2回目の実弾砲撃演習始まる
【演習1日目・天気 時折り薄日が差し、小雪もちらつく】
2月3日午前7時前の日出生台演習場は、昨年と違い雪もなく冬枯れの大地が静かに広がり、この穏やかな草原で凶暴な海兵隊の実弾砲撃演習が行われようとしているとは信じがたい思いがするほどでした。
7時過ぎから監視センターの周囲を報道陣と各社のカメラが取り巻き、取材に追い回される。マスコミの一様に「2回目の演習が始まるがどんな気持ちか、昨年との違いは?」と聞く。どうしてこうも同じことしか聞かないのだろうかと思う。日出生台では2回目だが本土での演習は12回目だ。回を重ねるごとに海兵隊の開き直りとも思える横柄さが目に付く。演習の内容もNBC(核・生物・化学兵器)対応演習が明らかになるなど、沖縄で行なわれていた演習とは全く異質な演習であり、普天間基地の移設と称して名護市での最新鋭基地の新設や長崎・西海町にLCAC基地の新設などと同様に、沖縄での演習の分散移転などではなく、本土5ヶ所に米海兵隊の演習場の新設そのものではないか。地元の人見会の仲間も「何回行われようと嫌なものは嫌と言うしかない。演習が続く限り反対の声を上げていく」ときっぱり語っていた。
8時半頃、地元テレビのカメラマンから確認したもらいたいのだがと呼ばれカメラを覗くと東側の稜線の下に155ミリ榴弾砲3門が設置されているのが見えた。榴弾砲に間違いないことを告げると各社のカメラも一斉に榴弾方の方向にカメラを設置した。7時に赤旗が上がり、7時4分にヘリも旋回したがサイレンが鳴らない。そのサイレンが9時20分に鳴った。マスコミ各社は準備が整ったことを送信した。その直後、今朝7時に鳴らすはずのサイレンが故障していて9時20分のサイレンは修理後テストだったとの情報が入り、慌てて訂正するというハプニングもあった。
初日の射撃は10時3分に始まり、午後2時51分までに61発を撃ち、1時過ぎに砲座の覆いが取られ、榴弾砲が剥き出しになっているのが確認された。昨年は見られなかった真っ昼間の砲座の移動を始めたようだが、その後場内に霧が立ち込め、移動先が確認できないまま時が経ち、1発の射撃もないまま夜を迎えた。監視センターでは、いつ再開されても対応できるように深い霧に包まれた発射地方向から注意がそらされない緊張が続いた。午後3時以降1発の射撃も行われないまま午後7時44分、演習終了のサイレンが場内に響き初日の演習は終わった。地元の人たちから撃たないのなら何故もっと早くに終了のサイレンを鳴らさないのか、と不満の声が上がっていた。
日出生台から沖縄へ熱い連帯を
【2月4日、演習2日目・天気 晴れ】
いつもの通り7時に旗が上がり、サイレンが鳴りヘリが演習場の上空を2回旋回して今日の演習開始を告げる。演習場入り口の電光掲示板の文字は「今日の演習は午前7時から午後9時まで」と表示している。
昨日の霧もなくなり、雲は多めだがいい天気になりそうな余寒のする夜明。雲の切れ間を縫うようにして7時半過ぎ太陽が由布岳の頂上から登ってきた。雲の切れ間から場内に光のシャワーが浴びせられ思わず見とれてしまう。昨日の砲座はマスコミにサービスするかのように、昨年は設置しなかった東側の稜線よりかなり手前で、発射時の白煙が鮮やかに観測でき、報道陣はいつになくいい写真が撮れたようだった。昨日午後3時に霧の中の移動で行方が定かでなかったが、今日は昨日の位置より僅かに稜線に近い観測に都合のいい位置に3門がほぼ等間隔に設置されていた。
今日の射撃開始時間は午前9時26分。最初の5発は1門ずつの単発で撃ち、その後は2門、3門での同時射撃や5〜6発の連続射撃が続いた。12時37分まで射撃が続き、昨日に続き今日も日中の移動を始めた。天気もよく順光のため双眼鏡で覗くとトラックに引かれて移動する2門の155ミリ榴弾砲の姿が手に取るように見える。演習場の中には丘や谷があり、それを縫うように道が造られている。右手の高台の方に一度引上げ、再びUターンして昨日の砲座より手前の窪地まで降りて来て姿が見えなくなった。人見会の人に聞くと、農家のみなさんが最近草刈をして平らになっている所に大砲を据えているようだ、とのこと。取り残されていた1門の榴弾砲は先の2門とは別の方向に移動し、稜線の向こう側に姿を隠した。何かトラブルでもあって予備の榴弾砲と取り替えでもするのだろうか。
移動は終了したと思われるのに、その後いっこうに射撃が行われない。たいして風もなく空は晴れ上がり、監視センターの中にも冬の太陽が燦々と降り注ぎ、緊張感が緩みそうになる。
射撃を再開したのは日もとっぷりと暮れ、あたりは漆黒の闇に閉ざされた午後6時34分だった。今回最初の夜間演習の開始だ。夜間の演習も単発の射撃から始まり、連射が行われる。夜間の監視は白煙は見えず、発射音と着弾音をそれぞれに分担して確認する作業が続く。監視小屋の開け放された窓からは身を刺すような高原の風が容赦なく吹き込んでくる。終了時間ぎりぎりの午後8時51分発射の後53分に終了のサイレンが鳴り、2日目の演習が終了した。
今年の監視行動には県労連の仲間が連日3〜4名交替で参加してくれ大きな戦力になっている。初めて日出生台演習場に来た人、実弾射撃を初めて体験する人もいて、驚くとともに大きな怒りを感じているようです。
沖縄連帯旗やリーフも監視センターや交流センターでの評判はよく、次々にメッセージを書き込んでいる。沖縄への連帯が日出生台からも広がっている。
弾丸は数も種類も闇の中 演習は全て闇の中
【2月5日・演習3日目 天気 晴れ夕方から小雨】
所用で監視センターには午後4時に到着。今日は8時33分から射撃を開始したと記録されていた。午後2時までに32発射した後しばらく撃っていないとのこと。4時15分、16分に4連発と3連発、3時16分、24分に続けて5発、という具合にかなりの間隔を空けて連射している。どうも今回はこのような射撃の仕方が多いようだ。夕方から小雨模様となり、4時間以上も射撃を中断し、制限時間間際の8時34分から10発の集中射撃を行い8時53分に終了した。
3日続けて監視センターから砲座がよく見える位置での射撃が続いている。そして発射音の聞きにくい射撃や着弾音が一応でない、極端に大きく周囲に反響することがしばしばある。天候や気象によるものとは考えられない。幾種類かの砲弾が使われているのではないかと思う。それと昨年と違うことは場内に配備された車両や観測機器らしきものが少ない。玖珠郡の教職員組合の人から果物の差し入れ、夕方おなかがすいた時分にあつあつの「回転焼」をどっさり戴いた。日本山妙法寺の皆さんからはお米をたくさん戴いた。今年の監視センターは暖かく食べ物もどっさりある。
終了のサイレンは9時1分 明らかな協定違反
【2月6日・演習4日目 天気 雨 濃霧 曇り】
朝から雨、雲が低く垂れ込め演習場を取り巻く山々は全く見えず、昼頃には演習場全体がすっぽりと雲に覆われ、視界10メートル位。初日の夜も露のために夜間演習を中止したが、この日も露のためか一向に射撃を始める気配はない。午前中、九州各県の平和運動センターの人たちがバス数十台を連ねて来た。濃霧に包まれた演習場を見下ろす高台で人見会の衛藤さんから説明を聞き、監視センターでも監視行動の説明もした。鹿児島の代表からカンパを戴いた。
3時半過ぎ、突然露が上がってきた。その直後の3時48分、露の晴れるのも待っていたかのように射撃が始まった。夕方までに10発、夜間30発撃ったが、最終弾は8時58分に撃ち、終了のサイレンは協定時間を過ぎた9時01分だった。明らかな協定違反だ。福岡市平和委員会の仲間3人が支援に駆けつけてくれた。
5日間の発射弾数 2000年 1999年
1日目(2月3日)61発(内夜間 0) (2月4日) 4発(内夜間 4)
2日目(2月4日)56発(内夜間17) (2月5日) 97発(内夜間46)
3日目(2月5日)55発(内夜間11) (2月6日)106発(内夜間 3)
4日目(2月6日)40発(内夜間30) (2月7日) 24発(内夜間 4)
5日目(2月7日)68発(内夜間39) (2月8日) 65発(内夜間34)
演習終盤に入り猛烈な集中射撃
演習も終盤に入り、昨年には見られなかった演習が繰り返されています。その一つは、地域住民との協定で許された射撃時間ぎりぎりまで撃ち続けていることです。特に午後9時直前の午後8時50分台に数発を集中射撃することが目立ちます。2月6日には8時50分から58分までに13発撃ち、演習終了のサイレンが鳴ったのは協定の時間を過ぎた午後9時01分でした。これは明らかな協定違反です。1分の超過がなし崩し的に演習時間の延長につながりかねません。
昨年は砲座の移動は夜間行なわれることが多かったのですが、今回は昼間の時間の移動が度々行なわれていることです。そのためか夜間の射撃数が昨年に比べて多くなっています。昨年は夜間射撃は5日間(内1日は初日夜間だけで4発でしたが、今回は昨年までの7日間のうち既に6日間夜間射撃を行なっています。
場内の観測機器などの配置も昨年とはかなり違います。県道から間近に見える位置にアンテナや観測車両が配置されています。
1日で124発、1時間に49発の射撃
監視センターからの報告によりますと、2月9日12時から13時までの1時間に49発もの射撃を行なったとのことです。昨年は演習2日目の2月5日19時から20時までの1時間に29発撃ったのが最高でしたから、1時間に49発(3門で)という射撃は今回の演習の激しさを表しています。
また、この日1日の射撃数は124発で、これも昨年2月6日の1日105発を上回って最高の射撃数を記録しました。累計でも既に総発射弾数、夜間砲撃数ともに昨年を上回っています。
今日が最終日です 引き続き外出の監視を
今朝も7時に旗が揚がり、サイレンが鳴り、ヘリも旋回したそうです。予定どおりなら今日が最後の実弾射撃演習になります。演習終了後は昨年同様別府市などへの外出が予想されます。
海兵隊は「外出は訓練の一部である」として外出を当然のこととしています。施設などへの「奉仕活動」(押しかけボランティア)を計画していますが、演習場周辺の自治体の施設では、「静かに余生を送っている人の古傷をえぐりたくない」などと海兵隊の受け入れを断っています。外出についてもしっかりと監視が必要です。
※昨日までの射撃数は457発(内夜間121発)
実弾砲撃演習が終わりました
8日間476発(内夜間121発)でした
1月25日、大分空港経由で日出生台入りし、2月3日午前10時3分に始まった在沖縄米海兵隊の155ミリ榴弾砲による実弾砲撃演習が2月10日午前10時37分終了しました。8日間の総砲撃数は476発(昨年比+28)内夜間の砲撃数は121発(昨年比+6)でした。
監視行動から見た今回の演習は、2回目で演習場の地形や気象などを熟知してきたのか砲座の移動を頻繁に行なうなど、前回に比べてより実戦即応的な演習が行なわれていたように感じられた。
濃霧や吹雪による演習の中断もあったが、砲撃数は夜間の射撃数を含め昨年を上回っており、演習時間間際の午後8時30分以降、それも8時57分、58分に連続射撃が行われたのも今回の特徴の一つでした。
最初から最後まで住民無視
米軍と住民を遮断する防衛施設庁
前回もそうであったように、戦争法成立後の今回も隊員や榴弾砲や物資の搬入などについて周辺住民への安全配慮などおかまいなしに、当然のように民間業者を動員して行われました。
佐世保からの砲弾の輸送は、前回自治体などにも非公開での輸送に対する批判を受けて、今回は関係自治体に対して「公開しない」ことを条件に輸送日時・経路を通知しました。これを「情報公開がすすんだ」と報じましたが、情報の公開は住民に伝わってこそ情報公開と言えるのではなかろうか。
演習終了後、福岡防衛施設局の現地対策本部長と住民代表4人(人見会の高倉、衛藤、ネットの浦田と遠入)との会見が行なわれましたが、防衛施設局は、地域住民の最低の要求である夜間演習の中止や滞在期間短縮などについても、日米間の取り決めであると述べるだけで、今回の夜間演習で終了間際に集中したこと、2月6日には終了のサイレンが9時1分であったことについても、「射撃は協定時間内に終了しており問題なし」と米軍側には何らの申し入れもしないとの態度でした。移転補償の問題や米軍住宅の新設についても不誠実な態度に終始し、米軍に対する住民の声を遮断する役割しかないことが明らかになりました。会見の中で、「ボランティア」やホームビジットは既に行われており、別府市への外出のためのバス手配をしていることを明らかにしました。
射撃数等比較表
1999年 | 2000年 | ||||
1 |
1 |
||||
(2 |
(2 |
||||
|
|
||||
2 |
39 | 2 |
46 | ||
(2 |
12 | (2 |
54 | ||
50 | 17 | ||||
|
101 | |
117 | ||
3 |
73 | 3 |
69 | ||
(2 |
76 | (2 |
75 | ||
58 | 28 | ||||
|
207 | |
172 | ||
4 |
80 | 4 |
69 | ||
(2 |
93 | (2 |
85 | ||
58 | 58 | ||||
|
231 | |
212 | ||
5 |
80 | 5 |
87 | ||
(2 |
124 | (2 |
96 | ||
92 | 97 | ||||
|
296 | |
280 | ||
6 |
116 | 6 |
116 | ||
(2 |
131 | (2 |
104 | ||
115 | 113 | ||||
|
362 | |
333 | ||
7 |
140 | 7 |
181 | ||
(2 |
131 | (2 |
155 | ||
115 | 121 | ||||
|
386 | |
457 | ||
8 |
153 | 8 |
200 | ||
(2 |
180 | (2 |
155 | ||
115 | 121 | ||||
|
448 | |
476 | ||
射撃総数448発(内夜間115発) | 射撃総数476発(内夜間121発) |