浄土宗の教え(解説)

「修正会を厳修」(令和6年1月2日)

 開宗850年の記念すべき年の幕開け、新年の清浄な空気の中、厳粛に
「修正会(しゅしょうえ)」を開催した。
 法要では、自身の極楽往生と、ご先祖様の菩提増進及び世界の平和の実現
 災害の発生や疫病の発生しないことを願い、参列者共々に『一枚起請文』
『摂益文』を唱え、『念仏一会』では、高らかに木魚を叩きながら、お念仏を
 唱えました。


「住職の法話」
いよいよ今年は、法然上人が1175年に浄土宗をお開きになってから
850年です。
 考えてみれば、50年に一度の出来事に出会うことは、なかなか難しい
ことです。計算的には、一生の中に1回又は2回出会うことになりますが
こうしてお念仏をできる環境、あるいはできる年代まで考慮すると,それ
ほど簡単なことではないと思います。
我々は、幸いにも、この貴重な節目に出会えた分けですから、これを尊い
仏縁として、各種行事に積極的に参加していただきたいと考えます。

 こうした節目の年であること、また世界の一部地域では戦争が行われて
いること等を考慮し、今年は「年頭念仏会」ではなく「修正会(しゅしょ
うえ)」として実施します。

 ところで、「修正会とは何か」と言うと、新しい年の最初に行う法要で
その中では、新年あたっての我々の誓いや願い事を阿弥陀様にお告げして
ご加護をお願いするための法要です。
具体的には、「修正会表白」で、「我々檀家一同は、新しい年の初めにあ
たり自身の極楽往生とご先祖様の菩提増進及び世界平和の実現を願い、新
な気持で、心を込めてお念仏を唱える旨の表明をします。

そして「別回向」では、ご先祖様の菩提増進と合わせ、「祝聖文(しゅく
しょうもん)」をお唱え致します。
この祝聖文の内容は、「天下和順」(世界中の全てが和らぐこと)「災厲
不起」(災害やコロナ等の疫病が発生しないこと)「兵戈無用」(軍隊や
兵器が必要ないこと)」などです。

 我々は、煩悩の絶えない身ではありますが、お念仏をお唱えすることに
って、阿弥陀様を少しでも身近に感じることができれば、きっと清らか
に生きたいという思いが湧いてくることと思います。
どうぞ開宗850年を契機に、心新たにお念仏に励んでいただきますよう
お願いします。


[お十夜法要を厳修」(令和5年11月25日)
 龍音寺住職及び応声教院副住職のご支援のもと、お十夜法要を厳修した。
法要では、自身の極楽往生とご先祖様の菩提増進を願って『一枚起請文』
『摂益文』及び『念仏一会』を一同でお唱えした。


「住職の法話」
 お十夜法要は、『無量寿経』に「煩悩や誘惑の絶えないこの世で、十日十夜の
善行(善い修行)を積むことは、極楽浄土で千年の善行を修めるよりも優れている」
と説かれていることに由来します。このため、昔は実際に「十日十夜の法要」を実施
したようですが、時代の変化によって簡略化され、今では1日だけの法要とする寺院
が一般的になりました。
 善行にはいろいろありますが、浄土宗で一番善い修行は、阿弥陀様の本願である
「お念仏を唱えること」です。
 後程、法要の中で私が「十夜法要の表白(ひょうびゃく)」をお称えしますが、
表白とは法要の目的や願いを述べたものです、
この表白の中に「我々一同は揃って極楽往生を願い、読経と念仏を致す旨の誓い」が
書かれております。

 そのため、我々僧侶が先頭に立って唱えますが、皆様にもお手元にある経本の『一枚
起請文』『摂益文』及び『念仏一会』を、ご一緒に唱えていただきます。
声を出さなければ、折角来ていただいた意味が半減してしまいますので、どうぞ大きな
声でお唱えしてください

「秋彼岸供養を厳修」(令和5年9月20日~26日)

 檀家様のご都合を勘案し、彼岸期間中の各日に分散して実施。約半数の檀家様
に参加していただいた。
 法要では、「一枚起請文」を同唱していただくとともに、「念仏一会」では
全員で木魚を叩きながら、お念仏を同唱し、自らの極楽往生とご先祖諸霊位の
菩提増進を願った。


 「住職の法話」

 

「お月様 きっとぼくのこと 好きなんだ」
これは増上寺で発行している「あおい」の九月号で法話に使われていたもので
8才の子が詠み、「伊藤園新俳句大賞」に入選した俳句だそうです。

 夜道を歩いていると、ずっと月が付き添って来てくれているように感じるので
そのことを「お月様が自分のことを好きだから、どこまでも見守って付いてきて
くれる」と感じた思いを句にした、夏井先生流に言えば、まさに「才能あり」の
俳句だと思います。

 ところで、我が家には白文鳥の「ぴーちゃん」がいて籠から出すと、いつも私
に付き添っています。たまたま一人遊びをしている時に私が移動しようとすると
直ちに私の手や肩に飛んできます。何をしていても、決して私から目を離しては
いないのです。
 これは、あたかも幼い赤ちゃんが、お母さんに付き添っているのと同じです。

 こうした状態を頭に、法然上人は、阿弥陀様と我々との関係について「親縁
(しんねん」としてお話されました。
 そのご法語は
 「衆生(しゅじょう:私たちのこと)ほとけを礼すれば、佛これを見たまう。
衆生佛をとなうれば、佛これをききたまう。衆生佛を念ずれば、佛も衆生を念じ
たまう。かるがゆえに、阿弥陀仏の三業(さんごう)と行者の三業と、かれこれ
ひとつになりて、佛も衆生も親子のごとくなるゆえに親縁となづく」というもの
です。

ここで、三業とは「身・口・意」で行う行為、即ち「身体で行う行為」「口から
発する言葉」「考える心」のことです。
したがって、阿弥陀様との親縁を結びたいのであれば、「阿弥陀様を手を合わせ
拝むこと」「口でお念仏を唱えること」「心に阿弥陀様を思い浮かべること」を
常に実践することです。勿論この中で最も大切なことは「お念仏を唱えること」
です。何故なら、「お念仏は阿弥陀様の本願」であるからです。

 皆様は本日、貴重な時間をとって、お集まりいただいたのですから、どうぞ、
この時間を阿弥陀様との親縁を結ぶためにお使いください。
そのためには、お念仏の際、遠慮しないで、大きな声を出してお念仏を唱え、
しっかりと木魚を叩くことを心がけてください。

「施餓鬼会を厳修」(令和5年8月8日)
龍音寺住職及び養徳院住職のご支援のもと、施餓鬼会を厳修。ご都合で出席できない
檀家様からの代行供養を含め、檀家様の約70%の方に参加していただき、感謝して
おります。


「住職の法話」


お施餓鬼は、「三界万霊のみ霊に飲食を施し、それらのみ霊が極楽に往生
することを願うとともに、そのことによって得られた功徳をご先祖様に振り
向け菩提の増進を図る大切な行事として実施しております。

 お施餓鬼の際、皆様に「五如来旗」を毎年差し上げておりますが、これは
五如来、即ち「多寶(寶生)如来」「玅色身如来」「甘露王如来」「廣博身
如来」及び「離怖畏如来」に願をかけることによて、三界万霊のみ霊が極楽
に救われるとする教えがあるからで、この旗をご自宅の施餓鬼棚に祀って欲
いからです。

上記に掲げた「除慳貪業(じょけんとんごう)福智圓満(ふくちえんまん)」
は、「多寶如来」のご利益として経文に説かれているものです。
その意味は「我々が普段の生活において、“慳”即ち『物惜しみすること』や
“貪”即ち『財物や愛情などに足ることを知らず、むさぶるように求めてやま
ないこと』をやめ、利他の行動を起こせば、福智、即ち幸せを呼ぶ智恵が円満
する」と言う意味です。

私も常々「慳貪の心をなくしたい。それが仏教修行だ」と分っておりますが
そう簡単ではないことも事実です。
逆に言えば、簡単でないからこそ、毎年この時期に、こうした行事を行い、
仏教の基本である「利他の精神を養う」と考えても良いのではないでしょう
か。

ところで、玄関の下駄箱の上に「どんな一歩も大切な一歩」と書かれたポス
ターが貼ってあるのにお気づきでしたでしょうか。
更にポスターには「いけらば念仏の功つもり、しなば浄土にまいりなん。とて
もかくてもこの身には、思いわずらうことぞなき」と書かれております。

 この言葉は、法然上人のお言葉(ご法語)ですが、お言葉はもう少し続いて
いて、「思いわずらうことぞなきと思いぬれば、死生ともにわずらいなし」で
す。
 私は、この「思いぬれば・・・」が、大変重要な意味を持つお言葉であると
う分けです。何故なら「思いぬるとは、お念仏を唱えることによって、極楽
往生できると確信することで、この確信は生易しいことでは得られないと考
えるからです。

 どうぞ、こうした機会に、今一度、自分自身の極楽往生とご先祖様の菩提の
増進を願い「念仏修行を一歩進めること」をはじめましょう。