境内にある施設

稲荷堂

 

豊川稲荷の分神である「豊玉茶吉尼天(ほうぎょくちゃきちにてん)」を祀った稲荷堂で、真新しい鳥居は平成28年末に檀家様の一大寄進によって再建されました。お正月には「おみくじ」も楽しむことができます。


北向き地蔵

 

 

今から300年程前の元禄時代六条河原院は赴任先の奥州において美しい女性と出会い、結婚した。
その後、赴任期間が終わると、妻と娘(藤姫)を置いて京都に帰ってしまうことになった。
 やがて成長して結婚した藤姫は「一度父の顔を見たい」との強い思いに駆られ、父を訪ねて京都まで旅に出ることになった。しかし、この長旅は女の足には厳しく、当地に至ったところで、ついに病死してしまった。
 藤姫の夫である男依(おより)は妻の死を悼み、その亡骸を当寺の領地に葬り、出家して覚山法師となり、妻の菩提を弔った。
 この「覚山坊北向き地蔵」は、念仏修行に精進した覚山法師の功徳をもって、願い事を何でも叶えてくれるありがたい地蔵尊として、現在でも多くの人々の信仰を集めている。


法雲殿

 

 この法雲殿は、浜松市の旧家である岡本家において出土し、祀られていた懐仏(ふところぼとけ)を当山に遷座したことを契機とし、また当山第十八世・光譽光襲上人の兼ねてからの主張である「我々はご先祖様をはじめ、過去に生存した多くの人々の有り難いご縁は勿論のこと、草木・畜類・魚類・鳥類など自然の営みから生まれる全ての物に支えられて、はじめて現在の生存がある。この真理を自覚して三界万霊に感謝し、宗派を超えて供養すべきである。」との広大な考えにに基づき、昭和52年に創建された。
 御堂の中壁には、この尊い考えに賛同・寄進された二千人を超える善男善女の一人ひとりに『観音経』の6文字を割り当てて書写した小さな板が全面に貼り詰められており、三界万霊の供養とともにご寄進者それぞれの願いが御堂一杯に込められている。
(注)懐仏とは、昔 武将が戦いに出る際、身の安全を祈って、懐に念持した小さな仏像のこと


六地蔵

 

 地蔵という名前は、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩する人々を無限の慈悲で救うことから名づけられたとされています。
 一方、人間は生前の行為如何によって、天、人、修羅、餓鬼、畜生、地獄の六道を輪廻転生するとの教えがあります。六地蔵は、六道のそれぞれにおいて苦悩する衆生を救うために配置された六つの地蔵です。
 当寺には、檀家様の一大寄進により創建された六地蔵が祀られており、多くの人々が様々な願いを籠手を合わせております。