Starnberg, Germany [2004 & 2005]

 ルートヴィヒ二世が遺体で発見された場所に十字架が立っていることで知られているStarnberg湖に三回行きました。三度目の正直でやっと気のすむ結果になったというのが正しいのですが、おかげでずいぶん周辺の知識が増えました。地名がいろいろ出てくるので、まずは地図から。
 Starnbergseeはミュンヘンの南西にあります。S6が湖北端のStarnbergや西岸のPossenhofenを経由してTutzingまで走っているので、街までは簡単に行けます。地元の人は、この湖を夏の水泳や水遊びの場所と認識しているそうです。確かに、ヨットやボートをたくさん見かけました。
 巡礼にとっては、湖がルートヴィヒ二世の終焉の土地であり、Berg城は死の前日に幽閉されていた場所、Possenhofenはエリザべート(Elisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach)が滞在していた屋敷があるなど、気になる土地でもありました。
 さて、詳細図です。StarnbergとPossenhofenはS6でつながっています。定期フェリーが運行されていて、StarnbergからLeoni経由でPossenhofenを結んでいるほか、便数は少ないものの遊覧船もStarnbergから出ています。

 最初の旅 [April, 2004]
 
この出張は、US西海岸→ギリシアのクレタ島(仕事です!)と巡ってMunichで週末。翌週はEuropeあちこちという日程でした。天気があまりよくなかったのですが、Munichに入った土曜日の午後、Nymphenburgでルートヴィヒ二世の生まれた部屋を見学していた勢いで、翌日の湖行きを決意。ある程度下調べをしてあったので、その情報が頼りです。持って来たcameraはCanon A70。その前のOlympusより電池が長持ちするのが気に入っていました(これが、大きな誤算に...。)
最初からつまずき。電車が定刻よりも大幅に遅れ、S6を降りたら1040。Starnbergの船着き場には、すでに1035発の遊覧船の姿はありません。  船着き場の前。次の遊覧船は1315発と出ています。こんなのを待っていたのでは、夕方の電車に間に合いません。この日は、ICEでStuttgartに移動し、そこで泊まる予定だったのです。
 ここで撤退するのはしゃくだと、フェリーの時刻表を眺めて知恵を絞ります。結論は、S6でもう一つ先のPossenhofenに行き、そこからStarnberg行きのフェリーに乗ること。途中、十字架の近くにある船着き場(Leoni)を通るし、船から十字架や鎮魂礼拝堂やBerg城が見えるはず。これなら遊覧船と大差ありません。かくして、早速1104発のS6に乗車。一日乗り放題切符が活躍します。
Possenhofen駅の近くで見た地図の看板。船着き場の場所を確認できました。  岸辺に向かって歩いていたら、エリザベートが滞在した屋敷の脇を通過。Possenhofen城(Schlossだから屋敷が適当?)と書いてありました。公開されていないので、遠目に見るだけです。
岸辺の手前の十字架。日本のお地蔵さんのようなものでしょうか? 雲行きの怪しい天候と相まって、いささか不気味です。
教会の庭  衛星放送用dishもこんな設置とは...。
早めの昼食で時間をつぶし、船着き場で待機。ほぼ定刻に1235発の船が入ってきました。

5EU払って乗り込み、最後尾に座ります。右は船からの眺め。さっき脇を通ってきたSchlossが見えています。
 Leoniの船着き場に接近。他の乗客もcameraを手に、十字架を待ち受けます。日本人は一人だけでした。  十字架の脇を通過。後ろは鎮魂礼拝堂です。やはり、陸からちゃんと眺めたいと、このとき思いました。
 ほどなく、十字架は船の後ろに。この辺でcameraの反応がおかしいことに気づきました。電池がなくなりかけていたのに、別の原因ばかり追いかけているうちに、Berg城に接近。
 結局、ものになったのはこの一枚だけ。連写したのにおかしいなと、再度点検したら電池切れでした。  準備不足を悔やんでいるうちに、すでに終着のStarnbergが見えてきました。中央の塔はヨーゼフ教会シュタルンベルク。
 電車の遅れを計略で取り繕ったつもりが、満足のいく結果になりませんでした。しょっちゅう電池を交換していた前の機械だと、こんなことは起きなかったのに。
 気を取り直して、再びS6で市内に戻り、Oberschleissheimにあるドイツ博物館別館を訪ねました。ここは航空博物館というべき展示内容です。
 Hotelで荷物を拾って中央駅からICEに乗車。座席に電源がついているので、PCを起動して写真の確認をしていました。

 左は、翌週Munichからの帰国便に乗る日、朝の散歩で見かけた旬のアスパラガス。

二度目の旅 [June, 2005]
 
急に出張が決まり、出国便の手配が難航しました。日曜日に飛びたいのに、どの経路も満席。やむなく前日に現地に入っておくことにしても定宿は取れず。もろもろを気の毒に思ったらしい現地の仲間が、日曜日の昼間ならつきあってやるよと言ってくれ、お言葉に甘えることに。彼はMunich市内の観光名所に連れて行けと言われると思っていたようですが、相手を見くびってはいけません。
 Starnberg湖に行きたい、電車の時刻は調べてあるとE-mailしたところ、多少驚いた様子でそれなら自分の車を出すとの申し入れ。これで十二分に復讐戦ができると確信しました。彼も写真が趣味で、C対N社のDSLR対決になりました。
 到着後、すぐ十字架の前に行き、陸側からの撮影。思ったよりも岸に近い場所にあって、本当にここで溺死したのかと思ってしまいます。
 悲劇の始まりです。鎮魂礼拝堂(Votivkapelle)を撮影。
現地でcameraのLCDで見たときは正常に見えたのに、hotelに戻ってPCの画面で確認すると、しっかり虹が出ています。こんなに逆光に弱いlensだとは思いもよりませんでした。 >T社

 翌日、運転してくれた仲間に見せたところ、ほぼ同じ位置から撮影した自分の作品を披露してくれました。N社純正のlensとbodyでは全く問題なし。
  鎮魂礼拝堂の周辺を歩きながら、撮影ポイントを探します。
礼拝堂の前にある十字架と湖中に立つそれをどう組み合わせるか、試行錯誤しました。
 礼拝堂を離れてBergの街中に戻ります。Schloss Bergは陸側からは見えません。ここも私有地なので、入り込むこともできず、撮るなら湖からしかないことがよくわかりました。
 ここから、車で市内に戻り、散歩がてらの撮影を続けました。
昼食後、これまで行く機会のなかったResidenzをゆっくり見学。美術品の撮影で、もっと明るいlensが欲しいと痛感。それにしても、WWIIの爆撃で破壊されることを見越して、重要な品物を疎開させていたことを知り、ちょっと呆れました。それなら戦争しなければいいのに。
 Haus der Kunstの脇を流れるEisbachでは、水門のところで波乗りをしている若者たちがいます。珍しい光景なのか、橋の上に見物人が絶えません。水の量感と人の動感をどう出すかなどと、二人で競いましたが、完敗でした。

 そろそろ別の乾杯に切り換えることにし、彼のgirl friend(今の奥さんです)を迎えに行って、三人で夕食。結局彼には12時間もつきあってもらったことになります。Hotelに戻って、虹を見たときの気分を想像してやってください。Good grief.

Munich この部分、別のpageに詳細を綴りました。

三度目の旅 [September, 2005]
 
少し長めの出張が入りました。天候次第ではあるが、是非三度目の挑戦をしたいと、事前準備を始めました。頼りたい前回の相棒は夏休み中で、運転を頼むわけに行きません。自力で移動するには、S6のStarnberg駅からtaxiでBergに行き、撮影後、Leoniから船で戻るのが現実的です。StarnbergとBergの間に路線バスもあるのですが、乗り場がよくわからないし、本数も少ないので、使えないと判断しました。歩いた方もいますが、一時間ほど掛かるとあって、暑いこの時期の選択肢にはなりません。
土地勘ができているので、安心してtaxiを降り、歩き始めます。  Berg城とおぼしき辺りを通過。
 民家の屋根にあるアンテナの多さに戸惑いつつ、林の入り口に到着。
しばらく歩くと鎮魂礼拝堂が見えてきます。
周辺ばかり撮っているのは、気分を落ち着かせるため。撮ってはすぐにLCDで画像を拡大、虹の出ないことを確認します。
 今回はlensが違うし大丈夫だと思いつつも、不安が残っていました。
ようやく撮った中の一枚。せっかくなので、大きいまま載せておきます。
前にもこんなアングルで撮ったなあと思いつつ、せっかく来たのだからと性懲りもなく。
 礼拝堂の門にあったささやかなお供え。  十字架の台座には王の命日(6月13日)が刻まれています。
 林をLeoni側に抜けたところ。 ここに出る途中、湖にそそぐせせらぎがあり、しばし清流に手を浸して感慨にふけっていました。単なる物好きにしか見えませんが、本人は結構真剣だったのです。
 一息ついて、Leoni船着き場でフェリーの時刻を再確認。Cafeに入るほどの時間はなく、船着き場で座って20分足らずの時間をつぶすことにしました。
待っている間の時間つぶし。いろんなものが飛んでいました。
 ほどなくフェリーが来て乗り込んだら、"この船は次が終点だよ。反対向きのと間違えていないか?"と親切な質問を受けました。これでいいんですと返事をし、小銭で終点までの運賃をきっかり出したら納得してくれました。
かくして、さっきまでいた地点を湖上から眺めます。
 礼拝堂からBerg城へ。ヨットが思ったより高速で、画面右に去っていきました。
 沈着にBerg城を撮影。
王はNeuschwanstein城からここに移され、一泊しただけでし
た。
 詳細はこちらを。
まもなくStarnbergに着きます。ほっとしたらお腹が空いてきました。
 駅の近くで昼食(と祝杯)。S6で市内に戻るところです。落ち着いて眺めたら、駅に"王のサロン"がありました。ラウンジか何かでしょうが、人の気配がありません。午後は、Schack Galerieに行き、ベクリーンの作品を堪能しました。
ポスターがなかったら通り過ぎかねないほど控えめな標識です。
Schack Galerieを出て、Luitpoldbruckeを渡ったところにあるFriedensengel(平和の天使)。 BerlinのSiegessaeuleと似ていますが、こちらの方が優美です。
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