ほんなら・・・
  ほんでも・・・


     15回目 
    『樹村みのり』さん。
・・・W
      ・・・・・2004年 9月 12日・・・・・


 次の『ピクニック』には『ピクニック』『ふたりだけの空』『風船ガム』『雨の中の叫び』そして『エッちゃんのさけび』『こわれた時計』『あした輝く星』が載せられています。
 後書きによりますと、中学二年生の夏休みに『雨の中の叫び』を集英社・りぼん編集部に持ち込み、「また、おいで」の言葉に気をよくして、更に休み中『ふたりだけの空』を見てもらい、「身近なものを・・・」と言われて描いた『ピクニック』がデビュー作品だそうです。


 『ピクニック』
ピクニック
樹村みのり初期短編集

樹村みのり 著


朝日ソノラマ

1979年9月25日
初版発行

ピクニック(1964年 りぼん 春の増刊号 掲載)

 樹村みのりさん、わずか十四歳でのデビュー作品。

 米国西部のとある田舎町に、郷土出身の貿易商を父に持つミリー・クラークと言う名の娘さんが紐育から転校して来た。
 ちょっとした出来事から、彼女を意地悪そうだと言う級友達がいた。
 しかし、かって「自動車強盗の娘」と言われ友人との接触を避けていたが、今は多くの友人を持つスーザンは「意地悪ではなく寂しい」のだと仲の良い男友達に言う。

・(こんな風に書いていくと、長くなりそうなので、ほんの少し短めに)・・

 クラークは転校を余儀なくされてきた経験から、大金持ちの娘と言う事から近づいて来る軽〜い友達は何処でもすぐに出来たが、軽い友達との付合いを心良くよく思わない友人はすぐに居なくなって行く。

 結局、これまでに彼女が学んだのは、そのような友人とは去られるのが嫌だから付き合わないでおく事と、そんな短い間の友情よりも、軽めの友達の方が合っている、と思い込む事で一応の満足を得る事だった。

 彼女を見て、寂しくてひねくれていると思うスーザンは、心に傷つく事をクラークに言われた後も声をかけた。
 『あなた こわいのよ 友だちを失うことがこわいのよ それで自分のほんとの友だちなんていないと思ってるのよ だからはじめから友だちの価値なんてない人とつきあっているんだわ!』

 スーザンは続けて言いよった。
「明日、私ら
(うちら)のピクニックがあるので来いかい!!」
「なんやねん!!余計なお世話やんか!!なんで・・・なんで・・・やねんな!?」
「うち 嫌やねん あんた 見てたらずっと前の自分自身 見てるみたいやさかい・・・たまらんねんわ」

 てな、やり取りがありまして、クラークお嬢さんは明日のピクニックに行こうと言う気になったようです。




 自己の痛みを他者に重ねる意識をもとにして、本質を求める行動をクラークに排除されながらも指摘するスーザン。
 まかり間違えば、小さな親切大きなお世話になりかねないけれど、樹村みのりさんは、もちろんそんな風には描かない。

『ほんとの友だち』(=スーザンなのだが)『友だちの価値なんてない人』(=スーザンが主観的に判断しただけなのだが)との二分化は解りやすい。
 だが、非常に危ない視方で、人の存在の重さや可能性を一刀の元に切り捨てる事になりかねない。
 でも、そこに十四歳の実直な
(実は不自由な)樹村みのりさんを視る。

 私なんぞ、十四歳の頃は感受性の豊かな少年ではなかったって事で、そう真剣に”友”なんて考える事もなく、樹村みのりさんのように
『ほんとの友だち』『友だちの価値なんてない人』の区分けなんぞ、出来もしなかった。
出来もしないから,何の問題もなかったもんね。
 ついでに書けば”価値”なんてコトバを自分の辞書に入れたのは十代後半のように思う。

 多分、同じ学級にスーザン
(=樹村みのりさん)がいた場合、無価値の烙印を押される側だっただろう私は、挨拶程度以上の進展はなかっただろうと思う。


 ところで、絵は拙いけれどここでは”父親”をごく素直に描いているように視える。
 思春期において、女の子は”父親””男性”に対して考え感じ方が変化するらしいけれど、十代後半に何らかのそれが樹村みのりさんにもあったと言う事か?
 それが無骨な中年男性の絵になり、青年は線の細い中性じみた表現になっていると言う事かな?

 時代的に、男の中性化が言われだすのはもう少し先のように思うが、時代に先行し、少女漫画で描かれる男性は中性化された
(逆に言えば、宝塚歌劇の男優役ですね)者が多く表現されてきたところからすれば、樹村みのりさんと漫画業界での表現とは、ほぼ重なったとも言えそうだ。
 ここらの点は、少女漫画に詳しい人に聞いてみたいものです。



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ふたりだけの空(1965年 りぼん 別冊・付録 掲載)

 米国南部の片田舎、十五年程前に黒人が白人の少女を酔っぱらって殺した事件が契機となり、この田舎町では黒人に土地を貸さないようになった。

 この町に黒人の一家が引っ越してきた。一家には少女がいた。
 白人の少年達が野球をしている時、一家の少女ナンシーが通りかかり、少年達は彼女を罵り苛めた。
 たまたま通りかかった白人の少年ピーターが、倒れているナンシーに声をかけた。
「家まで送ってあげる」と言うピーターに、ナンシーは「私と一緒に歩いている所を見られたら、誰も相手にしてくれなくなるわ」そう言う。
「白人だ黒人だなんて気にしていない。除け者になってもかまわない。意地悪な連中より君と友だちになりたいよ」
 二人は、並んで歩きながら、明日、白い花が咲く野原で遊ぶ約束をした。

 野原で空を見ながら
『空って たった一つで こんなに大きくて広いんだぜ!だから ぼくは空が大好きなんだよ!』そうピーターが言うと、ナンシーは「太陽も地球も出来ていなかった昔、空は二つあった」と話し出した。

 いつも晴れていた空といつも曇っていた空は喧嘩ばかりをしていて神様ですら匙を投げていたのだけれど
『二つの空は いつかしら自分たちの力で自然と仲良くなって一つになったの・・・』

 町の自治会で土地の貸主が「黒人全てが悪いわけじゃない、私が保証する」と黒人の弁護を行うが、民主主義の原理原則”多数決”で黒人一家を町から追い出す事に決まった。

 自治会で、ナンシーと遊んでいたと聞いた父親は、ピーターを叱責するが「黒人を軽蔑している事が判った」と言い返すピーターに、迷いの背中を向けながらも「明日になれば黒人はいなくなる」と自分に言い聞かせる。

 白い花をピーターから受け取り、ナンシー一家を乗せたトラックは西部へと向かう。



 別にこれと言って書く事はありませんねぇ〜。
 中学二年生の女の子が・・・
(えぇ〜と、”女の子”って書きましたけれど、男女差別の意識はおまへん)・・・人種差別を取り上げて描くってのは、社会意識に目覚めるのが早かったようで、多分に誰かの影響が(親?教師?友人?御近所のおっさん?おばはん?おにいさん?おねえさん?親戚の者?書物?)あったんでしょうね。
 早熟と言えば早熟? 背伸びと言えば背伸び? 

 差別絶滅への道を”神”の力では無理だと解っているものの、当事者同士の力で”自然と仲良く”なると想定している所が、曲がった事の嫌いな正義感の持ち主、良くも悪くも理想主義・・・
(別に揶揄しているわけではなく、”理想”は必ず必要なのだけれど)・・・を高く掲げるところは、まっこと純粋。


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風船ガム(1965年? りぼん 別冊・付録 掲載)

 可愛がっていた仔犬を亡くし、いつまでも沈んでいたアンドレ少年が、おばあさんの誕生祝いに一人で出かけた。
 母親から「いじめっ子がたくさんいるから」貧民街を通って行かないように言われていたのだが、遅れそうになったので通って行った。

 風船ガムをふくらましながら歩いていると、聾唖のお姉さんと弟の幼い姉弟とすれ違った時、二人が風船がふくらむのを見たいと言うのでふくらましていたら足元に仔犬がなついてきた。
 仔犬は姉弟の犬で「風船ガムをふくらましてくれたお礼にあげる」との申し出に喜び、残っていたガムをお礼のお礼として二人にあげたその瞬間、それを見ていた姉弟の兄が「ものごいをするな!」と叱り、「乞食じゃない」とアンドレに強く言った。

 弟が兄に事の経緯を説明するのだが、兄の不信感は消えない。
アンドレが、ガムで釣って犬をかっぱらおうとしたと思い込んでいる。
 犬を返してアンドレは歩き出した。

「どうせ捨てる犬なら、あげても良いじゃないか」
「やるぐらいなら、捨てた方がましだ」
「あの子は親切だったし、姉を聾唖だとからかわなかったし・・・
それに、可哀想に昨日あの子の仔犬が死んだんだよ」

 仔犬を抱えて兄はアンドレを追った。
追いついた兄は「好きでやるのじゃない」と言いつつ、仔犬をアンドレに渡した。
 アンドレがお礼にガムを渡そうとすると兄は気分を害したが、姉弟の喜ぶ顔が浮かび「もらってやるんだぞ 犬を大事にしな」と言い走り去っていった。
 アンドレは貧民街を通って良かったと思う。



「亡くなった仔犬に似ている子犬を手に入れれたので、貧民町を通って行って良かった」と読んじゃいそうで・・・。
 そう読んじゃった自分が情けない。

ふたりだけの空』に続いての、言われなき”迫害の民”編です。
 
 貧民街を怖い処と思い込んでいる大人に染められた子供の認識を変えたのは、迫害を受けていた体験を多く持つ兄とその妹弟だったと言うわけで
(しかも、妹は聾唖者と言う二重苦の位置に立たせている)まだ若き中学生の樹村みのりさんは、自己が薄汚れつつあったモノが、自分の眼で視たモノにより、外力の歪みを正す子供の純朴さを描く。

 と言う事は、この少し前辺りから樹村みのりさんの中に不純さ(?)が育ち出していったのかも知れない。
 この葛藤がなければ、前作品にせよ、この仏蘭西国の貧民街にせよ、自己表現としての漫画に描こうとはしないもんね。
 そして、五年後の1970年には『カルバナル
そのU参照)において単刀直入に人種・貧富を描かず、社会面を背景にし主題を個人に移した物語を描く。



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雨の中の叫び(1965年? りぼん 別冊・付録 掲載)

 時は、第二次世界大戦下。
所は、アウシュビッツ
(強制収容所)で死体を焼く煙が見えるポーランドの村。

 収容所に連行される途中逃げて来たユダヤ人一家を、ユダヤ人をかくまったのが見つかると死刑になると判っていながら、村の男がかくまった。

 ナチの隊員達が捜索に来て、男を連行して行こうとした時、ハンス少年の父親がナチの隊員達に「見逃してやってください」と頼んだが、収容所副所長はその場で「余計な事を」とばかり隊員に命じて射殺させた。

 銃声が聞こえたハンスは家から走って行って見ると、父親は降り出した雨の中、血を流して死んでいた。
 「死体をトラックに乗せろ」の命令に一人のナチ隊員が「あの子は息子だから、せめて・・・」と上官である副所長に言ったが・・・。

 トラックに走りよるハンスに、ナチ隊員は涙顔で「帰りな!来ちゃ いけない」」と突き飛ばした。



 作品の途中で、ハンスが父親に「何も悪い事をしていない人を殺すナチは本当に悪い人なんだね」と聞いた時、
悪い人なんてこの世に一人もいやしない。ナチだってほんとはみんないい人なんだよ!』『・・・・悪いのは この戦争という大きな怪物なんだ・・・・この怪物のために たくさんの よいことが いけないことになったり よい人が 悪い人になったりしてるんだからね・・・』
父親はこのように答えている。

 最後のページでハンスが雨に濡れながら、父親の言葉を思い浮かべている場面では
『よいことが いけないことになったり』『よいことが 悪いことになったり』に変更されている。

 ”よい
”(良い・善い)の対義語は”悪い”なのだけれど、父親は「悪い人なんてこの世に一人もいない」と考えていたので、”いけないこと”は”好ましくない”(悪い)程度の意味合いに思える。
 しかし、父親を目の前で殺された子供のハンスには”よい”は”好い”ではなくもっと強い意味での”良い””善い”に変わらざるをえなかった。

 物語は単純なんだけれど、殺された父親に走りよる描写ではちょっとしたモノが胸にきましたねぇ。
 これが中学生の描いた漫画とは・・・・。



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エッちゃんのさくら貝(1966年 りぼん 別冊 掲載)

 さくら貝を身に着けて走ると一番になると信じているエッちゃんが、地区大会の100m競争に小学校代表で出る事になった。

 大会前日の夜、お母さんが「勝ち負けはエッちゃん自身の力だから、さくら貝を持たずに走れば?」
 そう言われたもののエッちゃんは「持っていく!!」と答えた。

 大会当日、スタート前に守り神のさくら貝がない事に気付いたが、観客席にいるお母さんを見て「お母さんはあたしに自信をつけさせる為に隠したんだ」と思った。

 よ〜し、守り神がなくても走ってやるわ。勝ってやるわ。
エッちゃんは一着でゴールした。

 お母さんの元に走りよったエッちゃんは、忘れ物のさくら貝を渡すのを忘れたと言うお母さんに「ありがとう。もういらないわ」と・・・・。
 ちょっぴり大人になったと思ったエッちゃんだった。



 プロの競技者でも、験をかつぐ人は多いと聞く。
験と守り神とでは大いに違うと思うかも知れないけれど、験=縁起それ自体を信じる事は、守り神を信じる事とさほどの差はないと思う。
 力が有っても何かを信じてすがっておきたい。
それが、凡人と言うものだ。

「エッちゃん さくら貝を持ち続けても 良いんだよ。
守り神は守り神でしかない、と気がついたんだから、持ち続けていても、お母さんはエッちゃんを心から心配し愛し続けてくれるんだから・・・・ね」
                            阿呆坊



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こわれた時計
(1966年 りぼん 別冊 掲載)

 私の目覚まし時計は、五時を指したまま止まっているの。
 これには訳があるのよ。
 隣町の時計屋さんへ直しに言った時、主が留守なのでその息子さんが直してくれたの。
 息子さんと言っても、まだ私と同じぐらいの子でね、将来自分も時計屋さんをするんだって言って、自信を持って直したのよ。

 
ところがどっこい(女の子がこんな言い方しませんね)目覚まし時計は一日しか動かなかったの。
 お母さんが「明日隣町に用事が有るので直しに行ってあげる」と言うけれど「毎朝、自分で起きるから直さなくても良い」そう言っちゃった。
 だって、あの子のがっかりした顔なんて想像したくないんだもん。



 ちょっとおしゃまな女の子のほのぼのとした読後感でした。

 私の母親は時計の修理を娘の頃にしていたので、家には修理用具や部品がかなり有りました。
だから、餓鬼の頃、時計をバラバラにしてよく遊びました。
 で、作品の中で、ゼンマイはともかくとして、ガンギ車・一番車・二番車・四番車・心棒・カナ・アンクル・テンプと時計の部品名を時計屋さんの息子さんが言っているのですが、何で樹村みのりさんは時計の構造に詳しいの?
 中学生の女の子が時計に興味を持つの?
家業が時計屋さんなの?



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あした輝く星
(1967年 りぼん 掲載)

 米国ケンタッキーの素人劇団で経験をつんだジェニファは、ブロードウェーの舞台での拍手を夢見て、ローガン演劇制作責任者の事務所に自分を売り込もうとやって来た。
 多忙なローガンはほとんど無視したが、新進劇作家フレッドは彼女に興味を持ち新作の端役の登用選考審査を受けるように勧めた。

 選抜試験が始まる前、舞台の上では舞台俳優を夢見て開花しない男、カーターが掃除をしていた。
 試験で彼女は、彼女の信じるまま小道具を持ち出し台詞をあえて変えたので選考からは落ちたと思った。

 酒場で働いていたジェニファは、たまたまお客でいた酔い潰れくだを捲いているにカーターに女優への夢を語った。
 カーターは話を聞きながら夢を捨てきれずにいる自分の事を思っていた。

 フレッドの強引な推薦により合格したジェニファは、舞台稽古中、主役の台詞をすべて覚えこんでいたので、隣に座っていたフレッドに主演女優が台詞を間違っていると指摘した。
 興味を持ったフレッドが聞くのにまかせ、演じ方の違いをとうとうと述べている時、主演女優が台詞への不満を言いまくり、演出家ベイリーに変えるようにと強く言った。
 ベイリーが言おうともフレッドは台詞を変えず、逆にジェニファを使う事を提案した。
「本気か?」「さっき、台詞を言った時、上手かったんだ」「また、同情かい?」
 扉の外にいたジェニファはそれを聞き「同情なんてたくさんよ」と走り去った。
 彼女はほのかな恋心をフレッドに抱いていた。
それはフレッドもだった。

 開演二日前、台本に不満な主演女優が降りた。

 ベイリーはフレッドに「書き直せ」と言いったが、フレッドはローガンに「ジェニファを使う事を許可して欲しい」と言い、ローガンは許した。
 扉の外で聞いていたカーターがフレッドに「彼女の所に連れて行ってやる」と言い、ジェニファに会わした。
 しかし、彼女はフレッドの説得にも応ぜず拒否した。

 ジェニファと二人だけになったカーターは言う。
『彼は君を認めてくれたんだ さぁこんどはお客に認めさせるんだ・・・きみは夢をみてきた・・・俳優になる夢をみつづけてきた 今夜その夢を実現させるチャンスだ・・・わしのようにはなるな・・・夢だけで一生おわらせるな・・・』

 観客の嵐のような拍手が聞こえる舞台裏、フレッドはジェニファに求婚した。

 関係者全員に囲まれて笑顔のジェニファにカーターは手を振り、劇場を去って行く。
『そうさ・・・わしの出る幕はもうおわって閉まったのさ・・・』



 米国人好みのシンデレラ物語。
でも、多分、映画を観ると乗せられてしまい、それなりの感動モンだと思う。

 ジェニファを翻意させるべく、ジェニファ一人の観客相手に、迫真の一人芝居を打った事になるカーターが影の主役。
 このいぶし銀=カーターがいなければ・・・・石が飛ぶ!唾が飛ぶ!罵声が渦巻く!
つまらんお話になる。

 後書きで『あした輝く星』は米国映画「女優志願」を素にしたもので
『原作を自分の意志からではなく、描くことになってしまったわたしは、「汚れてしまった」と思い、ひどく傷つきました。』と樹村みのりさんは書いています。
 一人で描く行為を大切にする潔癖な面を持っていた頃から、十数年を経ると、このような後書きを書けるぐらい、モノゴトを振り返れる余裕が出るんですね。

 1949年生まれの銃村みのりさんが1958年に制作された”女優志願”を封切りで視たとは思えませんので、名画座で視たのか?「これ、どないだ?」と原作として誰かに教えてもらったのか?どこでどうしたのか知りませんが、これを描いたわけですから、ジェニファに自分を重ねた意識が当時十八歳の彼女には有ったのでしょう。
(その後に訪れる漫画ブームでは、例えば1986年初版の『美味しんぼ』のように原作と作画の分業は業界としては、版元主導でごく普通のようになって行きますね)


『ローズバッド・ロージー』 ローズバッド・ロージー

樹村みのり 著


新書館

1979年11月5日 
初版発行

「魂の高鳴るとき」
 ・・・・・・・・・(略)・・・・・・・
 いつも生きることを、魂をふるわせるときのことをかきつづけ、わたしたちが、おとなになっていくと同時に、知らず知らず捨ててきたものを、もう一度見せてくれる樹村みのりさんの心温まる世界。
 気づかずにいれば、何ということもないものが、心を開いて見つめれば生命をもったものとなって私たちを囲んでいることがわかってくる。
 そんな魂の高鳴るひとときを感じさせてくれます
                 
(カバー折り返しに書かれていた文)



ローズバッド・ロージー
(漫画)

 町に一枚のポスターが貼られた。
「たずねびと この女の子見つけてください 名前ローズバッド・ロージ わたしです」

 強い風が吹いてはがれたポスターを拾ったのは、町に来ていたサーカス団の男の子パコだった。

 仲良くなったパコが知っているのは
 『誰もいない場所でのひとりぼっち』
ロージが知っているのは『たくさんの人の中でのひとりぼっち』

 やがて、サーカス団は町を出て行った。
パコはさよならが悲しいので、ロージに黙って行った。

 町にはたくさんのポスターが貼られ、ロージに呼びかけた。

「やさしい おかあさん わたしたちを早く見つけて」「わたしのネコを見つけて・・・」「みつけてください ぼく12さい あったこともない女の子へ」「わたし なんながいうほど おしゃべりじゃないの おともだちになってね」・・・・

 変な子と思われていたロージなのに、みんなはそう思わなくなった。

 パコは、好きな女の子がいないだけで客席が空っぽに見えると思った。

 遠くに見える灯。あんな遠くにも人がいるなんて寂しい。
そう思うロージでした。

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あかるい灰色の家
(絵本)

 近くに有る二階建ての家は、わたしの家とちょっと離れた家の二軒だけ。
 二階の窓から見ていたら、向こうの窓の人と目が合った。
その後、向こうの家の女の子と仲良くなった。
 向こうの家からわたしの家を見てみると、あかるい灰色の家。
ほんとうにあの家にいたのかと思う。
 やがて周りに家が建ちだし、あかるい灰色の家は見えなくなった。
でも、何処かにきっとあの時のようにくっきり見える場所が有る。
 『大きくなったでしょうか? あの二階の窓の女の子』

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箱の中の子供(絵本)

 辛くてたまらない男の子が箱の中に隠れ、女の子や男の子の絵を描いたら、絵の子供たちは黙ったまま微笑み続けた。
 そんな状態が寂しくてなって、箱の外を見てみたら人が一杯いた。
始めに出逢った女の子に「友だちになって」と声をかけたのだけれど、女の子は「顔が見えないので、見せて」と言う。
 箱の外に出たら、自分の惨めな姿に気付いて泣き出してしまい、女の子が優しくしてくれているのに、顔をあげる事が出来なかった。

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となりの一平くん(漫画)

 一平くんを取り巻く人々との楽しい日常を、一平くんの眼で描く。
 『ぼくンちの人たち』『さおりちゃんとぼく』『おばあちゃんと一緒』
『志保ちゃんと男の子』『かぼちゃとトウモロコシとタクおじちゃん』 『雨の夜は みんな・・・』を収録。


ぼくンちの人たち
 お母さんとお父さんは、小学校の時からお互い好きになつて結婚したらしいけれど、本気で付き合っていると疲れる人。
 妹は、まだ何も分からないでいる ぼくの可愛い妹。

さおりちゃんとぼく
 さおりちゃんは、ぼくを呼び捨てにする威張りん坊のガキ大将みたいな女の子なんだけれど、同じ幼稚園に通う大好きな子。

おばあちゃんと一緒
 おばあちゃんは、”おばあちゃん”なのに「パパのママ」なんだって言うので「変なの?」と思っていたら「生まれた時からず〜とおばぁちゃんをしていたわけじゃない」って言う。「じゃぁ別人だったの?」と、今しかないぼくには解らない大人。

志保ちゃんと男の子
 隣の志保ちゃんは、学級の関クンに自分の事をどう思っているかぼくに聞いてみてって言う、おしゃまな五年生。

かぼちゃとトウモロコシとタクおじちゃん
 タクおじちゃんは、東京生まれの東京育ち、会社勤務を一年程で辞めて、田舎で無農薬野菜を作っているので、自分で工夫してってのを喜ぶママの弟。

雨の夜は みんな・・・
 雨が降り続いて嫌になっていた時、さおりちゃんが「雨と晴れとの境目があるはずだ!」って言うもんだから真夜一直線に歩き出し、途中でお菓子屋のおばさんが踊っていたり、他にもそんな人たちがいたけれどグングン歩いていったら、先にさおりちゃんがいたんだ。
 でも、いつものさおりちゃんのように男の子ぽくない!
・・・・・・・・で、ママに起こされて眼が醒めた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

8月の光』(詩と絵)

 夏の少年少女がトウモロコシ畑でかくれんぼ・・・。
いつまで追っても抜け出せないトウモロコシ畑には、今でもあの時の少年が隠れているのだろうか?純真な少女はまだ迷い込んだままだろうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

季節の刻み』(詩と絵)・・・
(1977年 モンブラン 掲載)

「菜の花」「4月の街の風は春風」「大きくなるのはすてきだけれど」
「回転木馬」「ともだち」「よい心/あかるい・やさしい・よい心」
「スポーツマン・シップ」「追いかけて」「夜行バス」「姉さん」が各詩の表題です。
 まぁ、何となく判るでしょう?
どんな詩かと言うよりも、樹村みのりさんが・・・。


 二十八歳の頃の詩ですから、追憶としての子供時代をも書いていますが、青春期での思いを、例えば
『4月の町の風は春風 恋の始まり わたしは軽い服を着て 外へと飛び出します』とか『今度こそ最後の悩み いきもたえだえに苦しんで いつもそう考えるわたし 解かれていない問いは たくさんあるけれど 明日のわたしはもう違った町』のように、自己のブレを精一杯ブレずにおこうとする真摯な自分を見つめた詩が・・・・。



 実の所、阿呆坊は買った当時は(
え〜と、二十七歳ごろ購入したらしい)兎も角として、気恥ずかしくて、今は読めない。


 二十代に終わりを告げるここら辺りで”子供”の世界を描いてきた樹村みのりは次の問題意識に向かうようです。

 それが解りやすいように、作品の発表順に載せていけば良かったのですが、お仕事上の”性”と言いますか、つい発売順に並べてしまったので・・・数冊後には、また1970年代頃の作品
(青春期)を一冊にまとめて発売されているようですが、これはこれで樹村みのりさんの心の動きが何となく分かる気がします。


ホンダ1300・クーペ9(後ろ)
16回目は、 
『樹村みのり』さん
・・・X  
です。


HONDA1300イクーペ9でに乗って・・・掲示板へ。
 この車に乗って往き、
”本”の事でも、
”わんこ”の事でも、
何でも書いて
(掲示板)おくんなはれ。


ホンダ1300クーペ9の郵便車。
「お手紙は、この”HONDA1300クーペ9”で運びます」


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