(天災)に見舞われたなかにあって、お米が102%の作況を示し健闘したことで的中の兆しをみせた。ところが、お隣の国との関係が悪化の一途をたどるやら、前のめりの立法、お粗末な原発処理等々歯止めがかからない不首尾に、その兆しが摘み取られ開花しないまま年が暮れた。

 普通の日も結構この周辺を歩き回っているのだが、このような大家族に出会うことがなかった。いったい彼らはどこに雲隠れしているのだろうかと訝しく思っていたが、きっとすずめ達は、このような成り行きを見通していたに違いなく、姿を消し我々にそのことを暗示していたのかもしれない。すずめ達が、常時大家族で我らと共にするときに、本当の瑞兆を享受できるのであろう。

 今年も、その瑞兆を感じさせる大家族の訪問を受けた。だから、彼らの意図を無にすることなく真摯に遣り繰っていかなければならない。彼らに見放されては、この国の先はない、毎月、田んぼに出かけ我らの遣り繰りをチェックしたいと思う。


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■「下村観山展」                        平成25年1月11日

 この日、あざみ野ギャラリーのアートサポータのお仲間と、横浜美術館へ「下村観山展」を観に行った。昨年、岡倉天心のフォーラムに参加して以来、彼と行動を共にし日本画の近代化に邁進してきた画家に興味が惹かれ、機会があれば見に行きたいと思っていたので、昨年11月の「横山大観展」に続き、間髪を入れず同志の作品を観れたのは幸運なことだった。

 当日は、鑑賞の前に美術館の担当学芸員から本展の解説を受け、さらに、鑑賞後木下長宏氏(美術史家)の記念レクチヤー「下村観山の見どころ」を拝聴し、岡倉天心が進めようとした日本画の改革、そしてそれに同調し日本画の近代化に取り組んできた大観や観山達の魂をほんの少しだが理解をすることができた。とりわけ、観山が10代のころから狩野芳崖や橋本雅邦に師事し、その厳格な様式に基礎を置きながら西洋画研究の成果を加味し独自の画法(日本画の近代化?)を確立したとお聞きしたことが、作品の上に見えたときその前から立ち去り難い気持ちに襲われた。絵を構成する流麗な線(大、小、太、細、濃、淡)に息を呑み、心を奪われたからである。

 革命が起こり、西洋化に走る激動の明治の時代にあって、日本の良さを見直し、それをベースに近代化を図ろうとしていった先人たちの苦労は並大抵のものではなかったに違いない。展覧会会場から、先人の息吹が漏れ聞こえてくる気がした。

 2月11日まで開催されていますので、鑑賞をお勧めしたいと思います。是非お運び下さい、きっと先人の息吹を感じ、その場を立ち去り難くなるに違いありません。
 「下村観山展」の概要はこちらからどうぞ


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■「横浜七福神めぐり」                     平成26年1月7日

 雑木のお仲間と小旅行(街中の徘徊)をすることが恒例となり、この度は「横浜七福神巡り」をすることとなった。昨年は2月に鎌倉の七福神を訪ねたが時期を失した感もあり、今年は正月、松の内にということで1月7日に実施した。この徘徊・ロマンの旅はいつも、KさんとSさんが計画してくれ、過去2回の旅(徘徊)には想定外のサプライズに遭遇しているので、今回も期待が高まっていた。

 朝9:20に青葉台駅に集合したのは奇しくも7人。七福神巡りに7人とは何とも巡り合わせのいい数字といえるだろう。昨年も7人だったが、今回はそのメンバーに変更があった上での7人なので、我々の恒例となりつつある七福神めぐりは、不思議な因縁に差配されているのかもしれない。

 横浜七福神めぐりのコースは、興禅寺(福禄寿)、金蔵寺(寿老人)、東照寺(布袋尊)、菊名池弁財天(弁財天)、連勝寺(毘沙門天)、西方寺(恵比寿)となっている。港北区内にある寺社なので、我々にとっては手近にお参りができるところなのだが、歴史を経る中で街造りが進み、新興住宅に囲まれてしまった寺社を案内の地図で探すのは大変苦労した。

 Kさんのスマホのナビがなければ、徘徊倒れになっていたかもしれない。机上での歩行時間は139分であったが、180分近くかかったと思う。日頃歩き慣れてるお仲間にとってもタフな巡礼となったが、各寺社の本堂に入ることができ、目の前で七福神にお参りできたのは何よりの幸運で、タフであっただけに喜びもひとしおとなった。

「雑木・横浜七福神めぐり」

 生憎、想定外のサプライズは起こらなかったが、Kさんのナビがなければ、恐らく「新興住宅街を彷徨する老人」として、周辺の方々から訝られるようなサプライズに見舞われていたに違いない。が、むしろ、我ら老人が案内地図だけで回ろうとすると、このようなことに遭遇することが当たり前で、今回何も起こらなかったということ自体がサプライズだったのかもしれない。であれば、Kさんがスマホのナビを持参したことこそが想定外のサプライズだったのだ。

 過去2回の旅行(徘徊)で遭遇したサプライズとは異質で奥深くなってきた。雑木の女神が仕掛けてくる技はいよいよ精緻を極めてきているように思う。これからもどんな仕掛けが待ち受けているのか、ワクワクどきどきのこの旅が待ち遠しくてならない。

 この度、このようなサプライズのお蔭でつつがなく巡礼ができ、たくさんのご利益をいただいた。これを皆さん方にお裾分けできればと思い、下記の通り各寺社のご案内をさせていただきますので、まずはネットの中で七福神めぐりしていただければ幸いです。

 横浜七福神巡りはこちらからどうぞ


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■「雑木の初仕事・初顔合わせ」                 平成26年1月5日

 1月5日に雑木の初仕事が行われた。小生は術後、激しい運動を止められているので参加を見送ったが、お仲間の張り切っている様子を聞かされるにつけ、健康であることがどれだけ大事かを思い知らされた。そんな思いを引きづりながら、作業終了後に開催された年初の総会を兼ねた初顔合わせ(新年会)に顔を出した。今年は作業を見送った者まで含め19名の会員が参加し、例年の通り総会そっちのけの新年会は大いに賑わった。

「雑木の初仕事・初顔合わせ」

 この連中の健啖家ぶりは折に触れ紹介しているところだが、年を重ねるごとにますます勢いを増しているようにみえる。1週間に1-2度雑木で身体を鍛えているからなのか、爺むさいことには頑強に抵抗しようとする意地のなせる技なのか、今のところ体力の衰えを見せないところはさすがというほかない。意地にせよこの連中に体力という武器を与えることがどういうことになるか。元々アルコールをこよなく愛する輩ばかりの上、口から先に生まれ出でた輩ばかりだから喧噪もはなはだしいものになるのだ。

 この喧噪こそが我々の活力のバロメータなのであって、それが示した値は昨年を5%以上超えていたと思う。消費税のアップ率を優に超えた値である。比較対象がおかしいという声もあるが、血圧値やコレステロール値等々で毎日一喜一憂させられている身にとっては、これほどありがたく頼りになる値はなく、比較対象は何でもいいのだ。雑木のお仲間にいることで、この活力度を共有できることに感謝しなければならない。

 初仕事に参加できなかったことで一層その感を深くしたが、養生後は雑木作業に傾注し、活力度のアップに貢献していかなければならない。と、宴たけなわで喧噪が一層高まった時にそう思った。それが連帯の暗黙の証だと思うからである。今年も二次会に操出しその心象に追い打ちをかけられた。だから今年は雑木でより以上汗を流し、大いに食い、かつ大いに飲まなければならない。ただし、喋るのは少し控えた方がいいのかもしれない。二次会終了間際にイエローカードを突きつけられたからだ。

                                 
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■「無財を誇れる年に・・・」                  平成26年1月3日

 今年は、小生が目の手術を受けたので家族旅行を取りやめ、のんびりした正月を迎えた。1日には毎年欠かさず家族と一緒にさるお寺に初参りをし、ご先祖様への感謝と一家の健康をお祈りした。今年は例年にない人出で参道は大変混み合っていたが、漏れ聞こえてくる声に景気が良くなってきた印象は受けず、巷で騒がれ始めてきている様相とはかけ離れている気がした。

 国の再興は今年が正念場、もう待ったなしの状況下にある。先行きの明るい国造りに一人一人が、真摯に向き合っていかなければならないと思う。これには、とりわけ我々世代が果たさなければならない役割は大きい。若者から言わせれば、我が儘し放題の勝ち逃げ世代と揶揄されていることが、あながち的外れではないと思われるからである。

 我々世代にできることは蓄財したもの(財貨、経験、知恵)を、世のために惜しみなく散財していくことであろう。お金を貯められた方は執着することなく使い、経験・知恵を蓄積された方は、出し惜しみをせず世のために活かしきっていただくことに他ならない。と、思ったとき、財貨はもちろん知恵も持ち合わせていない小生は、出番もなく、忸怩たる思いに駆られるばかりで情けなくなってしまった。自分にやれないことを煽っていることばかりで、こんなことを思うことすら不謹慎の極みに違いない。

 ところが、参道を歩いている中で「無財の七施」が頭をよぎった。これは「財力や智慧が無くても七施として、七つの施しが出来る」というブッダの教えであり、小生にとっての散財は、これを実践することしかないことを暗示されている気がした。それは、我々世代に言い訳をさせず、平等に役割を与え賜う神仏の思し召しなのかもしれないと思えたからだ。であれば、「無財の七施」をボランティアを通じて実践し、出番を用意してくれた神仏の思し召しにお応えしなければならない。
 今年も、無財であることを誇れる年にできればと思う。


***********<無財の七施>*****【ちょっと豆知識:ミニ法話から抜粋】********

一、眼施(慈眼施)
 慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接することである。

二、和顔施(和顔悦色施)(わがんえつしきせ)
 いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対することである。

三、愛語施(言辞施)
 ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要である。 思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言うのである。

四、身施(捨身施)
 自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践することである。
 人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。

五、心施(心慮施)(しんりょせ)
 自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになることである。

六、壮座施(そうざせ)
 わかり易く云えば、座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。

七、房舎施(ぼうしゃせ)
 雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動をすることである。


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■「平成26年(2014)新年のご挨拶」               平成26年1月1日

 本ホームページを読んで頂いている旨の添え書きのある年賀状が増えてきた。
 こんなに嬉しいことはなく、思いもかけない喜びに頬が笑みで緩む。立ち上げてから3年4か月、よくぞこのような駄文を書き続けてこられたもんだと恥じ入るばかりである。定年後の暇を埋めるために挑戦を始めたのだが、独学でやるには、新しい言語を覚えなければならないし、いちいちネットで調べテストを繰り返すのはなかなか厄介で、何回やめようと思ったかしれない。

 これまで続けてこられたのは、思い入れを何とか実現したい、というしぶとい性癖が幅を利かせているからなのだろう。とっくにそのようなものは抜け落ち、穏やかな老人へとまっしぐらに突き進んでいるとばかり思っていたわが身に、未だこのようなしぶとさが残っていようとは誠に意外で、このようなことに挑戦していなければ気が付かなかったことである。

 しかし何といっても、このしぶとさを目覚めさせたのは、この駄文を見ていただける方がいることを実感したからに他ならない。年賀状に添えられた一言がどれだけ励みになっているか、穏やかな老人へ・・・、などとは言っていられないのだ。今年もしぶとさに磨きをかけ、駄文を書き続けなければと決意を新たにした次第である。

 ご覧いただいている皆様に、改めて心からお礼を申し上げます。本年もこの駄文にお付き合い頂き、辛辣なご批判をいただけたら誠に幸いに存じます。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



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