日出生台監視レポート
1999
日出生台現地情報・監視センター 遠入健夫

No.1No.2No.3No.4


No.1 1999.2.5

演習初日 いきなり夜間に開始
平和委員会・午前7時から監視活動開始

 「演習開始は2月5日からの可能性」との新聞報道が出されるなど情報が錯綜する中、県平和委員会、ゆふいん平和委員会は予定通り4日午前7時から現地監視センターで監視活動を開始しました。積雪30センチ以上、気温−7度、足元から寒気が突き抜けるなか、監視センター周辺の雪かきとトイレの解凍作業から活動開始。7時25分由布岳の左肩から朝日が昇ると一面銀世界の演習場が一段と輝きを増し、周辺の山々も赤く染まり、ここで海兵隊の実弾演習のあることを一瞬忘れそうになるほど美しい光景が広がってきました。

 10時30分、マスコミの対応に追われている最中、外で監視していたゆふいん平和委員会の宮島和民さんが南東の稜線上にトラックに引かれた155ミリ榴弾砲を発見、いっせいに報道陣のカメラがその姿を追う。そのころ監視小屋のすぐ下にある「歩哨小屋」に自衛隊員の姿、1人は外に出てこちらを双眼鏡で「監視」していた。

 午後1時、演習場内に演習開始を告げる「赤旗」が立ち、午後2時場内にサイレンが響きわたる。いよいよ演習開始か、監視センター内に緊張が走る。しかし、いっこうに動きがない。午後3時10分演習場の上をヘリが旋回を始める。地元の人は「これで全ての準備が終わった。いつでも開始できる」と言う。

 発射地点と思われる南南東の稜線まで移動した榴弾砲の迷彩色のシートが掛けられ砲撃開始の始まりか、と思われたが依然として動きらしきものは見られない。

 マスコミ情報も「午後から」「3時から、いや4時から」と乱れていっこうに確実な情報は一切聞こえてこない。「隊長と射撃責任者が4時40分に今日の演習をどうするか協議する模様」との情報。5時か5時半には始まりそうだという予想が体勢となるが6時になっても始まる気配はない。

 午後から晴れたり雪が降ったりしていて天候だったが、夕方から雪模様が一段と強くなり、視界も殆どなくなり、6時には漆黒の闇が演習場を覆いきった。地元の人も「今日はもうないだろう。いきなり暗やみでの射撃は考えられない」と言う。監視の人やマスコミも「今日はない」という空気が広がり始めた6時25分(後での海兵隊の発表では6時24分)発射地点の方から「ドン」というにぶい発射音が響いた。急いで監視小屋の窓を開け発射地点方向、着弾地方向を注意したが着弾音がしない。「今の音は何だったのか」マスコミの質問が監視団に向けられるが、どういうことなのか分からない。10分後の6時35分、着弾地方向から「ドドッ」という爆発音がした。人見会の衛藤修さんは「こんなことはめったにないが、遅れて爆発したのではないか」という。監視団もこの2つの音で1発の発射と発表した。7時ころになってOBS放送から「海兵隊から6時24分演習を開始した」との事後発表があったと伝えてきた。やはり実弾砲撃が始まったのだ。続けて7時16分今度は腹の底に響くようなにぶい発射音が響いた。今度は4分後の7時20分に着弾地から爆発音が聞こえた。これを最後に今日の演習は終わり、8時15分に終了のサイレンが場内に鳴り響いた。

 一切の情報を開示せず、自らのやりたい放題の行動を国民、住民の気持ちを逆なでして行う。それがどんなに危険なことであっても。この日の実弾射撃、佐世保からの白昼、夜間を通じて生活道路を堂々と弾薬を民間のトラックで運ぶ。軍事車両を大分市の繁華街を白昼隊列をなして通行する。そこには文字通り新ガイドラインそのものが現実のものとなっている。米軍の気まま勝手を許さないためにも、一層監視活動を強化しなければならないとつくづく感じた。


No.2 1999.2.8

様々な形態の演習を試みる海兵隊の演習

 演習4日目の2月7日、7時監視小屋到着。既に「ゆふいん」平和委員会の宮島さんが小屋を暖めていてくれる。午前7時、演習場内に赤旗が立ち、サイレンが場内に鳴りひびき、7時5分、ヘリコプター上空を一巡し演習開始の準備がいつものように整う。7時21分の日の出、明るくなった演習場内のあちこちに設置されている「着弾」などを観測する野営用テントや車両、簡易トイレなどが、演習場内の積雪量が少なくなったせいか双眼鏡により目視できる。

 太陽が高くなるにつれ、それまでは逆行で観測できなかった東側の稜線上の演習初日とほぼ同じ位置に、黒いシートが覆われたりゅう弾砲3門が姿を現した。昨夜のうちに移動したものと思われる。しかし、なかなか砲撃は始まらず、9時前に3門のりゅう弾砲の砲身が、45度の角度で上方に向いているのを確認する。9時11分、砲座で白煙が上がり、砲撃の開始を確認。5分後2発目を撃った後、3門とも砲身を下げたまま2時間以上砲撃はなく、11時20分、再び砲身を上げ、11時35分から昼までに5発発射し、12時15分から午後1時12分までに17発発射して1時21分に終了のサイレンが鳴り、4日目の演習は終了となった。4日間の累計発射弾数227発のうち夜間3日間で56発。

 この日は演習が始まって初めての日曜日。演習場を取り巻く県道上には演習見学の観光客の車が多く、監視小屋にも各地の平和運動にかかわっている様々な団体の人達が次々と訪れ、その対応に追われた。前日湯布院町で講演をした太田前沖縄県知事もマスコミの人たちと監視小屋上の高台から演習場を視察していた。

 今日は視界がよく、砲座付近の様子が双眼鏡でかなりよく観察できた。3門の砲がよこ一列(遠近感がはっきりせずそのように見えた)並び、左端の砲がまず撃ち、しばらくして右端と真ん中の砲が交互に撃ったり同時に撃ったりする。数発撃つたびに砲身を一度下げ、砲の周囲で何やら作業している様子がかすかに見えたりした。発射時に白煙が上がり、3,4秒で発射音が聞こえ、20秒位で着弾音が響いてくるので発射弾数の確認も今日は容易だった。

 5日目の朝の報告では再び砲座は稜線から姿を消しているという。起伏の富んだ日出生台は砲座の移動訓練にうってつけの演習場ということだろう。


No.3 1999.2.10

情報開示しない海兵隊・施設局
秘密のベールにつつまれた演習の実態

 砲撃演習7日目の2月10日の監視行動に参加した。演習初日の大雪以来連日いい天気が続いている。演習場内の雪はほとんどなくなってきた。今日の演習予定時間は午前7時から午後5時まで、夜間演習はないもよう。

 午前7時、演習開始を告げるサイレン、赤い旗の掲示、入り口の「遮断機」が下がり、上空をヘリコプターが巡回する。演習開始以来の見慣れた光景が繰り広げられる。少し違うのは、ヘリコプターの巡回時間が30分にも及んだこと。昨年2月の東富士での演習では、午前7時台から発射しているが日出生台では昨日まで午前7時台からの発射はまだない。明るくなった東側の稜線に榴弾砲の姿を確認できないのでゆふいん平和委員会の宮島さんと、監視小屋の裏手にある「人見山への林道」を上って山頂から砲座の位置が確認できるかと思い登ってみたが、連日の好天のせいか眼下に広がる演習場は「かすみ」で視界が遮られ砲座の位置は確認できなかった。

 午前8時10分、旧観的壕の右側を稜線から立ちのぼる白煙を確認、発射音に続いて目の前の福万山の中腹あたりを「グォーン」という衝撃波音をひびかせ着弾地へ。今日の着弾音はこれまでに比べて大きく、周囲の山にコダマした。

 午前9時まで、3連続発射の10秒後に2連続発射するという激しい砲撃が繰り返された。50分間に20発の砲撃が行われた。午前9時からの5分間に4連続発射した後、ぱったり砲撃音が途絶えたと思ったら、午前9時13分突然、演習場内にサイレンが鳴りひびいた。監視小屋に来ていた「人見会」の高倉会長が「今日の演習は終わった」と言う。やがて歩哨小屋から自衛隊員が丘の上の「赤旗」を下ろし、入り口の「遮断機」も上がった。

 演習終了後直後に、各界連、県労連、医労連から監視参加者が到着した。大分市や日田市など県内各地から演習見学の人たちが次々と監視小屋を訪れて来た。

 「今日の演習は終った」ことを告げ、発射地点・着弾地点の説明、海兵隊の実弾砲撃演習の実態、新ガイドラインとの関連、監視活動の意義や演習場の歴史など説明し参加者のみなさんと交流した。

 監視小屋の正面高台に初日からずっと止まっていた「通信基地?」らしい車両群が午前中に姿を消し、午後には、西側の丘の上に設置してあった小屋型のテントや常駐していた車両や「監視機器」らしいものなど全てが撤去された。観測地点の変更・移動だろうか?その後演習場内の動きは確認できなかった。昨日2月9日には海兵隊の「広報」担当者が湯布院町のラーメン屋を訪れたという。「海兵隊おことわり」のステッカーのある店は敬遠しているそうだ。

 防衛施設局が前日夜に、次の日の演習時間帯を発表し、自治体や地元住民に伝えられ、新聞も「今日の演習の時間帯」を報道しているが、具体的な内容の情報は一切なく、自治体の担当者から私たちの監視小屋に「今日は何時から撃ってますか」と問い合わせがあった。自治体担当者も、あまりにも情報を開示しない海兵隊と施設局の秘密主義に困惑しているようだ。新聞報道によると、施設局の関係者は「その日の発射弾数と時間帯を知っている」との報道あり、自治体が施設局に抗議をした。


No.4 1999.2.12

米海兵隊実弾砲撃演習終わる
8日間中、夜間演習は5日間115発(25%)

 在沖縄米海兵隊の沖縄県道104号越実弾砲撃演習の本土への「移転」5ヶ所の最後の演習地、日出生台演習場での実弾砲撃演習は、1/25・2/1大分空港から隊員が、1/27大分市の大在公共埠頭から155ミリりゅう弾砲など物資が、1/29佐世保から砲弾が、いずれもルートや時間など一切明かにしないまま日出生台に運び込まれた。これらのことを県民の前に明らかにしたのは大分県平和委員会も参加する「日出生台各界連」などの監視活動によるものだった。特に佐世保からの弾薬の搬入の動きは佐世保平和委員会の山下さんから大分県平和委員会への連絡により判明し、急きょ湯布院での監視行動が組織されたもので、平和委員会の連係プレーによる成果だった。

 実弾砲撃は2月4日から12日まで(11日は休み)の8日間行われた。演習の模様の一部は前回までの「監視レポート」に書いたとおりだが、今回の日出生台での実弾砲撃演習では、2月2日に地元3町を表敬訪問した海兵隊の責任者は、実弾砲撃演習は2月5日からと「匂わせ」、新聞も「砲撃演習は5日からの可能性」と伝えながら、第一弾が発射されたのが4日の午後6時25分、夜間演習から始まるなど、一貫して情報を極端に秘匿し、事後の発表する時も大幅に遅れた。その都度関係自治体は抗議し、度々要請もしたが、最後まで改善しないままだった。8日間に発射された砲弾の数は総数で448発、うち夜間は115発だった。時間帯もまちまちで、初日の夜間の2発、2月14日は午前8時13分から9時5分までの1時間足らずの間に24発撃ってこの日の演習を終了した、など実弾射撃の始まりと終わりの時間の具体的発表がないため、地元住民は一日中緊張を強いられることになった。

 17日から、別府、福岡に「公務による外出」も予定されていると伝えられている。日出生台から海兵隊の撤退まで、また新たな監視活動を組織していかなければならない。

監視活動に県外から多数の参加

 1月24日に現地監視センターを開設して以来、2月12日の実弾砲撃演習終了日まで福岡、熊本、佐賀など県内外からさまざまな平和団体や個人など多くの方々がセンターを訪れ、外国軍隊の軍事演習の実態を自らの目と体で実感し、地元住民との交流を通じて、あらためて軍事基地撤去、ガイドライン法の反対の思いを強くしたようだ。監視センターのノートには多くの参加者の思いや感想が書き綴られている。


日出生台演習場での発射弾数調査表

※午前は7時〜12時、午後は12時〜18時
 夜間は18時〜終了まで
  午前 午後 夜間 合計 参加数 備考
  0 0 4 4 7
  39 12 46 97 10
  34 64 8 106 7
  7 17 0 24 7
  0 31 34 65 8
  36 7 23 66 8
10 24 0 0 24 8
11 1
12 13 49 0 62 8
13 1 不発弾処理
確認
累計 153 180 115 448 65 射撃日数
夜間