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98年度定期総会行われる
50万署名をやり遂げ、福岡高裁での勝利判決を勝ち取った97年。この歴史的な一年間の活動を振り返るとともに、最高裁での一日も早い勝利の確定をめざして、1月31日、80人を超える参加で「98年度定期総会」を開催しました。
はじめに、横山茂樹弁護団長より地裁・高裁での全面勝訴は世論をつくりだせた賜であり、最高裁では裁判の意義を全国的に広め、大きな国民的世論をどうつくるかが重要とあいさつがありました。
次に松谷英子さんが、勝利判決を勝ち取ることができたお礼を述べた後、前日の30日に京都地裁で提出された国の原爆症認定基準についてふれ、浮き彫りになった認定行政の実情に怒りを表しました。そして「最高裁での勝利判決を手にして厚生省に突きつけたい。」との強い決意を示し、最後までの支援を訴えると、会場からはあたたかい拍手がおくられました。
法廷報告では、中村照美弁護士が1月14日付けで提出された上告理由書について、いくつかのポイントに分けて報告しました。
最後に、97年度活動総括案、98年度活動方針案、97年度決算及び98年度予算案についての報告が行われ、役員体制、総会決議案とともに採択し終了しました。
総会に引き続き行われた「つどい」は、長崎のうたごえ協議会による素晴らしいコーラスで開幕。
東京から駆けつけた池田嚥K弁護士は、アメリカのイラクに対する言動から、橋本首相に至るまで幅広い話題を提供しながら、最高裁がいかに国の姿勢に忠実であるかを説明しました。上告理由書についても、訴訟理論において裁判官に耳ざわりのよい巧妙な書き方、言い回しを用いて、被害者でなく加害者の立場に立った厚生省の理論を受け入れやすくしていると指摘。最高裁では自発的に行動を提起し、次々と面白い運動に取り組み、世論で最高裁を包囲する。これが裁判の勝利につながるだけでなく、核兵器のない、戦争のない世界をつくると結びました。
参加者はあらためて裁判の意義を確認し、自分らしい最高裁での運動は何かを前向きに考えながら、最後まであきらめずに闘いぬくことを誓いあいました。
京都原爆症認定訴訟傍聴記
1月30日、12年にわたって争われてきた京都原爆症認定訴訟の口頭弁論が京都地裁で開かれました。この日は二度目の結審の予定でした。さかのぼれば昨年の11月26日が結審だったのですが、松谷訴訟の高裁判決直後だったので、原告側も国側も新たな準備書面の提出で延期されていました。ところが今回もまたまた国側厚生省が「これが最後だ」と考えていたのかどうか、さらに松谷訴訟の上告理由書と相まって提出された準備書面は150ページにわたるものであり、それに対して10日余りで反論するなど、とうていできない日程の中、原告弁護団は上申書を提出し延期要請をしたのです。
この日は開廷するやいなや被告代理人から上申書に対する意見が出され、我が身の不誠実さをさしおいての意見に、さすがの尾藤弁護士が怒りまくり、法廷内は騒然。裁判長の仲裁でどうにか納まりました。傍聴者ただ1人ではもったいない出来事でした。
原告側は原爆症認定基準一覧を書証として提出。それについて国側は一言の返答もなく、法廷で陳述せよとの声を無視し、期日までに反論するということになりました。つづいて原告弁護団が、DS86についてと原告の生い立ちから被爆、現在までを陳述し、裁判官に訴えました。
閉廷後、書証となった認定基準についてマスコミへ紹介がありました。今までその存在を否定し続けてきた国にとって、かなりの痛手ではないでしょうか。地元京都では夕刊に、テレビ、ラジオで。また長崎でも早いところは夕刊で、翌朝の各紙が取り上げていました。
すべての面で国民をないがしろにしてきた姿がまたもや明らかになりました。このことを裁判所が真摯に受け止め、被爆者の立場に立った判断がされるよう、3月25日予定の結審には傍聴席を満席にさせたいものですね。
国が上告理由書を提出
1月14日、国側が福岡高裁に上告理由書を提出しました。原爆被害を、戦争中のことだから「受忍」しなくてはならないという立場に立ち、遠距離で起きた被爆者の脱毛などをストレスや栄養状態で説明できると根拠も示さずに述べています。
目 次 前 文 一 原判決における法令の解釈の誤り 1 はじめに 2 民事訴訟法と証明の程度 3 旧原爆二法の各給付の要件とその証明の程度 二 原判決の法令適用の誤り 1 はじめに 2 原判決の認定した事案と運用した経験則 3 原判決が放射線起因性肯定の基礎とした事実及び経験則の問題点 4 閾値とDS八六に基づく被曝放射線量の評価 (一) 閾値について (二) 原子爆弾により人体が被曝した放射線量の評価 (三) 本件訴訟におけるDS八六の経験則としての位置付けの検討について (1) 原判決におけるDS八六の位置付けの問題点 (2) DS八六の内包する問題点について (3) 放射性障下物及び誘事放射能について (4) 各種被爆者調査の結果とDS八六及び昭和三三年行政通知について 5 小括
あけましておめでとうございます
裁判を起こしてから9年、長崎地裁に続いて福岡高裁でも勝利の判決を手にすることができました。ほんとうにありがとうございました。
判決の日は、法廷で待つ間、胸はドキドキ、足はガクガクでした。判決で主文読み上げられると傍聴席から拍手が湧き起こりました。「勝った」「たたかってきてよかった」と喜びで胸がいっぱいでした。
厚生省前の座り込みに私も参加し、力いっぱい厚生省に向かって「上告するな」とこぶしを上げました。しかし被爆者や国民の声は厚生省には届きませんでした。私はがっかりしました。厚生省はどこまで被爆者をいじめたら気がすむのでしょうか。被爆者が亡くなってしまうのを待っているのではないかと思いたくなります。私たちは厚生省が思うようには絶対になってならないのです。「ふたたび被爆者をつくらない」と国が決意を示すまで、地球上から核兵器がなくなる日までがんばるのが被爆者のつとめです。最高裁での勝利をめざし、ご一緒にたたかっていただきますようお願いいたします。
1998年1月 松谷英子