2002
日出生台現地情報・監視センター 遠入健夫

No.1No.2No.3No.4No.5No.6No.7

米軍演習反対集会 米軍宿舎内の写真 SACOによる提供施設一覧

過去の日出生台だより 1999年 2000年 2001年


No.1 02.2.2

4回目の移転演習始まる
初弾は8時55分 榴弾砲姿見せず

 日出生台演習場での4回目の米海兵隊による実弾射撃演習が2月1日から始まりました。この日は演習初日には珍しく晴れ上がり、マイナス7度まで冷え込み、風もないせいか竹の葉が霜で履われ、墨絵の世界を見ているような幽玄の世界をつくりだしていました。
 この静かさをうちやぶり、午前7時には演習開始を告げるサイレンが鳴り響き、ヘリコプターが上空を旋回し、今日から米海兵隊の移転演習開始の現実の世界に引き戻されました。
 これまでは、由布岳に重なるように広がる稜線近くの草原に並べていたりゅう弾砲の姿がまったく見えず、どこから射撃するのか予想がつかず、マスコミ各社もカメラ位置に苦労していました。
 8時55分、突然稜線上に白煙の塊があがり、数秒後発射音が響きわりました。その後も2時間近い中断をはさんで午後5時48分終了のサイレンが鳴るまで1度も姿を現さないまま、これまでと少し趣の違う演習のように思われました。発射音から着弾音までの時間の測定によると、20秒を越える射撃が多く、今回の演習では射程距離を伸ばしているのではとの疑問をもちました。

 初日57発(内2発は不発)
夜間演習なく5時48分に終了

 初日の監視行動にはNTT、全労働の組合員など延べ11人が参加し、終日発射・着弾弾数のカウントに目と耳をこらすとともに、演習場内の小さな動きも見逃すまいと行動を続けました。日中は日差しも暖かでしたが、日が傾くころからは日出生台本来の厳しさが戻って来ました。初日夜間演習はありませんでした。

日出生の大地に“ともに生きる”の大文字

 移転演習初日の午後6時過から、監視情報センター下の田圃に千本余りの紙コップに立てたローソクで描かれた「ともに生きる」の大文字が、浮かび上がりました。
 ローカルネット大分・日出生台の仲間たちの手によって1本1本丁寧に並べられたローソクに火を灯し終え、漆黒の大地に鮮やかな大文字が浮かび上がると、それを見守っていた数十人の人達から一斉に歓声が上がり、基地も戦争もない平和な世界を「ともに生きる」決意を固め合いました。


No.2 02.2.3

移転演習に新たな疑惑
14時38分以後1発の射撃もせず
終了しサイレンは20時58分

 移転演習2日目の2月2日、この日は午前中に自治体関係者、午後報道関係者に対する「公開演習」が行われました。午前中は早朝8時26分に初弾を撃ったあと10時12分に3門が1回同発射(3発、これが公開演習だった)したまま午後の報道関係者に対する「公開演習」まで撃たず、4時間半後の2時33分から38分の間に3門による同時発射を3回繰り返し(9発)、その後夜間に入って、たまに演習場内に小さな光が動くほか何の動きも終了の合図もないまま緊張の時間を強いられるのみでした。

 報道の人達も「今日はまだ終わってないですよね」「夜間演習はあるんでしょうね」と粘り強くカメラをセットして夜間演習開始に備えていました。昨年も夜間に入って長時間射撃せず、協定時間の21時間際に数発撃って終了のサイレンを鳴らすことがありましたので、監視センターでも真っ暗な演習場に目をこらし続けました。

 夜間に入ってから1発の発射もしないまま協定時間の間際の20時59分に終了のサイレンが鳴り、2日目の演習は終了しました。過去3回の演習でも午後2時38分以降全く射撃をせず、9時直前まで「射撃中」状態を継続したことはありませんでした。実弾射撃のない「夜間演習」が行われたのです。

 監視活動を続ける中で、この「移転演習」が沖縄県民の「安保の負担の軽減」のためとして、りゅう弾砲の実弾射撃を本土5ケ所の演習場で「分散実施」していますが「移転演習」の内容と目的が変化して来ているのではないかと思われてなりません。それは、本土5ケ所に海兵隊の恒久的な実弾射撃場を安定的に確保すること。沖縄と気候・風土の異なる演習場を確保し、実弾射撃以外の情勢の変化に即応した実戦訓練可能な演習場を確保すること。にあるのではないかと考えます。


No.3 01.2.4

電光掲示板「射撃中」「訓練中」
実弾射撃の分散移転ではなかったのか

 演習2日目、午後2時38分以後1発の射撃もせず、午後8時59分に終了のサイレンを鳴らしたことは前号で書きましたが、3日目の2月3日の演習でも、午後4時46分を最後に実弾射撃はせず、終了のサイレンを鳴らしたのは午後8時55分でした。

 午後8時ごろ、監視センターでマスコミの人たちと、2日続けて夜間に入っても射撃をせず、今日も午後9時直前になってサイレンを鳴らすのだろうか、電光掲示板の表示が「射撃中」のままというのはどういうことだろうか、などと話し合っているとき、一人の記者が、掲示板の表示を確認してくるといってでかけ、演習場入り口の電光掲示板の表示が「射撃中」でなく「訓練中」になっていることを確認してきました。同席していたテレビカメラマンが同じ電光掲示板を午後7時ころに撮影したときは確かに「射撃中」だった。と言い、監視センターの人たちも夜間でも演習中は「射撃中」となっていたことを皆確認していました。

 何故、電光掲示板の文字が突然「射撃中」から「訓練中」に変えられたのか。夜間射撃はせず、これに変わるどんな訓練を行っているのだろうか。実弾射撃の「分散移転」のはずの演習が、いつ「射撃」以外の移転演習に変化されたのか、明らかにしてもらいたい。オーヘイ指揮官の記者会見では「夜間射撃訓練」を7日間実施すると明言しています。2日目、3日目は夜間訓練を行ったとするのか否かも明確にしてもらいたい。

夜間は射撃できない?
「移転演習」の目的が変わった?

 今回の演習は何か変だなあ 監視センターで連日演習場内の監視を続けている人たちが一様にそういう感じをもっている。

 射撃数が過去3回の演習に比べて少ない。撃ち方にしても初弾から次の射撃までの間隔が極端に長く、砲座の移動作業も、とてもオーヘイの言う「プロ集団」(自治体関係者への説明会での発言)とはとても思えないなど。
 過去3回とも行っていた初日の夜間演習をせず、2、3日目は夜間の射撃をしないまま午後9時前まで「演習終了」をしない。今回の海兵隊員は夜間射撃が出来ないのか、それとも今回の「移転演習」は実弾射撃が主要な目的ではなく、他の何らかの特殊な「演習」に主目的があるのではないか。
監視センター内では、真っ暗で何一つ動くものもない演習場をにらみ続けながら、報道関係者を交えて議論が続いている。

[3日目の発射数]
午前:25・午後:11・夜間:0 合計36発・・3日間の累計106発


No.4 01.2.5

監視センターに
 自治体関係者の訪問相次ぐ

 今年は砲撃開始初日から、監視センターへの自治体関係者の訪問が相次いています。初日には大分県の対策センターの職員と教育委員会の職員が射撃の様子を聞きに前後して訪れ、2日目には公開演習の帰りに玖珠町の町長と助役が立ち寄り、夜間演習問題等について意見交換をし、町長は国と米軍に対して夜間演習は「自粛」でなく、はっきりと中止を要求すべきこと、本年10月の使用協定の期限切れに際して、再延長しないことも要求しました。3日目には大分県の総務課の職員が、不発弾について処理しているのかなどと尋ねに来ています。

 また、公開演習のことをニュースで見たという一般の人が、監視センターの下にある警察官の詰所に「公開演習には誰でも入れるのか」と聞きに行ったら、「上の監視センターなら知ってるだろうから」と言われたと、監視センターに来るなど、一般の人たちの訪問もいつより多いようです。

 昨年の事故を意識した公開演習

 自治体関係者への公開演習に昨年に続いて参加した・ゆふいん平和委員会の重見(湯布院町議会議員)さんによると、昨年は射撃演習そのものを見学者に公開したという感じで射撃も繰り返し行ったが、今年はりゅう弾砲の周囲には砲弾もなく、既に砲弾は装填されており、ただ射撃音を聞かせただけで終わった。昨年の事故を意識したのか安全面性をくどいほど繰り返し強調しだけだった。とのことです。

異常発射・着弾音を多数確認
光る砲弾も数発確認

 演習4日目は、午前中30発・午後30発、夜間14発の合計75発と今回の演習では最大の射撃数でした。
 新たな変化は、午後昨年も確認された発射時に「光り」を発する砲弾が数発確認されたこと。また、発射から着弾までの時間が長い(長距離射撃?)射撃や、発射音や着弾音が微妙に違うものがあった。種類の違う砲弾が使用されているのではないか。夜間これまで確認されたことのないサーチライトの光跡が2本確認された。0時5分ころ、りゅう弾砲射撃の前後に、迫撃砲?様の、パンパンという発射音が10発ほど聞こえた。ことなどです。
 今回の移転演習がいつもの演習と様変わりしていることを、監視行動をつうじて一つひとつ明らかにしていきます。

電光掲示表示の“怪”

 今回電光掲示の文字が「射撃中」から「訓練中」に変えられましたが(これまでは明らかに「射撃中」だった)この点について朝日新聞の記者が米軍に問い合わせたところ「今回は訓練中の表示にした。『射撃中』も『訓練中』の差は特にない」との回答があったそりです。しかし「訓練」だけでは何をしてもかまわないことになり、「実弾射撃の分散移転」の枠が取り払われてしまう。使用協定にも反することになる。


No.5 02.2.6

監視小屋が揺れる着弾音
数種類の砲弾使用か 炸裂音に違いが

 今度の部隊は几帳面なのか、8時きっかりの初弾が3日続いている。演習場使用協定では、午前7時から午後9時となっているが、自治体への通知は午前8時から午後9時となっているのか、玖珠町の防犯無線は、午前8時から午後9時まで米軍の実弾演習がありますと放送している。しかし、サイレンは毎朝7時には鳴る。

 今日も8時に初弾を撃ち、1時間ほど後から断続的に監視小屋が揺れるほどの激しい射撃を続けた。午前中の発射数は13発。午後は少し移動しては射撃をくり返していたが、今回の砲座の移動のとき一緒に動く車両や人の姿が多く見られることと、着弾音に一様でなく、数種の異なる砲弾が使用されているのではないかと思われる。

演習中に負傷者?
ヘリで搬送 別府市の新別府病院で治療か

 午後6時52分ころ、演習中の砲座のあたりで、赤色の回転灯を確認、59分に回転灯を灯しながら宿舎方向に走り去った。負傷者か急病人が発生したのではないか思えた。

 夜になっての情報では、演習中に負傷者が発生して、車で宿舎まで運び、ヘリコプターで自衛隊の別府駐屯地に搬送し、別府市の新別府病院で治療したとのことです。
 事前調査で国立別府病院を調査したことは監視行動の中で確認していましたが、演習中の海兵隊の負傷者が新別府病院で治療したのは初めてのことではないでしょうか。

県労連組合員が連日監視行動に参加

 県労連から毎日4名の組合員がローテーションを組んで監視行動に参加しています。参加者は一応に演習場の大きさと、砲撃音の大きさにも驚きます。そして、何よりも米軍の演習のために30数億円もの日本国民の税金を使って宿舎などの整備をしなければならないのか、そして、現在の戦争の役には立ちそうにない射撃演習を何故日出生合でしなければならないのか、広いアメリカ本国でやればいいではないかと怒りがわきます。
 また、日出生台ではいま、米軍の演習のために「移転補償」と言う名の住民追い出しまで始まっていることには、驚きというより呆れてしまいます。日出生台の現実を職場の仲間に伝え、米軍演習中止の運動の輪をが大きく前進させています。

【5日目の射撃数】
午前:13 午後:17 夜間:19 計49発 5日間累計231発


No.6 02.2.8

防衛施設局幹部が演習中に
   演習場外で海兵隊員と飲食

 演習5日目の2月5日、防衛施設局の現地対策本部長の広瀬氏らが、まだ演習が続いていた午後7時から1時間あまり、海兵隊員らと演習場外のビヤホールで飲食をしていたことを、たまたま同時刻ころに発生した海兵隊員の負傷事故(前号参照)を追跡していたローカルネットの人達によって発覚しました。

 夜間の演習が行われており、関係自治体や住民は夜間演習に対する監視体制をとり続け、パトロールなど行っている最中に、最も住民の安全に配慮する義務を負う防衛施設局の現地責任者が、その任務を放棄してあろうことか演習の実行者である海兵隊員と飲食をともにするなど絶対に許せない暴挙です。ローカルネットは2月6日に抗議と事実を明らかにするよう申し入れを行いました。

 新聞報道によれば「視察に訪れた防衛施設庁や在日米軍関係者、海兵隊員らと訓練についての意見交換をした」とのことですが、演習に関する意見交換なら、場内に造った豪華宿泊施設で行えば済むことです。

沖縄反戦地主らが監視センター訪問

 2月7日午前、昨日から米軍基地反対のたたかいの交流のため訪問中の、沖縄の反戦地主の方々20名余りが、監視センターを訪れました。演習場を見わたす高台で人見会の高倉会長から日出生合演習場の説明を受けた後、代わるがわる狭い監視センターの中から、監視行動のやりかたの説明を聞きながら、双眼鏡を手にとって砲座の位置などを確認していました。訪問時間中射撃は行われませんでしたが、それまで場内を覆っていた靄が晴れ、3門の榴弾砲が肉眼でも確認できました。
 沖縄の人たちは、日出生台演習場の大きさに圧倒されたようでした。海兵隊が沖縄より日出生台で演習したがる気持ちが分かる。ともつぶやいていました。

 多い不発弾 迫撃砲?も使用か

 今回の演習ではこれまでに比べて不発弾の数が多い。7日目も1発目から着弾音せず、初めて監視行動に参加した労働者は「いま発射した弾はどこに行ったんですか」と驚いてた。

 今日だけでも64発中5発の着弾音が聞こえなかった。また、発射地点近くで、りゅう弾砲の発射の合間に、迫撃砲らしいパンパンという乾いた発射音を昨日、今日と確認しています。また、発射、着弾音ともに異種砲弾と思われる明らかに異なる「音」が確認されています。

【6・7日目の発射数】
6日目・・午前19、午後 2、夜間17:計38、終了20時56分
7日目・・午前16、午後30、夜間18:計64、終了20時35分
7日目までの累計333発

“監視小屋雑記”今日の監視小屋は終日にぎわった。「喧しかった」わけではない。県労連から参加した全建労の人たちと政治の話、全建労のたたかいの歴史など大いに話がはずんだ。全建労は今の私を育ててくれたすばらしい労働組合。頑張っている「後輩」との楽しい監視活動だった。彼らは20時35分、終了のサイレンの鳴るまで頑張った。(遠入健夫)


No.7 02.2.9

実弾射撃演習終了しました
 
最終日 日出町までとどく異常な着弾音

 日出生台での4回目の米海兵隊の移転演習が2月8日、8日間の日程を終えました。午前8時に初弾を発射し、14分までに10発をほぼ連続的に射撃しました。この日の射撃は、発射音は発射位置からみて普通以下の音量に聞こえましたが着弾音が異常に大きく監視小屋が床から突き上げられるような感じがしたほどでした。2日前あたりから監視活動参加者が、異常な着弾音が多いと感じていました。

 8時半過ぎころ、日出町職の委員長から監視小屋に電話があり「今日も演習してますか」「8時に始まって先程終わりました」「それじゃあ8時過ぎに聞こえたのは砲撃の音だったんですね」・・と日出生台から直線距離で約26キロ離れた日出町まで聞こえていたのです。TOSテレビのカメラマンも、昨日、日出警察署での取材中に砲撃音を聞いたと言っていました。

協定違反の演習が行われたのでは

 この8日間監視行動に参加した人たちの意見、感想を集め総合的に検討を加え、4回目の移転演習についての総括をしなければなりませんが、監視行動を通じての感想の第1は、今回の演習は過去3回の演習に比べて不発弾が多かったことです。発射音、着弾音の異常を監視行動参加者が感じていること、そして「新しい」砲弾が日出生台で使用されたのではないかとの意見もあります。第2は昨年あたりから「沖縄県道104号線越え実弾射撃訓練の分散・実施」の内容が変化してきたのではないかと思われることです。それは、射撃の長時間中断が多くなっていること、夜間射撃をせず「訓練中」を継続することなどです。

 97年に防衛施設局と関係自治体が交わした協定の、第II 訓練内容の第1項で『移転実施される訓練は、これまで沖縄県道104号越えで行われてきた155ミリ榴弾砲の射撃訓練のみとし、それ以外の訓練はいかなることがあっても実施せず・・』とあるように、実弾射撃以外の「いかなる訓練」も協定違反となります。
 4回目の今回の演習がどんな演習だったのか、様々な形で4回目の移転演習の監視・抗議行動に参加した皆さんとともに明らかにしたいと思っています。

【8日目の発射数】
 午前8時初弾、8時14分まで10発射撃・・8時36分演習終了サイレン
 8日間の射撃数累計・343発
 8日間、寒風吹き抜ける監視センターで夜遅くまでの監視行動に参加していただいた皆さん、本当にご苦労様でした。監視行動を通じて、「実弾射撃訓練の分散・実施」の実態が、米軍基地の強化であることが見えてきました。移転演習中止と米軍基地撤去までともに頑張りましょう。