2006
日出生台現地情報・監視センター 遠入健夫

No.1No.2No.3No.4No.5No.6No.7
No.8No.9No.10/号外

過去の日出生台だより 1999年 2000年 2001年 2002年 2004年


No.1 06.1.25

6回目の移転演習は初めから異常
開示された情報はすべてでたらめ

 06年1月20日から2月16日(砲撃演習は1月30日から2月10日までの間8日間)まで、6回目の在沖縄米海兵隊の実弾砲撃演習が行われます。これまでは12月の中旬には演習の期間、演習部隊の規模や日程などの詳細が発表されていましたが、今回は12月16日に大まかな期間・日程が発表されたものの、海兵隊員やりゅう弾砲などがいつ来るのか具体的な日時は明らかにされず、1月13日になってようやく具体的な日時が発表されましたが、12月の発表と食い違いがありました。

到着時間の発表は調査段階からウソ

 今回の演習では、海兵隊員の演習場への到着時間がことごとく防衛施設庁の発表と食い違いが大きく、市民団体などの抗議行動は対応に追われました。11月29日に行われた事前調査では、施設局の発表では「調査団は29日正午から午後3時までに日出生台演習場に到着」でしたが、10時35分に到着し抗議行動を準備していた団体だけでなく報道陣も肩透かしを食わされました。

本体の到着も予定より大幅なズレ

 本体の到着も当初の予定は、1陣が午前10時30分大分空港発、2陣は午後3時40分に大分空港を出発というものでしたが、実際には1陣が演習場に到着したのは11時前、2陣が到着したのはなんと空港出発予定時刻の午後3時40分でした。
 23日の車両やりゅう弾砲などの陸揚げも大幅に遅れ、全てが港を出たのは午後3時を過ぎていました。

移転演習反対1・22大分集会に450人

 1月22日九重町での「日出生台米軍移転演習反対・在日米軍基地再編反対1・22大分集会」は雪による道路の凍結が心配されたが、県内、九州各県から寒風吹きすさぶ河川敷公園に450人が参加しました。
 集会では赤嶺政賢衆議院議員の情勢報告を兼ねたあいさつの後、演習場の地元で反対運動を続けているローカルネット大分の浦田龍次さんと人見会の衛藤洋次さんの連帯のあいさつ、鹿児島、宮崎、熊本、長崎、福岡の代表から現地のたたかいの報告と連帯の決意が語られました。参加者は集会後、日出生台演習場まで足を延ばし演習場が一望できる監視・情報センターで地元の人と交流し、演習場に到着した海兵隊への抗議行動に参加しました。


No.2 06.1.31

6回目の移転演習が始まりました
初日過去最高の113発を発射

 1月30日、6回目の移転演習が始まりました。日出生台ではこの時期めずらしく朝から小雨模様で暖かい。7時過ぎにはいつものように監視センターの周囲は報道陣でいっぱい。明るくなった東側の枯野の中に155ミリりゅう弾砲の砲座が確認できた。随分近いところにあり、肉眼でも確認できる。

 8時19分最初の1発が発射された。初日としてこれまでになく開始時間が早く、また、いきなり短時間に5発、6発の連続発射を繰り返すなど今回の演習の激しさを暗示するような射撃を繰り返した。以後10時58分までに65発を発射し、5時間近くの中断を挟んで18時25分までに初日としては過去最高の113発の実弾射撃を行ない、19時05分に1日目の演習が終わった。

 中断中にマスコミから「何か演習場でトラブルがあったか?」との問い合わせがあったが、演習場内を見る限り異常は見当たらなかったが、3時29分ごろ演習場の宿舎地区からヘリコプターが別府方面に向かって飛び立ったとの情報が入った。何か異変でも起こったのだろうか。今回の演習は異変や異常続きで何が起こっても不思議ではない。

数種類の砲弾を使用?

 演習初日からの激しい砲撃の中で、これまでとは違う砲弾を使用しているのではないかと思われる着弾音があった。155ミリ砲としてはこれまで感じたことのない腹の底に響くようなズドーンという着弾音や、グシャッと何かに突き刺さるような着弾音が何発かあり、監視センターに居合わせた報道の人から「いまの音は何ですか」と聞かれるほど異様な着弾音だった。明らかに「通常の砲弾」とは異なる砲弾が今回の演習では使用されているのではなかろうかと思われます。
 また、14時29分と15時19分には、着弾地方向で砲弾の「着弾」とは明らかに違う「爆発音」があがった。

演習場の「風景」にも異変が

 監視センターから見える演習場の風景に何か違和感を感じると思って全体を見渡してみると、これまでの演習では演習場のあちこちにアンテナなどの観測施設が設置されていたのが見当たらないことに気づいた。演習場の観測機能が充実し、野外の施設が不要になったのだろうか。
 今回の演習では、何かが起こりそうな予感がします。雪もなく暖かです。是非、日出生台に足を運んでください。監視行動に参加してください。


No.3 06.2.1

米軍、日出生台での演習拡大を要求
県、関係市・町は申し入れを拒否

 1月30日、6回目の移転演習開始の日に在沖縄米軍からの日出生台演習場での155ミリ実弾射撃に加えて小銃、機関銃による実弾を使用する演習実施を求めるため、防衛事務次官が大分を訪れ、在日米軍副司令官、福岡防衛施設局長とともに、大分県副知事と由布市長、玖珠、九重町長に対し、演習の規模拡大を受け入れるよう申し入れをしました。副知事らは「演習場使用協定にない内容であり、訓練の規模拡大になる」と申し入れを拒否しました。

地元区長会も猛反発
早速そろって町長に反対を申し入れ

 31日の新聞で演習拡大の要求を知って日出生台演習場に隣接する、日出生南部地区の区長会(6人)は、その日のうちに玖珠町長に「米軍演習の拡大につながる小銃、機関銃の実弾射撃演習には絶対に反対」と地区民を代表して申し入れをしました。住民の一人は「155ミリりゅう弾砲実弾射撃でも許せないのに、米軍に小銃や機関銃など射撃させるのは危険極まりない。その上今回の要求を受け入れれば、次には更に要求が拡大するだろう。米軍言いなりは止めてもらいたい」と怒りをあらわにしていました。

日出生台での米軍演習の拡大は許せない
国はいいかげん米軍言いなりを止めよ

 米軍の要求するものなら、国民の暮らしや安全よりも全てに米軍要求を優先させる日本政府の態度にはあきれるよりも悲しささえ覚える。演習開始日の、それも夜遅く防衛庁の事務次官が、別府市のホテルに副知事や市長、町長を呼びつけ、米軍の不当な要求を受け入れさせようとする。この1月に2度も申し入れ拒否されたものを。しかも県民にもマスコミにも隠密裏に行おうとするなど、政府を代表する者のやることではない。なぜ白昼堂々と県民の前で申し入れができないのか。本来なら米軍からの演習の拡大など住民の安全を考えるなら、政府自身が拒否すべきだと思う。
 私たちは、日出生台の現地から米軍の演習拡大に反対するとともに、移転演習そのものの中止を要求します。

演習2日目 半日で120発 9時間射撃せず終了合図

 演習2日目、8時に射撃が始まり11時57分までに半日では過去最高の120発発射しました。また、3分間に25発という猛烈な連射を行った後、砲座の移動を開始し4時間半後に再び元の場所に戻り、その後濃霧のため砲撃できず18時50分終了。


No.4 06.2.2

住民代表が指揮官と会見
「日出生台演習場使用協定」を無視する米軍

 演習3日目の2月1日、これまでは演習終了後に行われていた米軍指揮官と住民との会見が実現しました。
 会見では当然のように、話題は1月30日夜に突然明らかになった移転演習の拡大要求に集中しました。米軍側は「突然の要求」とは受け止めていませんでした。他の演習場も含め演習の都度155ミリりゅう弾砲の実弾射撃のほか「小火器などの実弾射撃を要求しても来ている」とのことでした。

 そして、地元自治体が反対を根拠にしている「日出生台演習場の米軍使用に関する協定」について、「見たこともない。見たのはSACO協定だ」「あったとしてもそれは日本の国内問題だ」と、地元住民の合意など意に関しない態度でした。

今回も昨年秋から要求してきた

 「今回のことも昨年秋に日出生台での移転演習の計画が決定した時から、小火器等の実弾射撃を要求し、11月にも再度要求した。それなのに防衛施設局が自治体に今年1月17日になって初めて通知したとのことに驚いている。1月30日の結果にも驚いた」と、米軍は今回の演習で小火器の実弾射撃が行えないことに不満の様子でした。
 会見を通して米軍の要求するものは何でも認められるものだと思い込む、米軍の身勝手と傲慢さは予想以上のものがありました。

米軍再編に沿った演習の拡大

 会見の中で指揮官は度々「世界情勢の変化」という表現を使い、「海兵隊の任務がますます大きくなっている」と強調し、155ミリりゅう弾砲の射撃の重要性は低下している。隊員(砲座)の安全を守ること、隊列を守る事などの方が重要になっているとも述べ、小火器などの実弾射撃の必要性を繰り返し強調していました。

 これまでも要求してきたと言いながら、この時期に演習場の使用協定を無視してまで演習の拡大を強行しようとするのか、日米で進められている米軍再編の動きとは無関係ではありえないのではなかろうか。

3日続けて100発を超える射撃続く

 演習3日目 午前22発、午後73発、夜間23発の合計118発の射撃を行いました。1日目113発、2日目120発と3日続けて100発を超えたのは移転演習始まって以来の記録です。
 本日2月2日、住民代表が実弾射撃演習の見学が実現します。次号でその模様は詳しく報告します。ご期待ください。


No.5 06.2.3

市民団体に初めて演習を公開
砲座の周辺は機関銃などで厳重な警戒

 移転演習4日目、住民代表に初めて実弾砲撃演習の現場が公開されました。前日の会見席上での米軍指揮官の約束が早速実行されたものです。

 砲座の近くでライフジャケットとヘルメット・耳栓が渡され砲座に案内された。砲座の近くに屋根に機関銃を持った兵士を乗せた車があった。何をする車両かと聞くと「砲座に近づく敵に対する備え」とのこと。回りをよく見ると3ヶ所に同じような車両が配備されていた。りゅう弾砲をけん引するトラックの屋根の上にも同じように機関銃が据えられ、兵士が周囲を伺っている。トラックの横には小銃が数本立て掛けてあった。りゅう弾砲の後ろにはけん引するトラックと砲弾を積んだトラックが配置されていた。発射の手順などの説明を受けている間にもごう音を発して砲撃が続いた。

演習場使用協定無視は許さない
機関銃などの実弾射撃は移転演習の拡大

 現場での質問も今回の演習で新たに米軍が要求している「陣地防御訓練」「機関銃など実弾射撃」に集中した。
 米軍は「りゅう弾砲の射撃訓練には陣地防御のための小火器の射撃訓練は一体のものとして行われる。砲座の周囲に配備されている機関銃などが陣地防御のための武器だが、砲座周辺では実弾射撃は安全上できないので、自衛隊が射撃に使用している場所で実施したい」と、日出生台演習場の「第二着弾地」まで案内し「世界中どこでも155ミリりゅう弾砲の訓練では機関銃などの射撃訓練をしている。沖縄でも同じ演習場内で行ってきた」と繰り返し、機関銃などの射撃訓練の必要性を強調した。

 住民側は、りゅう弾砲の砲座の周囲で実施できないものなら初めから機関銃などの射撃訓練は他の場所、例えばアメリカ本国で行えばいいではないか、日出生台演習場では米軍の移転演習では、155ミリりゅう弾砲しか使用できない協定もある。もともと地元が止むなく受け入れた155ミリりゅう弾砲の訓練であり、演習の拡大となる機関銃などの射撃訓練は認められないことを伝えた。

演習4日目で450発に

 演習4日目で発射弾数が450発に達しました。既に3回目以降の年間発射数をはるかに超える早さです。しかも使用しているりゅう弾砲は3門だけです。5回目は5門使用し、9日間で333発でしたから、今回は「異常」といえます。


No.6 06.2.4

りゅう弾砲の実弾射撃終了?
演習場からすべての砲・車両姿かくす

 演習5日目の8時3分から11時16分まで39発を射撃して、12時20分ごろから移動の車両を始め、12時50分ごろ演習場からりゅう弾砲はじめすべての車両が姿を隠してしまいました。そして13時15分に演習終了のサイレンが鳴りました。

 午後には不発弾処理と思われる爆発音と黒煙が着弾地方向から上っており、この日までに既に489発の射撃を行い、過去の1回あたりの射撃数を上回っていることから今回の移転演習での155ミリりゅう弾砲の実弾射撃は終了したのではないかと思われてなりません。

残り3日の実弾射撃日数に何かが・・・

 仮に演習5日目で155ミリりゅう弾砲の実弾射撃を終了したのであれば残りの3日間は何をするというのでしょうか。
 米軍指揮官とローカルネットなどとの会談や反対派住民への演習公開時の3時間にわたって“機関銃等の実弾射撃”についての事実上の討論を通じて、米軍の今回演習での機関銃等の実弾射撃を何としても実現したいという「執念」のようなものを感じました。

第2着弾地には既に小火器射撃の準備が

 指揮官が、小火器の射撃場所に案内するといって連れて行かれた第2着弾地には米軍の小火器射撃のために設けられたと思われる標的が設置されており、指揮官はその標的の手前の砂袋を積み上げた射撃所?から、標的を指さしながら「ここからあちらに向かって撃つから安全だ」と説明しました。近くには米軍の仮設トイレも設置されていました。

異例づくめの6回目の移転演習

 「たより」2号で“今回の演習では、何かが起こりそうな予感”と書きましたが、演習開始と同時に、正にそういう状況になってきました。射撃演習翌日に防衛庁事務次官、在日米軍副司令官、福岡防衛施設局長が県と関係市長に対して、新たな演習の拡大を押し付け、演習では3日続けて100発以上を撃ち、5日間で過去最高を記録、演習期間中に不発弾の処理をする、米軍が施設局抜きで反対派住民に演習を公開するなど、これまでにはなかったことの連続です。

 5日目までの日別発射数
  1日目 113発、2日目 120発、3日目 118発
  4日目  99発、5日目  39発  合計 489発 


No.7 06.2.5

予測できない異常な行動
午前中移動・午後から実弾射撃

 前号で“155ミリりゅう弾砲の実弾射撃は終了したのではないか”と書きましたが、演習6日目は午前7時21分に演習開始のサイレンが鳴り、8時過ぎからトラックの移動が頻繁になり、8時30分過ぎに昨日撤収したりゅう弾砲2門がジープに先導され9台の大型トラックと隊列を組んで演習場中央の道を西に向い第2着弾地(機関銃などの小火器の射撃場)方面に降りて行きました。少し遅れてもう1門のりゅう弾砲が同じコースで第2着弾地に向かいました。
 いよいよ地元の同意なしに“機関銃等の実弾射撃”を実施するのか、と緊張しましたが機関銃などの射撃音は聞こえず、2時間余りたった12時過ぎに、行きと少しコースを変え、17台の隊列で再び演習場中央の道を逆にたどり、13時に昨日まで射撃をしていた場所に3門のりゅう弾砲を設置し、14時14分から15時20分までの間に29発の射撃を行い、再び演習場から姿を消してしまいました。

予測もつかない異常の連続

 昨日午後に3発、今日午前中に3発の不発弾処理を行いながら、その後に再び実弾射撃を行うなど、これまで5回の演習ではまったくなかったことです。さらに実弾射撃期間中にりゅう弾砲が演習場から姿を消すなどということはありませんでした。また、最終でもないのに13時15分(5日目)、14時35分(6日目)というような早い時間に演習終了のサイレンが鳴らされることもありませんでした。
 あと2日間、何が起こるか演習場からいよいよ目が離せなくなりました。

演習場が白銀の世界に

 演習6日目の朝は、昨夜の雪で一面雪に覆われていました。今回の演習で始めての白銀の演習場の風景が広がっていました。昨日まで牧草の緑が広がっていた監視センターの前の畑も白く姿を変えていました。周辺の杉の木から風に飛ばされた雪の粉が朝の太陽の光に反射してキラキラと舞い飛び、殺伐とした実弾射撃をいっとき忘れさせてくれるようでした。これこそ誰もが求めている日出生台の風景だと思いました。
 6日目の射撃数29発 6日間の累計518発です。


No.8 06.2.6

3日続けて演習場から「撤退」
予定されていた計画にトラブルか

 6日目の演習では、これまでの5回の演習と比べて余りにも違う演習のやり方に監視センターでは戸惑っています。

 初日から連続3日間100発以上の砲撃を行い、5日目の午前中までに489発という過去最高の射撃数を記録し、この日は12時50分にはりゅう弾砲や車両すべてを場内から「撤去」してしまいました。監視センターでは、りゅう弾砲の射撃は終了し残りの3日間で機関銃など小火器の演習を強行するのでは?との声が出始めていました。

 そして6日目の午前中、前日「撤収」したりゅう弾砲が隊列を組んで小火器の射撃場に移動し、機関銃などの射撃の確認はできませんでしたが、2時間後に砲座位置に戻り29発発射して16時20分には「場外に撤去」してしまいました。

 7日目は9時過ぎに再び元の位置に砲座をセットし、午前中25発撃ち12時50分から移動開始し、今日も小火器射撃場へ入り、20分程後に引き返し14時、再び砲座位置にりゅう弾砲3門をセットし、射撃しないまま15時に「撤収」しました。
 3日続けての早い時間の「撤収」は、演習の日時や方法が変化したのか、何か今回の演習計画にトラブルがあったとしか考えられません。

演習7日目は朝から快晴
監視センターはマイナス12度

 演習7日目(2月5日)は、今回の演習が始まって初めて夜明けから快晴。監視センター前の温度計はマイナス12度。センターの窓ガラスにはびっしりと氷の結晶がつき、まるで白い花びらをまき散らしたようでした。写真でお見せできないのが残念です。由布山の左肩から昇る朝日もきれいでした。早起きすると日出生台からすてきなプレゼントが戴けます。

 7日目の演習も「沖縄県道104号線越え155ミリりゅう弾砲の実弾砲撃演習の分散移転」とはとても思えないものでした。9時過ぎに隊列を組んで演習場に姿を現し、9時10分にいつもの場所に砲座をセット、10時22分から12時2分まで26発を撃ち、12時50分から今回も移動、小火器の射撃場の第2着弾地まで1時間余りかけて往復し、14時に元の位置に3門のりゅう弾砲だけ設置し、砲弾を積んだトラックは離れた場所に止めたまま1時間、射撃しないまま15時には隊列を整えて「場外」に姿を消してしまいました。昨日といい今日といい実弾射撃訓練に来ているのか、隊列の移動訓練に来ているのか分からないような演習態度です。

 7日目の射撃数 26発、 7日目までの累計 544発


No.9 06.2.7

天候理由?に演習を中止
演習場に車1台姿見せず

 演習8日目にあたる2月6日、米軍は悪天候を理由に実弾射撃演習を中止しました。しかも前日の5日の18時50分に「明日の演習を中止する予定」と通知しました。防衛施設局の発表は「米軍の運用上の都合」と伝えられましたが、理由は「天候の悪化」とする情報も伝えられています。

 午前中は休養し午後移転演習をするとのことでしたが、午後雨も上がって明るくなった演習場には車1台見当たらず、5時前霧が深くなるまで演習場には海兵隊の姿は全く見えませんでした。

 今日の演習中止は監視センターに集まるメンバーの中で様々な憶測が語られ、いっときにぎわいました。何をするのか予想もつかない今回の演習ではもう何が起こっても不思議でない。ただし、機関銃などの実弾射撃の強行だけは絶対にやらせてはならないという思いは皆同じです。

第2弾着地にこだわる面々

 2月2日に演習反対住民が演習場に入ったとき確認した、第2弾着地の米軍の小火器射撃演習場と見られるベニヤ板の標的の見える場所はないかと、5万分の1の地図で見えそうな地点を探したり、演習場を見渡せる高台を求めて山にかけいるなど懸命の努力が続けられています。

 今回の公開演習で、りゅう弾砲の周囲に前回までには見られなかった、機関銃の砲座を持つ車両が初めて配備されている事が確認されており、機関銃など小火器の実弾射撃を強行する恐れがあり、万一強行した場合何としても確認たいという思いからです。

刻一刻変化する日出生台

 2月6日、日出生台には大砲も軍用車両の姿はなく、うっすら雪化粧していました。やがて雨となり、雨が上がると明るい草原が広がっていました。草原に薄日が差すと一弾と輝きを増し、折から露が流れ出し薄墨を掃いたような風景に変わりました。そして辺りはすっかり深い霧に包まれていきました。刻一刻と変化する演習場の風景を一日中監視センターから眺めていて、演習さえなければとつくづく思いました。


No.10 06.2.8

実弾射撃演習が終わりました
異例づくめの6回目の移転演習

 6回目の移転演習が2月7日14時45分に終了しました。8日間の通算発射弾数は570発となり、過去最高の発射数を94発上回りました。また、今回の演習では3日間で351発撃ち、前回の9日間での333発を上回るという激しさでした。今回の演習ではこの「日出生台だより」で幾度となく“異例”という言葉を使いましたが、最終日まで“異例”は続きました。7時には電光掲示板に「本日11時から射撃」と表示していたのを9時には「10時20分から」に変更しました。着弾地近くの“大山盛的”の10数人の人を入れて、20発の射撃を行いました。この日の射撃に2門しか使いませんでした。最終日に最後まで射撃しました。これらはいずれも過去5回の演習ではなかったことです。

機関銃の射撃を許しませんでした
たたかい続けることの大切さ実感

 1月30日、演習初日に政府は米軍の要求する「小火器の実弾射撃」を地元自治体に認めさせるために、防衛事務次官が別府市のホテルに副知事、由布市長、玖珠・九重の町長を呼びつけ、米軍の要求を受け入れるよう説得しましたが、地元はこれを拒否しました。しかし、政府は執拗に受け入れを迫ったのですげ、県民・自治体一体となっての、演習拡大反対の声により今回の演習での機関銃などの実弾射撃はできませんでした。反対運動を続ける仲間たちも、声を上げ行動を続けることの大切さ、たたかいを広く、大きくすることの大切さを改めて感じています。

6回目の演習の日別発射弾数
 月日  午前  午後  夜間   計  累計  初弾   終弾   終了
 1/30  65  33  15 113 113 08:19 18:20 19:05
 1/31 120   0   0 120 233 08:00 11:57 20:50
 2/01  22  73  23 118 351 08:26 19:19 19:50
 2/02  42  41  16  99 450 08:19 19:22 19:50
 2/03  39   0   0  39 489 08:03 11:16 13:15
 2/04   0  29   0  29 518 14:14 05:29 16:35
 2/05  25   1   0  26 544 10:22 12:02 15:20
 2/07   0  26   0  26 570 13:33 13:55 14:25
 計  313 203  54 570   (2月6日、演習休み)

監視行動へのご協力ありがとうございました

 寒い中、監視行動へのご協力ありがとうございました。お陰様で、異常続きの6回目の移転演習の実態を明らかにすることができたと思います。移転演習中止を求めてこれからもともに声を上げていきましょう。今後ともご協力よろしくお願いします。