「年頭念仏会(修正会)」を厳修(令和7年1月2日)」
新年を迎えて、心新たにお念仏を唱える「年頭念仏会」を厳修した。
法要では、初めに住職から「当山では、毎年1月2日に年頭念仏会を厳修して
いるが、これはお正月に修する法要のため、一般には“修正会(しゅしょうえ)”
と呼ばれている。この法要の目的は、参加された皆様自身の極楽往生とご先祖様
菩提増進を願う他、新年の平穏無事、即ち大きな災害が起らないこと、戦争が治
ること等も合わせ、阿弥陀様にお願いするものである。このため、“修正会表白”
や“別回向”において、その旨ご本尊にお願いするので、良く聞いていてください。
皆様は 、本堂が木魚の音とお念仏の声であふれるように、大きな声でお念仏を唱
えてください」との説明があった。
参加された檀家様からは「大変清々しい気分になった。今年は心を改めお念仏に
励めそうだ。」等、うれしい感想も聞かれた。
「お十夜法要を厳修」(令和6年11月23日)
今年も龍音寺住職及び応声教院副住職のご支援のもと、開宗850年の記念
すべき年のお十夜法要を厳修。法要では『一枚起請文』『摂益文』及び『念
仏一会』を全員で同唱し、自身の極楽往生と各家ご先祖様の菩提増進を願い
ました。
「住職の法話」
お十夜法要は『無量寿経』に「この世で十日十夜の善行を行うことは、極楽
浄土において、千年の善行を積むことに勝る」と説かれていることに由来し
ます。善行【善い修行】とは、浄土宗では阿弥陀仏の本願である「お念仏を
唱えること」です。
ところで、お施餓鬼も同じですが、法要の中で私が「十夜会表白」なるも
のを称えます。この「表白(ひょうびゃく)」なるものは、その法要の趣旨
を述べてもので、大変重要な意味を持つものです。
このため、大変良いことが書かれておりますが、何分表現が古くて,難しく
聞いている皆様には理解ができないのではないかと思われます。
そこで、静岡教区から分り易い表現に直した表白を紹介してくれましたの
で、私なりに更に分り易い表現に直して見ました。どうぞ、注意して聞いて
見てください。
皆様には、経本を取ってもらいましたが、法要の中の肝心な部分を一緒に
唱えしていただくためです。どうぞ『一枚起請文』『摂益文』『念仏一会』
をお唱え願います。特に「お念仏」は、本日のメインテーマである善行です。
今年の総決算のつもりで、大きな声を出してお唱えください。
「秋の彼岸供養を厳修」(令和6年9月19日~25日)
檀家様のご都合を勘案し、彼岸期間中の各日に分散して実施。参加者は、彼岸
中日(22日)及び振替休日(23日)が多く、期間中の延参加者数は約30人
であった。
法要では「一枚起請文」を同唱、「念仏一会」では全員で木魚を叩いてお念仏
を唱え、ご先祖様の菩提増進と自身の極楽往生を願った。
「住職の法話」
熱い中でも彼岸花が咲き始めました。
皆様もご存知の俳人、山口誓子の俳句に
「突き抜けて 天井の紺 曼殊沙華」があります。
彼岸花は、空に向かって真直ぐに伸びる。あたかも、秋晴れの紺碧
の空を突き抜けようとしているようだ。との意味であり、空の紺色
と彼岸花の赤の対比が見事に表現されている。
「曼殊沙華」は古代インドの言葉の発声音を漢字にしたもので、
インドでは、仏様を供養するための天界の花とされていたようです。
また、花言葉には「再会」というものがあるようです。
因みに、私の拙い俳句です。
「墓参り 寄添い念仏か 曼殊沙華」は、どうでしょうか。
さて、彼岸には、太陽が真西に沈むことから、西方にあるとされる
極楽浄土に想いを馳せ、ご先祖供養をするのが日本の良い風習と
なっております。
皆様は、本日、墓参りのみでなく、「ご先祖供養の法要」にご参加
していただいた分けですから、これ以上のご供養はないと思います。
どうぞ、ご遠慮なく大きな声でお念仏を唱え、前の木魚を叩いていた
だくことをお願いします。
「お施餓鬼を厳修」(令和6年8月8日)
開宗八百五十年を記念し、最初に「開宗御和讃」を聞いた後、住職の
法話、護持会会長の挨拶があり、法要を開始した。
法要には、25家約35人が参列(別に21家の代行供養あり)、龍音
寺住職及び応声教院副住職のご支援の下、猛暑の中にもかかわらず、盛大
に実施された。
「住職の法話」
只今「開宗ご和讃」を聞いて頂きましたが、この御和讃には浄土宗の開宗経緯や
特質等が明確に示されております。
特に、三番の「生けらば念仏の功つもり、死なば浄土に参りなん。とてもかくても
この身には、思いわずらうことぞなき」は、浄土宗の教えの根本を示すものです。
この言葉は法然上人が説かれたものですが、実はもう少し言葉が続いておりまし
て「・・・思いわずらうことぞなきと思いぬれば、死生ともにわずらいなし」と
なっているのです。「思いぬる」即ち「信じ込む」ことが必要な分けです。
「仏教」即ち「お釈迦様の教え」は、死後のことではなく「この世を如何に生き
て行くかの教え」を説いたものです。
「毎日お念仏を称えることによって、阿弥陀さまからの功徳がどんどん溜まって行
き、時が来れば確実に極楽浄土に往生させてもらえるのだ」と信じれば、あれこれ
と先の心配をすることがなくなって、毎日が精一杯生きられる。今日一日を元気で
精一杯生きるための教えが仏教なんです」
どうぞ、こうした有難いお念仏ですから、本日もご一緒にお唱え致しましょう。
「春の彼岸供養を厳修」(令和6年3月)
開宗850年の春彼岸、慶讃法要の意も込め、賑々しく実施した。
このため、法要に先立ち「開宗850年の御詠歌」を拝聴するとともに
法話では「開宗に至るまでの法然上人のご生涯と、その教えの特質」を
取り上げた。
また「念仏一会」では、参拝者全員で木魚念仏を行い会場の雰囲気を
盛り上げた。
参拝者は、28家約35人であった。
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「住職の法話」
既に皆様はご存知のこととは思いますが、開宗850年と言うことで
改めて「法然上人が浄土宗開宗に至るまでの経緯とその教えの特質」
についてお話させていただきます。
1.開宗に至るまでの経緯
①父(漆間時國:押領使)が、夜討にあい死亡(上人9才)
父から「敵討ちをせず、出家して菩提を弔え」との遺言があり、
菩提寺の観覚上人に弟子入り。
②比叡山に登り、源光上人の弟子となる。(13才:15才とも)
③優秀な才覚を認められ、皇円阿闍梨の弟子となる。(15才)
皇円阿闍梨は、龍となって桜が池に没しているとされるご上人
④修行を重ねたが、法然上人の求める「万民救済の道」(万人が
平等に救済される教え)は、見つけられず。
⑤教えを求め、黒谷の慈眼坊叡空上人に弟子入り(18才)
叡空上人から「源空」の名前を与えられる。
⑥更に、目指す教えを求め、京都・奈良の高僧を訪問(24才)
議論を重ねたが、目指す教えは発見されなかった。
⑦黒谷に戻り、膨大な『一切経』を5回も読み返すも発見されず。
⑧中国唐代の善導大師が著した『観経疏』に説かれた一文に至り
開宗(43才:1175年)
2.開宗の御文
「一心専念 弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者
是名正定之業 順彼仏願故」(一心に専ら阿弥陀仏の名号を
称えて、いかなることをしている時も、期間の長短にかかわ
らず、常に称え続けてやめないこと、これを正定の業ととい
うのである。それは、阿弥陀仏の本願に適っているからであ
る)
3.法然上人の教え(浄土宗)の特質
①これにより、誰でもやろうとすればできるお念仏によって、
極楽に往生できると言う「万人が平等に救済される仏教」が
誕生した。
このため、それまで貴族等の一部の上層階級のみの救いであ
った仏教は、一般庶民にも広く信じられるようになり、燎原
の火のごとく、普及して行った。
このように、日本仏教における法然上人のご功績は大きく、
上人は「日本仏教の改革者」として位置付けられている。
②悲しいことに、私たちは年を取るにしたがって、楽しいこと
は少なくなり、苦しいことのみ増える傾向にある。
しかし「開宗850年の御詠歌」にあったように、法然上人
は「生きらば念仏の功つもり、死なば浄土に参りなん。とて
もかくても、この身には思いわずらうことぞなき」と我々を
お導きくださっております。
どうぞこれからも、お念仏に励み、一日一日を明るい気持ち
で前向きに生きて行きましょう。