●寛永11年(1634) 堀尾忠晴に代わって、京極忠高が、出雲・隠岐両国に石見国の一部も加えて24万石で松江藩主となる。 ●寛永12年(1635) この年、全国でキリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。 ●寛永15年(1638) 京極忠高に代わって、松平直政が出雲国18万6,000石と隠岐国1万4,000石を兼官する松江藩主となる。
●寛永12年(1635) この年、全国でキリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。
●寛永15年(1638) 京極忠高に代わって、松平直政が出雲国18万6,000石と隠岐国1万4,000石を兼官する松江藩主となる。