ごくらくへ行ったぴーちゃん     

 白文鳥の「ぴーちゃん」を屋外に逃してしまった。
生後一か月から育てて3年4か月、小さいながら家族の中心的存在と
なっていた。
 文鳥の生存期間は7年程度とされているので、丁度半分の生涯、
一番可愛いい時に失ってしまったことになる。
 誠に残念で、可哀そうで、哀惜の念にたえない。

 そこで、3年余の飼育記録をもとに、仏教的な考えも入れて、
 『ごくらくへ行ったぴーちゃん』を書いて見た。
 是非、一読していただくことを願います。

 

 


1.ぴーちゃんの誕生から成鳥へ

 私は白文鳥で、平成30年3月15日に生まれました。生まれた所は、
浜松市にある「野寄ペット」という会社です。
 兄弟は5羽で、いつも仲良く寄りそって楽しく過ごしていました。

生まれて2週間ほど過ぎると、悲しいことに、私たちは別れ別れになって
しまいました。
ペットショップに売られてしまったのです。

 私ともう一羽の兄弟は、藤枝にあるペットショップに連れていかれ、
ウインドウの中で買ってくれる人を待っていました。
ウインドウの中には、名前も知らない大きな鳥や怖(こわ)そうな生き物も
たくさんおり、夜には大声で叫んだりするので、安心して眠れない毎日が続
きました。

 

 

 

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私たちは、まだ小さくて止まり木に乗れませんし、自分では餌を食べることさえも
ないので、ペットショップのお姉さんから「育ての親」という器具を使って食べ
させてもらっていました。

 ペットショップに来てから2週間ほど過ぎた日のことです。お店に、お爺ちゃん
とお婆ちゃんがやってきました。2人は私たちの所に寄ってくると、お爺ちゃんが
「あ、いたいた可愛いね。どちらにしようか」と言いました。
お婆ちゃんが動き回る私を指さし「前のぴーちゃんは病気で死んでしまったので、
元気のよいこの子にしよう」と言いました。

お爺ちゃんは、お店のお姉さんから「動物を大切にすること」の説明を受け確認書
に名前を書きました。そう、忘れもしない平成30年4月15日のことです。

こうして私は最後の兄弟とも別れ、新しい家に連れてこられました。

 

  

                     (2ぺーじ)


 

 お爺ちゃんの家に着くと、私は少し古い鳥かごに入れられました。前に住んで
いた鳥のにおいがしていましたが、すぐに慣れました。
お爺ちゃんが「育ての親」を「おっかなびっくり」しながら、私の口に差し込ん
で餌を食べさせてくれました。

「私の名前を何にしようか」との話になりました。

お爺ちゃんは、お寺の住職をしているので“なむあみだぶつ”の「なむちゃんもいい
ね。お寺にも連れて行くので・・・」と言いましたが、お婆ちゃんが「呼びなれた
名前がいいじゃない」と言うので、私の名前は「ぴーちゃん」と決まりました。
正確には「二代目ぴーちゃん」です。

 

 

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 やがて5月になり、自分で餌を食べれるようになりました。止まり木にも、
ちゃんと止まって籠の中を自由に動けるようになりました。

 お爺ちゃんが「そろそろ鳥かごから出してみようか」と言って、私を手に乗せ
外に出してくれたのです。

 私は思い切り羽を伸ばし、初めて飛んでみました。家の中は意外に広く、面白
いものがいっぱいあります。
私は鏡の前で、友達がいると思い近づこうとしたところ、ガラスに頭をぶっつけ
落ちてしまいました。すぐにお爺さんが走ってきて私を拾い上げ、助けてくれま
した。

 出窓の所に行ったら、また友達がいるので「あいさつ」をしましたが、返事が
なく、少しも動きません。後ろ側にまわって見ましたが、そこにも友達はいません。
 これがお爺ちゃんたちが話していた「先代のピーちゃん」の写真というものだな
、と思いました。

 

 

 

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 お爺ちゃんは、きんしょうじ(金性寺)というお寺の住職(じゅうしょく)
で、住んでいる所は離れているため、毎日車で出かけます。私もいっしょに車
に乗せて連れて行ってくれます。

 お寺には「あみださま(阿弥陀仏)」がいて、ちょっと怖い顔をしているけ
れど、よく見ると優しそうなので安心しました。

 お爺ちゃんは、いつも「あみださま」の前でお経を読み「なむあみだぶつ」
お念仏を唱えています。時には、お婆ちゃんも本堂に来て、いっしょにお経
を読みます。
 私も、いっしょに本堂に連れて行ってくれる時は、鐘や木魚の音に合わせて
「ぴー、ぴー」とさえずり、お念仏を唱えます。

 お爺ちゃんは、檀家様に「お念仏を唱えると、必ず“ごくらくじょうど(極楽
浄土)”に往生できるよ」と,いつも話をしています。

 


 

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 お寺には、沢山の檀家さまが来ます。
私を見て「真白できれいな鳥ですね。何という鳥ですか」と聞きます。

お婆ちゃんは「文鳥で、名前はぴーちゃんですよ」と私を紹介してくれます。

お爺ちゃんは檀家さまに「お経を読むと、極楽には、くじゃく(孔雀)や
おおむなどいろいろな鳥がいて、朝と夕方の6時に、きれいな声を合わせ て
お経を唱えている。
その鳥の中には、びゃっこく(白鵠)と言う 大きな白い 鳥がいる」と書いて ある。
「ぴーちゃんは、いつも一緒にお経を唱えているから、やがて極楽に往生し て、
その鳥になるんだよね」って笑いながら、私を紹介してくれます。


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 秋になり、すっかり成長した私を見て、お爺ちゃんは私が男の子であることに気付き
ますます可愛がってくれました。
 お婆ちゃんに「良かったね。この子は男の子だよ。前のピーちゃんと違い、さえずり
が全然違うし、今にきっと踊りもできるようになるよ」って、楽しそうに笑っていま
した。

 それからしばらくして、お爺ちゃんは鳥かごの前で、手の指を上下させながら
「よいしょ、よいしょ、よいしょ、よいしょ、ぴーちゃんは。ハアー踊り踊るな~ら、
チョイと東京音頭ヨイヨイ♪」と歌って囃(はや)してくれました。
 僕はあまりの調子よさに、足を伸ばしたり縮めたりして、踊り出してしまいました。
 お爺ちゃんは、大喜びです。

 

 

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2.いたずら大好きなぴーちゃん

 僕はいたずらが大好きで、鳥かごから出してもらった時は、紐(ひも)の切れはし
や、ティッシュペーパーを口にくわえ、部屋の中を飛び回っています。

 ある時、ビニールの紐が羽にからみつき飛べなくなって、床に落ちてしまいまし
た。僕はこのまま死んでしまうかと思い、急いで「なむあみだぶつ」と唱えました。
気付いたお婆ちゃんが「ぴーちゃんが大変」と大声で叫びました。すると、お爺ちゃ
んが走ってきて僕を拾い上げ、羽を傷つけないように、そっと取ってくれました。
輪ゴムが体にからまって動けなくなった時も、お爺ちゃんが助けてくれました。

 また、ある時、物置の扉が開いていたので中に入ってみると、そこには面白そうな
ものが沢山ありました。
僕は夢中になって遊んでいたら、右の足が何かの間に挟(はさ)まり抜けなくなって
しまいました。思い切って引っ張ったら足は抜けたけど、今度は痛くて両足で止まる
ことができません。

 痛いのをこらえ、やっと左足だけで止まっていると、お爺ちゃんが気付き「これは
大変だ。足を怪我(けが)したようだ。夜で医者にも行けないから、早く寝かせて様子
を見ることにしよう」と言って、鳥かごをいつも寝る部屋に運んでくれました。

 

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 翌日になっても、僕が片足で止まっているので、お爺ちゃんはペットショップに聞き
僕をお医者さんに連れて行ってくれました。

 僕は「お医者さんで注射とか痛いことをされるといやだなぁ!」と心配して
いると、お医者さんは「足の怪我(けが)だね。元気そうだから多分大丈夫だ。
飲み薬をあげるので、朝晩に飲ませてください」と言って薬をくれました。

 家に帰ると、お爺ちゃんが、お婆ちゃんに「さっそく薬を飲ませるから、ぴー
ちゃんを捕まえていてくれ」と言ったので、僕は嫌がってバタバタしたけど、
結局捕まえられてしまいました。
それでも、僕が「イヤダ、イヤダ」と大きく口を開けていると、そこにスポイト
のようなもので、口いっぱいに冷たい薬を入れられました。
驚いて僕は気を失いそうになってしまいました。

 それから三日間、嫌いな薬を飲まされましたが、足の痛みはなくなり前のよう
に両足で止まれるようになりました。

 

 

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 僕は水浴びが大好きで、毎日水浴びをします。
生まれて最初の水浴びから、お爺ちゃんがやってくれたので、水浴びは
お爺ちゃん専門です。

 お爺ちゃんは、寒い時には少し温かい水にしてくれたり、僕が水浴び
をしやすいように、手を上手に動かしてくれるので、僕もお爺ちゃんに
水浴びさせてもらうのが大好きです。

 お爺ちゃんは、時には用事で帰りが遅くなることがあります。
そうした時には、僕は眠いのを我慢して、お爺ちゃんの帰りを待っていて
帰ると、すぐにお爺ちゃんの手に飛んで行きます。

お爺ちゃんは僕を見て「ぴーちゃん、待っていたの、いい子だね。ぶちゃ
ぶちゃ、やろうね」って言うので、僕はお爺ちゃんより先に、洗面所へ飛
んで行って待っています。

 お爺ちゃんは「ぴーちゃんは、本当に賢い子だね」って僕をほめ
ゆっくり水浴びをさせてくれます。

 

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 僕がはじめて迎えたお正月(平成31年)に、お爺ちゃんの子供家族が
家にやってきました。8人の家族が集まったので家の中は驚くほどにぎやか
です。

 「ありさ」お姉ちゃんと「きりか」お姉ちゃんは、僕と上手に遊んでくれ
ますが、小学2年生の「まなみ」ちゃんは、僕を自分の指に止まらせようと
追いかけるので、僕は逃げ回りました。
また、同じ学年の「わたる」君は、僕をこわがって、手に止まろうとすると
急いで逃げてしまいます。

 こうして、僕はあちらこちらから「ぴーちゃん、ぴーちゃん」と呼ばれ、
休む暇もありません。

この様子を見て「みゆき」おばさんは「ぴーちゃんは、猫のように人なつこく
本当に可愛いね」って、ほめてくれました。

 また、「きりか」お姉ちゃんは絵が得意で、横浜の家に帰ってから僕の絵を
上手に描いて送ってくれました。

お婆ちゃんは、僕の絵が「本物にそっくりだわ」って喜び、額に入れてリビング
の壁に飾ってくれました。

 僕は、また一人友達ができたようで嬉しくなりました。

 

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 こうして僕は楽しい毎日を送っていました。
毎朝、僕を起こしてくれるのはお爺ちゃんで、起こすとすぐに籠を隣のリビング
に運んでくれます。そして、鳥かごの中をきれいに掃除し、水と餌と野菜を取り換え
るため僕を外に出してくれます。
すると、僕は一目散に大好きなお婆ちゃんに飛んで行きます。

 お爺ちゃんも好きですが、なぜかお婆ちゃんの方が大好きです。僕の爪を切る時や
薬を飲ませる時など、僕がいやなことをやるのは、いつもお爺ちゃんだからです。

 朝の準備ができると、お爺ちゃんが「ぴーちゃん、よいしょ、よいしょ行こうね」
って言うから、僕も楽しそうに「ぴーぴー」とさえずります。
 こうして僕も車に乗って一緒にお寺に出かけます。

 お寺で僕は、池の前の応接間にいることが多いです。池には、大きな鯉が沢山いて
お爺ちゃんが投げる餌を、大きな口でパクパクと食べています。


 

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  僕がいる応接間の壁には、何か難しい言葉を書いた額とポスターが掛けられて
います。
額には「いかよにも人と争うこと 夢々候(そうろう)まじく、御法語」と書かれ
その横には「増上寺第八十七世、超譽(ちょうよ)」と書いてあります。

また、ポスターには「過去と相手は変えられないが、未来と自分は変えられる」と
書いてあります。

 これを見て、お客様はお爺ちゃんに聞きます。
「なかなか良い言葉ですが、きっと深い意味があるのでしょうね」

 すると、お爺ちゃんは、いつも“ニコッ”と微笑んで説明します。

「この額は、私が増上寺で修行した時に、当時の成田台下から戴いたものです。
御法語(ごほうご)と書いてあるのは、浄土宗をお開きになった法然上人が言われ
たお言葉という意味で、すなわち、法然上人が言われたお言葉を台下が書かれたもの
ということになります。」
 意味は「どんなことがあったとしても、決して人と争うことは、してはならない」
と言うことです

 法然上人は、9才の時、治安維持の仕事をしていた父が夜討ちにより、目前で殺さ
れたのです。その父が死の枕辺で「恨みをはらすのに恨みを持ってするならば、人の
世に恨みのなくなる時はない。恨みを超えた広い心を持って、すべての人が救われる
仏の道を求めなさい。」と遺言されたのです。

 「こうした経験を持つ法然上人のお言葉だけに、大変重い教えでありますが、
私などは、気に入らないことを言われたりすると、つい“カッとなって”争いをして
しまい、後になって後悔する。
 まさに修行が足りないってことですねェ~」って、言うんです。

 

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 また、ポスターに書いてある言葉のポイントは「自分の心を変えれば、今後の人生
が変わる」と言うことです。

 仏教では「私たちは心でモノを見て、心で話を聞き、心で考えている」と理解して
います。
 しかも、その心は煩悩(ぼんのう)におおわれているため「自分が見たいものだけ
自分勝手に見て、自分が聞きたいものだけを自分勝手に聞いて、その結果、自分勝
手に認識し解釈している」と言うことです。
 したがって、私たちは煩悩がある限り、本当に正しく公平な認識をしたり、判断す
ることはできないのです。

 このため、少しでも正しく公平な判断ができるように自分を変えるためには、煩悩
を少なくして行くことが必要となるのです。

 煩悩は「108」と言われるように沢山あるのですが、その根底をなすのは「貪
(とん:むさぶる心)」、「瞋(じん:怒る心)」、「痴(ち:仏の教えを知らない
こと)」の三つです。

では「この煩悩を少なくするには、どうすれば良いか」と言うと、それは「仏の教え
学び、その教えを実行すること」です。

 仏教的に見ると「日常、私たちが見たり、聞いたり、考えたりすることは、自我や
金銭の損得等に関することで、これらはすべて煩悩の源となるものばかり」なのです。
 したがって、煩悩を少なくするには「煩悩の源を心に入れないようにするとともに、
仏に教えを学び、それを実行して、清浄な心に変えて行くことが必要となる」のです。
 その具体的な方法としては、「お念仏を唱える」「座禅を組む」「お経を読む」
「仏像・仏画や仏殿などの清浄な物に心を集中させる」等が考えられますね」って、
真剣な顔をして、お爺ちゃんは答えるのです。

 お爺ちゃんが熱心になると、だんだん話が難しくなるので、僕は頭が混乱し、
分からなくなってしまいますが「お念仏を唱えることが煩悩を少なくすることに
なる」って言うので、安心しました。

 

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 お寺では、僕は鳥かごから出してもらえませんが時々書院へ行って、お爺ちゃん
お婆ちゃんから、みかんや夏みかん、アイスクリームを食べさせてもらうのが楽
しみです。僕は、特にアイスクリームが好きですが、お爺ちゃんは「沢山食べる
と、お腹が痛い痛いになるからね」って、少ししか食べさせてもらえません。

 書院には、いろいろな絵や仏像があります。「南無阿弥陀仏」「一枚起請文」と
いた掛け軸や、僕が最も怖い大きな蛇を描いた額、いろいろな仏像などです。

 お爺ちゃんが檀家さまに、いつも説明するのは、二つの仏像です。
お爺ちゃんは「左が阿弥陀如来、右が釈迦如来で、浄土宗の私たちが最も大切に
している仏様です。
 なぜなら、お釈迦様は仏教をおつくりになった仏様で、阿弥陀様は極楽浄土の
教主である仏様だからです。
 法然上人のご遺訓であり、法事の時などには皆様にも一緒に唱えていただく
『一枚起請文』の中に“二尊のあわれみにはずれ本願にもれ候べし”とあります
が、その二尊が「釈迦如来」と「阿弥陀如来」です。

 この「釈迦如来像」は、先々代の光襲(こうしゅう)住職がインドで修行した
際、記念にいただいた誠に尊い仏像で、日本の仏像とは違い西洋的なお顔をして
います。

 また、「阿弥陀如来像」は、浄土宗の典型的な仏像で、特徴は後背(こうはい)
が舟形をして、手は来迎印(らいこういん)を結んでいることです。」と説明し
ています。

    

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 ある時、檀家さまが、お爺ちゃんに「極楽浄土ってどんな所」って聞きました。
お爺ちゃんは「私もまだ行ったことがないけど・・・、お経を読むと、このように
書いてあるよ」って、話し始めました

「極楽浄土では、苦しいことは何もなく、楽しいことだけがあるから、極楽って言ん
です。
「極楽には、金や銀、るりや水晶など、七つの宝石でできた池があり、その中には
冷たくて甘い味がするきれいな水が流れている。また、大きな蓮の花が咲いていて 赤や白
青などの美しい光を放っている。
 池の周りには、宝石でできた並木が茂っており、池の畔には七つの宝石でできた
高くて大きな寺院がキラキラ輝いてそびえている。
また、くじゃくやおおむ、びゃっこく(白鵠)などの鳥がいて、6時間おきに毎日4回、
美しい声を合わせて、仏の教えを歌っているので、これを聞いた極楽の人々は、おのずと
仏法僧をうやまうようになる。
 極楽に往生すれば、このような素晴らしい環境の中で、しかも阿弥陀様のお導きで
修行できるので、誰でも仏さまになれるんですよ。」
 そして、一番嬉しいことは“先に極楽に往生した人たちと再び会うことができる”と 説か
れていることです」って、話しました。
  僕は、いつか死んだら、極楽に行って「びゃっこく」となり、お爺ちゃんお婆ちゃん
と再び会うことができたらいいなぁ~」 と思いました。

                    (16ぺーじ)



 また、ある時、檀家さまが、お爺ちゃんに「どうしてお念仏を唱えると極楽に往生
できるの」って聞きました。
お爺ちゃんは「良い質問ですね。私たちは理屈が分からないと、実行しない癖(くせ)
があるからねェ~」って、話し始めました。

 お経によると、阿弥陀様は修行時代には法蔵(ほうぞう)という菩薩(ぼさつ)で
した。法蔵菩薩は、仏になることをめざして修行に入るにあたり、四十八の誓願(せい
がん)を立てました。
 誓願は「私の仏国土(極楽浄土)には、地獄、餓鬼、畜生が存在してはならない」
とか「命に限りがあってはならない」とか、ありがたいことばかりですが、その十八
番目の願に「心の底から私の仏国土に往生したいと願い、お念仏を唱えたのに、もしも
その人が極楽に往生できないことがあるならば、私は決して仏にはなりません」と誓わ
れているのです。

お経には、「法蔵菩薩は十劫(じっこう)という遠い昔に阿弥陀仏になった」と説かれ
いるのですから、お念仏を唱えれば、必ず極楽に往生できることになるのです。

お念仏は「南無阿弥陀仏」とお唱えします。
南無は「南無釈迦牟尼仏」や「南無妙法蓮華経」など、広く使われますが「帰依(き
え)する」という意味で「仏の救いを信じて、その力に頼ること」です。したがって
「南無阿弥陀仏」は、分かりやすく言えば「阿弥陀様にすべてうをお任せしますと言
うことですよ」って話しました。

 



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 お寺から帰るのは、いつも夕方で、途中で買い物をしたりするため、家に着く
のは、日暮れ時になります。

 僕は「早く籠から出して欲しい」と“バタバタ”と羽ばたきます。
出ると、すぐに大好きなお婆ちゃんの所に飛んで行きますが、ご飯の支度で忙しい
ので、僕に「お爺ちゃんにぶちゃぶちゃやってもらいなさい」って言います。

 お爺ちゃんお婆ちゃんが夕食をすました後は、僕の一番楽しい時間です。
お婆ちゃんの手や肩で遊び、一緒にスマホをしたりもします。

 

 

                       (18ページ)       



 僕が籠から出てお婆ちゃんの肩や手に乗って遊んでいると、お爺ちゃんが、
ぴーちゃん「めん、めん、どう、をやろう」って、テーブルの上に手を出して
きます。剣道の稽古です。

 僕はテーブルの上を走って行って、お爺ちゃんの指に飛び付こうとします。
すると、お爺ちゃんは、「メン、メン、ドウ!」と言いながら指で僕を殴ろう
としますが、僕はその指を潜り抜け、素早くお爺ちゃんの指に噛みつきます。
お爺ちゃんは「ぴーちゃんの勝ち!」って手を引っ込めるので、僕は意気揚々
として、お婆ちゃんの手に帰ります。
 お婆ちゃんは「ぴーちゃんが勝った。いい子だね」って、そっと頭を撫でて
くれます。

 僕は剣道の稽古が面白いので、何回も何回も繰り返し疲れてしまうまでやり
ます。

 

 

                       (19ページ)      


 

 僕は、遊びでお腹が空くので、餌を食べに時々鳥かごに帰ります。
入り口を閉じられると、もう遊べなくなるので、お爺ちゃん、お婆ちゃんの
様子を見て、閉じられる前に、さっと飛び出し、また遊びます。
ティッシュを咥えて電子レンジの後ろに運んだり、ボールで玉乗りをしたり
洗面所で時計の動く針をつついたり、剣道の稽古をしたりします。

 こうして、夜8時半を過ぎると眠くなるので、自分で鳥かごに入ります。
お爺ちゃんは「ぴーちゃん、もうねんねだね」って、鳥かごをリビング隣の
暗い部屋運んでくれます。

 

 

                       (20ページ)


 

 ある日、お爺ちゃんは、僕を仏具屋さんに連れて行ってくれました。
お店には「ダッちゃん」と言う小鳥がいて、楽しそうに籠の中を、あちこちと
動き回っていました。

 ダッちゃんは、きれいな色のセキセイインコで、僕より少し大きく、不思議
なことに、人間の言葉を真似ることができるそうです。
行った時も「ダッちゃんはいいこ」などと話していました。

 お店のおばさんは「ぴーちゃんは目がとてもきれいで、いい子だね」って
ほめてくれました。

 籠を隣り合わせに置いてくれましたが、もともと生まれた国が違うためか
言葉がうまく通じず、話し合うことができませんでした。
 でも、きっといつかは良い友達になれそうな気がして、また会いたいと思い
ました。

 

 
                     (21ページ) 


        

 

僕が3才になった夏のことです。お爺ちゃんとお婆ちゃんは、茨城に住む
子供の「しゅういち」おじさんの家に行くことになりました。
 車で行くと言うお爺ちゃんに、お婆ちゃんは「込み合う首都高速道を通って
6時間もかかるから運転が心配、新幹線の方が安全」と反対したけれど、お爺
ちゃんは「ぴーちゃんも連れて行きたいので車にしよう」と言って、車で行く
ことになりました。

 お婆ちゃんは「ぴーちゃんが疲れてしまうのではないか」と心配していました
が、僕はお寺にいつも車で行っているので、車に乗せてもらうのは楽しみでした。
お爺ちゃんは、東名高速道路を100キロを超えるスピードで走ったので、僕は
止まり木に止まっているのが大変だったけど、大空を飛んでいるような気持で
楽しく「ぴー、ぴー」と歌っていました。

 首都高速道では、お爺ちゃんとお婆ちゃんが、カーナビを真剣に見て「次は右
とか、左とか」言ってましたが、無事に通り抜け、次は常磐高速道路を走りました。

 「しゅういち」おじさんの家に着いたのは夕方で、僕は足がすっかり疲れて
しまいました。おじさんの家には「ララ」と言う犬がいて、僕を見ると大きな声
で吠えるので、僕は怖くて静かにしていました。

 

 

                   (22ページ)        


3、ごくらくへ行ったぴーちゃん

  こうして僕は、お爺ちゃんとお婆ちゃんに可愛がられ、毎日が楽しく大変幸せ
でした。
 お爺ちゃんは、お婆ちゃんに「ぴーちゃんはいい子に育ったね。良く食べて良く
運動もするから、きっと長生きしてくれるよ」って話し、僕にも「ぴーちゃん長生
きするんだよ」って言ってました。

 しかし、悲劇は一瞬のうちに起きてしまいました。
 令和3年7月29日のことです。外出していたお爺ちゃんが、夕方6時ころに
帰ってきました。
 僕は「水浴びをさせてもらおう」とお爺ちゃんのところにへ飛んで行こうとしま
したが、お爺ちゃんが急に向きを変えてトイレに行くので、お婆ちゃんの肩に舞い
戻りました。
 すると、お婆ちゃんは僕が肩に乗っているのを気付かないまま、リビングの
ガラス戸を開け、庭に出て行こうとしたのです。
トイレから戻ったお爺ちゃんがこれに気付き、びっくりして「ぴーちゃんが・・」
と叫びました。
 お婆ちゃんは、この声に反応し「僕が外に出ようとして飛んで来た」と勘違い
して、急いで後ろのカーテンを思い切り強く締めたのです。

 僕は、何か大きな危険が迫ったと思い、外に向かって全力で羽ばたき、遠くへ
遠くへと飛んで行きました。

                     (23ページ)


 僕はすぐに力つき、知らない家の庭の木にやっと止まりました。
疲れて、しばらくじっとしていましたが、不安で不安でたまりません。
一番安心できると思っていたお婆ちゃんに止まっていたのに、どうして
こんなことになってしまったのか。
困った時には、いつも助けに来てくれたお爺ちゃんはどうしたのか。
僕は大声で「ぴーぴー」と鳴きました。

 すると、猫が僕を見つけて木の下に近づいて来ました。
僕はお寺で、猫に襲われそうになったことがあるので、怖くなりました。
屋根の上には、カラスが僕の方をじっと見ています。
そのうち、夜になって暗くなり、僕は動けなくなってしまいました。
  

 
                  
                      (24ページ)
 



 僕は木の上で、怖くて眠れない一夜を過ごしました。
お腹はペコペコで喉はカラカラ、苦しくてたまりません。
思わず「なむあみだぶつ」と唱えましたが、やっぱりお爺ちゃんは
来てくれません。

 だんだん明るくなり、周りが良く見えるようになりました。すると、
また、昨日の猫が家から出てきました。屋根にはカラスがいます。
僕はいつも車で帰る時、お爺ちゃんの家が分かったので、行って見よう
と思いましたが、どちらの方向に行くかわかりません。

 でも、このままでは助からないので、思い切って飛び出すと、カラス
が後を追いかけて来ました。力いっぱい逃げましたが、すぐに追い付かれ
畑に落ちてしまいました。
カラスが襲ってきたので、僕はお爺ちゃんに教えてもらった「めん、めん、
どう」で戦いましたが、とてもカラスの力にはかないません。

 僕は一撃で目がくらみ、その瞬間、お寺で見た「あみださま」が現れ、
すっと気持ちが楽になりましたが、次の一撃で何も分からなくなって
しまいました。

    ごくらくに旅立ったのです。

                      (25ページ)  



 一方、お爺ちゃんとお婆ちゃんは、すぐにぴーちゃんの後を追って、手分け
して捜し歩きました。
近くの家からはじまり、しだいに遠くまで、庭の木や電線に止まってはいないか、
屋根にはいないかと、必死で見回りました。
犬の散歩をしていた近所の人も一緒になって捜してくれましたが、どこにも
ぴーちゃんの姿は、見当たりません。
 やがて暗くなって、どうしようもないので、その日は捜索を中止しました。

 翌朝、お爺ちゃんとお婆ちゃんは、明るくなるのを待って、捜索を再開、
更に範囲を広げて捜し歩きましたが、一向に見当たりません。

 お爺ちゃんは、僕の発見情報を連絡してもらうため、警察と市役所に連絡を
お願いしました。

また、「白い文鳥をさがしています」と書いたポスターを作り、近くの電柱と
塀に4箇所掲示しました。

 その後も、お爺ちゃんは、僕の餌をポケットに入れて、毎朝、毎晩、一週間
捜し歩いたそうです。特に、近くにトウモロコシを収穫した後の田があり、
そこにカラスやスズメが集まっているため、その中に僕がいないか、じっと立ち
止まって捜していたそうです。

 


                     (26ページ)


 

 あの日から一週間が過ぎましたが、発見情報も全くないので、お爺ちゃんと
お婆ちゃんは、お寺の本堂で「僕のお葬儀」をやることになりました。

 極楽に往生し、修行して仏様になるためには、阿弥陀様のお弟子になることが
必要で、そのために僕にも「戒名(かいみょう)を付けてくれました。

 お爺ちゃんは、僕の仕草や賢さ、上手な囀り(さえずり)から、可愛い宝物
のようだったとほめてくれ「愛宝賢白鳴楽信鳥(あいほうけんぱくめいらく
しんちょう)」と戒名をつけてくれました。

 そして、ご本尊の阿弥陀様に、極楽に往生して「白鵠(びゃっこく)」となる
ようお願いしてくれました。

 また、僕が亡くなったことを悲しみ、こんな俳句も詠んでくれました。
  ・夏逝けり 真直ぐな目の 白文鳥
  ・愛鳥の なき籠見つむ 夜の秋

 

 

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 ぴーちゃんがいなくなったことを、檀家様に聞かれると、お爺ちゃんは
いなくなった様子を話した後、こんな話をしています。

 大切な小さな命が、予期せぬ出来事によって、突然、失われてしまったのです
から、喪失の悲しみは深く、反省はいっぱいあります。

 「私がもう一瞬早くトイレから戻っていたら・・・」とか「逆に、もっと遅く
戻っていたら、ぴーちゃんは静かに肩に乗っていて、そのまま家に戻れたのでは
ないか」とか「肩に乗せて外に出ようとしているのに気付いた時、そっと近づいて
お婆ちゃんが静かに家に戻るようにすれば、無事に済んだかもしれない」等々
切りがありません。

 しかし、標語に「過去と相手は変えられないが・・・」とあったように、起きて
しまったことは取り返しができません。

 無常(むじょう)の世の中ですから、こうした悲しいことが、しばしば起きて
しまうのは、しかたないことで、こうした時に一番やってはいけないことは、その
ことにこだわり、前に進めなくなってしまうことです。

 肝心なことは、こうした経験から学んだ「命の儚さと大切さ」を忘れないで、
一日一日を悔いのないように精進して行くことですね」って、話しました。
 

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