1998年度総会決定

1997年度活動の総括
   【私たちをめぐる情勢】
   【法廷の動き】
   【1年間のとりくみ】
1998年度活動方針
1997年度決算及び98年度予算
1997年度活動の総括

 1997年度のとりくみの中で、私たちは8月に公正判決要請署名の個人署名の
目標50万を突破、11月にはついに福岡高裁で「(厚生省の)控訴を棄却する」
という判決をかちとることができました。これはひとえに、原告松谷英子さん
を中心に、弁護団及び地裁そして高裁で証人となられた被爆者、医師、科学者
の方々、全国9,000の「支援する会」会員、多数の国民の皆さんの暖かい理解
と支援のたまものです。ここに改めて深く感謝の意を表し、1年間の活動の報
告をいたします。厚生省は、その後、不当にも最高裁への上告を行いましたが、
私たちは1日も早い勝利の確定をめざし、これまでにもまして、全国での活動
の強化をはかります。

【私たちをめぐる情勢】

 昨年の総会からきょうまでの間、沖縄と国内の米軍基地をめぐる問題で国民
世論と日米両政府との対立が激化しています。全国各地で「米軍基地は来るな」、
沖縄・名護市の「海上ヘリポート基地建設反対」など住民の反基地闘争が急速
に高まりました。一方、CTBT(包括的核実験禁止条約)が国連で採択され
た後も、6月にはアメリカが爆発をともなわない核実験(臨界前核実験)を強
行、ロシアも同様の核実験をしていたことが分かりました。こうした核兵器保
有国の態度は、核兵器廃絶を願う国際世論への挑戦であり、「核兵器即時全面
禁止」以外に核兵器廃絶を実現する道はないことが一層明らかとなっています。
9月には、日米安保条約を大改悪する新「ガイドライン」が日米両国政府によ
って合意されました。アメリカの核戦略にのっとって配置された米軍基地に核
兵器が持ち込まれていることは、疑う余地がありません。日本全土を核基地化
しようとする新「ガイドライン」は、日本国憲法に背き、日本国民の主権を侵
害するものといわなければならないでしょう。

 この1年間、法廷の中でも国・厚生省側は、被爆者や国民の多数の声には耳
を貸そうとしませんでした。そして相変わらずDS86の正当性を主張するのみ
で、その「見直し」についても従来の主張の枠に止まりました。これに対して
松谷さんの側の弁護団は、被爆者や科学者の協力を得て、爆心地から2kmを
超える地域での放射線被害の実相を解明し、法廷でのたたかいを優勢にすすめ
ました。また、傍聴や署名活動など法廷の外の活動も、これまでに例を見ない
ほどの大規模な運動となりました、こうして、松谷英子さんはじめ、被爆者、
支援者のみんなの力で、ふたたび勝利の判決をかちとることができたのです。

  ※DS86:被爆者が浴びた原爆の放射線の量を推定する計算方式の一つ。
      それまでの方式に問題点があることが分かり、1986年につくら
      れたもの。厚生省は、これ以上正確なものはないと、原爆症の
      認定にしてもこれを唯一の拠りどころとしてきたが、特に2km
      以遠についての不正確さが明らかとなり、見直し作業がすすめら
      れている。

 判決は、@原爆と被害の因果関係の立証について「相当程度の蓋然性(がい
ぜんせい)で足りる」として被爆者の立証責任を軽減し、A被害の実態に即し
た認定、援護をすべきであると述べ、B原爆症認定制度の根底には国家補償的
配慮があることを再確認しました。さらに、現行の認定審査のあり方を批判、
その改書を求めるなど地裁判決を超える内容を含んでいます。

  ※蓋然性:たしからしさ。ものごとの起こる可能性。判決の場合でいえば、
      ある程度原爆の放射線に起因する可能性が立証できれば、原爆症
      と認定すべきだ」ということ。厚生省は、「高度の蓋然性」つま
      り厳密な立証を要求していた。

 2度の敗訴にもかかわらず、そして多くの個人・団体からの「上告するな」
の声を無視して、厚生省は上告しました。裁判の舞台はいよいよ最高裁へ移り
ました。

 私たちは、高裁判決の成果をふまえ、その普及を行い、勝利の確定までの新
たなとりくみを開始しなければなりません。みんなで力を合わせ、@核兵器の
被害を明らかにし、A現行の被爆者行政の見直しを求め、B原爆の被害への国
家補償の確立をめざすこの裁判の重要性を訴え、核兵器の廃絶や平和への様々
な運動と連帯して、最高裁での勝利をめざす運動の輪を大きく広げていきまし
ょう。
【法廷の動き】
 
02.20 結審の予定だったが京都大学名誉教授上野陽里氏の「意見書」に対して国側が反論書を提出したため、4度目の延期。福岡で名古屋大学名誉教授澤田昭二氏を講師に学習を兼ねての弁護団会議(支援する会からも参加)。
03.06 京都訴訟の弁護士を交えての弁護団会護(於:京都)
03.17 裁判所と双方の代理人の打ち合わせ。6月27日が結審と決まる。
04.02 福岡で弁護団会議。結審当日の法廷の進行、意見陳述の分担などを決定。
04.30 松谷さんの側から澤田昭二氏のDS86体系適用についての意見書と4つの書証を裁判所へ提出。
06.06 国側が最終準備書面の補充(澤田意見書への反論)と5つの書証を裁判所へ提出。
06.27 結審。松谷さんらが意見陳述(内容は「資料集」No.15)。
10.13 松谷さんの側から澤田昭二氏の「長崎原爆の放射線量の実測値の解析とDS86」を裁判所へ提出。裁判所は書証として受理。
11.07 判決「厚生省の控訴を棄却する」
11.20 厚生省が上告

【1年間のとりくみ】

氈D裁判所に対するとりくみ

 ◎ 達成できた50万署名
 @ 私たちは、結審の日までに50万の「公正判決要請署名」(個人署名)を
  達成しようととりくみました。裁判の方は、はじめ96年6月20目に結審の
  予定でしたが、国の唯一の主張の根拠であった「DS86」をめぐる状況の
  変化などから、四度延期となり1年遅れの97年6月27日に結審しました。
  この時点で署名は49万に到達、目標達成を目の前にして運動は加速し、つ
  いに上述のように8月1日、個人署名は50万の目標を突破したのでした。そ
  の後、11月1日には団体署名も1万団体を突破したのです。この成果は、
  個人の裁判では史上例を見ない記録といわれています。
   今年度の裁判所への署名提出は、判決直前の11月5日まで6回に及び、
  この間に個人署名159,000、団体署名5,082が裁判所へ運び込まれました。
  裁判所では、毎回、書記官が丁重に対応し、署名数を確認のうえ、署名の
  つづりを受け取りました。
   こうして、最終的には個人署名528,762筆、団体署名10,465団体が裁
  判所へ提出されました(「支援する会」へ届いた署名の最終集約状況は、
  個人署名529,712、団体署名10,582となっています)。
   なお、お寄せ頂いた公正判決要請署名の内訳はつぎの通り。
個人署名
個人会員2,040人から 83,101
新しい個人333人から 9,427
これまでに協力いただいた947団体から 278,432
新しい団体1,627団体から 111,466
集会などで集めたもの 47,286
団体署名
これまで協力いただいた団体から 1,571
新しい団体から 9,011
 A 裁判所への公正判決要請署名を成功させるため、私たちは市民へのアピ
  ールを重視し、長崎市では毎週土曜日の繁華街での街頭宣伝・街頭署名を
  実施しました。
   また、これまでのつながりや署名の進ちょく状況をもとに都道府県別目
  標を設定し、それぞれの都道府県で目標と到達状況が目に見えるよう工夫、
  都道府県被団協をはじめ諸団体への効果的なはたらきかけをはかりました。
   団体会員の中には、団体上部に対し独自に署名や支援の要請を行った組
  織もありました。また、熱意ある個人会員の地道なとりくみは、全国の励
  みになりました。長崎では、<50万署名の推進役>にと「署名推進世話人
  会議を設け、県内10万署名の達成につとめました。
   事務局では日報体制をとり、署名の集約、分析を行ったうえ、県内外の
  諸団体へ文書で要請、さらに電話での確認や要請を繰り返し、運動の集中
  と促進をはかりました。団体会員向けには、3月から毎週「署名推進FA
  X通信」を送信し、署名の進ちょく状況を知らせました。
   「支援する会にゅうす」は、年度内に4回発行し、運動の発展に大きく
  寄与しました。また、2月14日にインターネットにホームページを開設し、
  全国どこからでも最新情報に接することができるようつとめ、アクセスは
  1,500件に達しています。
 B こうしたとりくみのなかで、問題がなかったわけではありません。たと
  えばパソコンを駆使した集中管理など、全国的な運動に見合った体制づく
  りに努力しましたが、各都道府県、各団体の特徴を生かしきれず、対応、
  分析が十分だったとはいいきれません。また、オルグなどで得たつながり
  も十分に生かしきれませんでした。
   こうした不十分さのために目標の「結審までに50万署名を」は、達成
  できませんでした。しかし、6月の結審は奮起の契機となり、さらに到達
  の可能性が目に見えるようになったこともあいまって、中央・地方でのと
  りくみは進み、50万署名達成の金字塔を打ち立てたのでした。

 ◎ 裁判所を埋めた傍聴参加者
   年度中に開かれた法廷は、6月27日の結審と11月7日の判決の2回でし
  たが、いずれも傍聴には九州各県はもとより、四国、関東などからも参加
  がみられ、傍聴参加者は160名を超え、文字通り裁判所を埋めました。長
  崎からは、2回とも貸切バス2台で福岡へ向かいました。

 ◎ 判決後の行動
   勝訴の判決後、原告、弁護団、支援する会の代表らはただちに上京、厚
  生省交渉に臨み、判決を受け入れ上告しないよう申し入れました。また、
  会員には勝訴を知らせ厚生省あての「上告するな」の文面を刷り込んだハ
  ガキを発送、さらに支援団体に対してもハガキ、FAXによる「上告する
  な」の行動を展開するよう要請しました。これらのために使ったハガキは、
  12,000枚にのぼっています。
   一方東京では、上告期限を目前にした11月18・19・20日の3日間、
  厚生省前で「上告するな」の座りこみが行われ、日本被団協を中心に東京
  近県の被爆者、支援団体の代表延べ約300人が参加しました。この座りこ
  みには、原告松谷英子さんや支援する会の代表らも参加しました。

.支援運動強化のとり<み
 @ 支援の輪をひろげるため、九州および県北、長崎市内を中心にオルグに
  とり<み、九州は3巡したことになります。訪問した県は6県でした。
   また、「3・1ビキニ集会」。「核被害者国際シンポ」「原水爆禁止世界
  大会」など各地で開催された多彩な集会に積極的に参加し、私たちのとり
  くみの意義を訴え、裁判への支援を要請しました。
   全国の中には、地域の特性を生かして独自の支援活動を展開したところ
  もみられました。
 A 早期に1万人の「会員」を実現しよう。長崎県下に3,000人の「会員」
  をつくろうと目標を掲げましたが、残念ながら達成できませんでした。こ
  の1年間の入会者は223名で、過去4年間で最低となっています。なお、
  147名が退会しており、会員数はつぎの通りです。
    全国9,025名(うち不明者138名)うち長崎県1,437名
   目標を達成できなかった原因は、「50万署名」には力を入れたものの、
  会員拡大に意識的なとりくみをしなかったところにあります。このことは、
  運動が前進したからといって会員が自然発生的に増加するものでないこと
  を教えています。会員拡大を重要な課題として設定するからには、実現へ
  向けての意識的な追及が必要です。
 B 新しいリーフをつくり、活用することを課題として掲げましたが、これ
  までのリーフに福岡在住の浸画家・西山進さんの協力をえて手直しをし、
  1万部を作成、各地で活用して好評でした。
   裁判の内容と意義の徹底をはかって、結審・判決の前には、長崎と福岡
  で報道関係者を対象にした学習会を、弁護団と合同で開催しています。
   なお、職場・地域での学習会を、と運動方針で提起しましたが、とりく
  みは進みませんでした。
   裁判の資料集は、結審時に陳述した原告松谷英子さんらの意見、澤田昭
  二名古屋大学名誉教授の意見書などを収録したNo.15(¥1,000)と高裁
  判決に原章夫弁護士の解説などを収めたNo.16(¥500)を発行しました。
  これまで発行した「資料集」も、かなりの在庫があり、活用のための工夫
  が必要です。
 C 長崎での毎週土曜日の繁華街での街頭宣伝・街頭署名行動は着実に実行
  し、裁判への市民、特に高校生をふくむ若い層の関心を喚起する上で大き
  な役割を果たしました。実施回数は、年間33回にのぼっています。この
  行動は、団体会員に依拠し、会員団体がそれぞれに分担しあうことでとり
  くみました。各団体とも積極的に対応、参加者は延べ420名に達していま
  す。
   原告松谷英子さんがほとんど毎回参加したことも、市民へアピールする
  上で効果的でした。街頭での署名は4,577、集まった募金は78,693円と
  なっています。
   なお、福岡をはじめ各地でも街頭宣伝行動がとりくまれました。
 D 結審・判決の前後には、つぎのように決起集会、報告集会を開催し、そ
  れぞれに成功させることができました。
06.14 福岡支援センター決起集会 80名
06.26 長崎での結審前夜集会 120名
11.07 東京での裁判勝利報集会 70名
11.14 長崎での裁判勝利報告集会 92名
11.27 長崎での上告に対する緊急抗議集会 100名
 E 「支援する会」の動脈ともいうべき「にゅうす」は、30号から33号ま
  で年度内に4回発行しました。いずれも、法廷の動き、各地でのとりくみ、
  オルグ報告、松谷さんの近況など、いずれもわかりやすい内容と好評でし
  た。ただ、「にゅうす」の発送作業は大きな負担となっています。それは、
  発送先がオルグでお世話になったところをふくめ約1万にのぼり、「にゅ
  うす」の折りたたみ、封筒への宛名シールの貼りつけ、資料や会費請求書、
  カンパの要請書など同封物の準備、つめ込みと糊づけ等々をすべて手作業
  で行うためです。現在、長崎被災協の会議室で集中的に行うのと並行して、
  会員団体に作業をお願いしていますが、1週間で処理するのは極めて困難
  な状況で、改善のための工夫が望まれます。
 F 文化運動とも連携し、裁判支援の輪をひろげることにもつとめ、一定の
  成果をおさめました。「長崎のうたごえ協議会」は、原水爆禁止世界大会
  をはじめ各種の集会で、支援のうたごえを披露、参加者を励ましました。
  歌手の笹井はるみさんは、長崎や福岡の集会に参加して歌ったほか、コン
  サートでは裁判支援を訴え、署名・募金活動にとりくみました。千葉合唱
  団はコンサート会場に支援コーナーを設置して裁判支援にとりくみました。
  「支援する会」としても、九州うたごえ祭典などのなかで、公正判決要請
  署名を訴えました。
 G 高裁で勝利の判決をかちとった私たちは、判決の内容を学び、市民への
  アピールにつとめました。判決の翌日は土曜日で恒例の街頭宣伝日だった
  ため、長崎市の繁華街で<松谷さん完全勝訴>のチラシ1,000枚を配布し、
  判決の要点を明らかにし、厚生省は上告するなと訴えました。さらに、厚
  生省が上告した翌日も、繁華街で上告の不当性を訴えるチラシ1,000枚が
  配布され、厚生省交渉の模様などが通行する市民に報告されました。
   また、11月13日には拡大役員会を開催し、弁護士を講師に高裁の判決
  の内容と意義について学習を深め、役員段階での意思統一をはかったほか、
  11月27日の厚生省の上告に抗議する緊急集会でも、弁護士報告をもとに
  参加者で判決内容を学習し、厚生省の上告に対する怒りを新たにしました。
   なお、広島をはじめ各地で高裁判決についての学習会、シンポジウムが
  ひらかれており、判決への関心が高まっています。判決をめぐっての解説
  や松谷訴訟についての紹介も多くの機関紙や雑誌などに掲載されました。
   今後の支援運動のあり方については、12月末、東京で弁護団、「支援す
  る会」、日本被団協などが対策会議をひらきました。

。.支援体制の強化をめざして
 @ 4月から専従事務局員に加えてアルバイトをおき、さらに事務局次長が
  半出向の形で事務局につめることで、事務局体制を強化しました。また、
  「FAX通信」を発信して事務局内の意思統一につとめるとともに、事務
  局長と事務局次長を中心に、専従事務局員も同席して、頻繁に打ち合わせ
  を重ね、執行体制の充実をはかりました。
   さらに代表委員への事務連絡を密にし、その時々の状況把握を徹底する
  ことにつとめましたが、すべての理事に対する手だては、十分ではありま
  せんでした。なお、今年度は理事1名を増員しました。役員会は団体会員
  の代表を加えた拡大役員会も含めて、運動の節目に開催しました。出席率
  は、約70%でした。
 A 各都道府県での支援センターづくりは、進みませんでしたが、日本被団
  協では、都道府県組織を中心に支援センター設置を運動方針に掲げ、13の
  都県がセンター的役割を果たし、運動の前進に寄与しました。今後、最高
  裁へ向かって支援運動を真に国民運動として展開していく上では、各都道
  府県の支援センターが機能するかどうかが運動の成否を分けるといっても
  過言ではありません。新年度の大きな課題の一つです。
 B 全国の団体会員の中で、担当者を置き、「にゅうす」の発送、会費の集
  金などを行っているところは極めてわずかです。この課題に対する事務局
  の手だてが不十分だったと反省しています。
 C 福岡支援センターは、事務局を中心に、県内はもとより近県などにも足
  を延ばし、5万名の署名をやりとげるとともに、公正の地元として裁判の
  傍聴へ積極的にとりくみました。

「.財政強化のとりくみ
  今年度は、会員拡大がすすまなかったために、個人会費(新規)の収入は
 予算の13.0%、団体会費(新規)も同じく17.0%にとどまりました。また、
 結審、判決という重要な年であったにもかかわらず、募金活動も手痛い、達
 成率は目標の64.1%で、収入減は900万円を超えました。舞台が最高裁へ
 移り、全国的な運動の推進をめざしているときだけに、財政基盤の確立にこ
 れまで以上の努力が求められています。

」.弁護団との連携など

 @ 弁護団は、京都、長崎などで年度中4回の弁護団会議を開きました。会
  議には、原告松谷英子さんも参加、事務局員もできるだけ複数で出席する
  ようつとめました。また、「支援する会」の役員会にも、弁護団から複数
  の参加がありました。
 A 松谷訴訟と同じように原爆症認定を求めてとりくんでいる京都での訴訟
  との連携を強め、京都訴訟の弁護団の弁護士も松谷訴訟の代理人に加わり、
  結審時には京都の弁護団からも意見陳述を行いました。また、支援する会
  も京都訴訟の傍聴と交流のために代表を京都へ派遣し、原告を激励しまし
  た。
 B 全国で裁判闘争をたたかっている他の仲間との連携は、十分ではありま
  せんでした。

1998年度活動方針

 裁判の舞台は最高裁へと移りました。これまでも全国的な規模で運動を進め
てきましたが、これからは文字通り国民運動として松谷訴訟勝利をめざすとり
くみを展開しなければなりません。地裁、高裁を通じての10年間に、戦争の
被害に対して何ら責任を自覚しようとしない政府の体質が浮き彫りにされまし
た。私たちは、原告松谷英子さんの障害を原爆症と認めさせるとともに、「か
かる障害が遡れば戦争という国の行為によってもたらされたものであ」ること
を明らかにし、裁判支援のとりくみを通して、「戦争遂行主体であった国」の
責任を追及します。それは、国民一人ひとりにとっての核戦争被害を拒否する
権利を拒否する権利を打ち立てることなのです。私たちは、この崇高な課題達
成のために、力を合わせて、壮大な運動を推進します。
                (「」内は、最高裁孫振斗事件判決から)

氈D長崎地裁・福岡高裁での判決の内容と意義を学習し、その普及に努めます。
 @ 地域・職場での数多くの学習集会、シンポジウムの開催に努めます。
 A 「資料集No.8(長崎地裁判決)」「資料集No.16(福岡高裁判決)」を
  中心に、これまで発行した「資料集」の普及と活用をはかります。
 B この裁判の意義、判決の内容を明らかにし、広く裁判支援を訴えるパン
  フレット、リーフレットを作成し、普及します。
 C 厚生省の上告理由書などについては、その内容を分析し、批判活動を展
  開します。

.最高裁へ被爆者・国民の思いを反映させるようとりくみます。

 @ 最高裁へ向けての全国的な署名運動を推進します。署名の内容、時期、
  規模については、弁護団などとも相談し確定します。
 A 被爆者の体験に基づく具体的な被爆の実相と被爆者の願い、国民の思い
  を自筆で、あるいは聞き書きで、裁判官に訴える「最高裁裁判官への手紙」
  運動を繰り広げます。

。.運動の節目を設定し、全国各地(特に長崎と東京を重視)で最高裁での勝
 利をめざす決起集会や行動を成功させます。

「.以上のほか、各界各層の英知を結集して、街頭宣伝行動をはじめ最高裁で
 の勝利をめざす効果的なとりくみを工夫し、展開します。

」.支援する会」の会員の拡大に努めます。早期に、全国1万名会員の目標達
 成に努め、長崎県下での3,000名会員を実現します。

、.『支援する会にゅうす』の定期発行にとりくみます。内容をいっそう充実
 させるとともに、発送作業の改善に努めます。

・.中央でのネットワークづくりに呼応して、都道府県単位に「支援センター」
 づくりを進めます。
 「支援センター」は、その地域での松谷訴訟最高裁勝利をめざす複数の団体・
 個人で構成する連絡協議体で、「支援する会」と緊密な連携のもとに、「支
 援する会」の会員拡大、件W会の開催、署名運動、募金運動など裁判支援の
 運動を推進します。
ヲ.会費の納入を促進するとともに、恒常的な募金活動を推進し、財政基盤の
 充実をはかります。

ァ.弁護団との連携をいっそう密にし、法廷内外のたたかいがともに前進する
 ようつとめます。また、全国の裁判をたたかっている中間たちとの交流を推
 進します。

1997年度決算及び98年度予算

1997.1.1〜1997.12.31

事業会計報告