ペトロ 晴佐久 昌英
教会っていいところだなと思うのは、何といっても多様な人たちに出会えるところです。
特に、各国の人たちとすぐに友達になれるのは、まさに教会ならではでしょう。
先日も入門講座で一緒ごはんをしているときに、たまたまオーストラリアから観光に来たファミリーが現れて、一緒に食べてくれました。
個人的には最近 近隣の国々の若者たちと出会うことが多く、様々な気づきを頂いています。
神父役得で申し訳ないので、このところ増えた友人たちだけでもご紹介を。
昨年のクリスマスイブ、夕方からぽつんと聖堂に座っている青年に声を掛けたところ、数年前から日本に働きに来ているミャンマー人だというので、ぜひ友達になりましょうと、ミサ後の食事会にお招きしました。
名前は、ハン君。
ミャンマー西部の出身で、自分の出身教会の庭に信者の子どもたちが100人以上並んでいる写真を、うれしそうに見せてくれました。
イブの食事会はミュージシャンの集まりでしたので、いつしか司祭館はライブ会場となり、ハン君もすっかりみんなの歌声に感動している様子でした。
「日本に来て一人ぼっちじゃないクリスマスは初めてです」と言った時の はにかんだ笑顔が忘れられません。
ところが、年が明けてすぐ、そのハン君からメールが届き、「自分たちの教会をミャンマー軍が空爆して、子どもたちが大勢亡くなった」というのです。
教会の庭にずらりと並べられた子どもたちの遺体の衝撃的な写真も添えられていて、言葉を失いました。ハン君も相当ショックを受けていて 「どうかファーザー、祈ってください」と頼まれ、翌日のミサで追悼したのですが、友達が増えるということは、共有する悲しみも増えることになるのだと痛感させられた出会いでした。
中国の河北省出身の留学生ラファエル君は、熱心なカトリック信者です。昨年、祈るために教会を訪ねて来たので、 ちょうどその夜のキャンプ仲間の食事会に招いて友達になったのでした。
そのラファエル君が、クリスマスに同郷の友人テイ君を紹介してくれたので、元旦恒例のキャンプ仲間の新年会に、 二人で来てもらいました。
みんなでピザを囲んで愉快な食事会になったのですが、その席上、テイ君が、「日本で洗礼を受けたい」と打ち明けてくれたのです。
彼は中国で、政府非公認のいわゆる「地下教会」と出会って本物のキリストと出会ったそうで、 ラファエル君と同じように「自由を求めて」日本に来ました、と。
憲法で信教の自由が保障されている国でのんびり暮らしているクリスチャンとしては、 身の引き締まる思いにさせられたものです。
新年早々のミサにやって来たリュウ君は、ハワイから来たアメリカ人。
母親は日本人で、数年前から日本で働いています。
プロテスタント信者ですが、カトリック教会に共感していて、すぐ近くに住んでいることもあって、訪ねてきました。
そこで、同じ世代の友達を紹介しようと思い、ベトナム技能実習生とインドネシア人と日本人の新年会にお招きしました。
ちょうど、以前その会を熱心に世話してくれていたロック君がベトナムから戻って来たので紹介し、インドネシア人とは共通の趣味であるゲームの話題で盛り上がって、リュウ君にとって本当に楽しい食事会になったようです。
確かに、アメリカ人、ベトナム人、インドネシア人、日本人が仲良く食卓を囲んでワインを継ぎ合う様子はこれぞカトリックという光景でした。翌週、リュウ君は入門講座に現れると、「カトリック教会に転会したい」と申し出たのでした。
「Dの会」というのは、血縁を超えて助け合うコミュニティを「一緒ごはん」を重ねることでつくるという実験グループです。
先日、Dの会の新年会の日に、たまたま一人の韓国人旅行者が訪ねてきました。
24歳で、聞けば一年前に洗礼を受けたばかりとのこと。
なぜ浅草教会に来たのか尋ねると、こう答えてくれました。
「数年前、10歳下の弟がガンになったため、自分は大学を休学して看病し、教会に通って祈り続けた。すると、神さまの恵みを頂いて弟の病気が治り、今はとても元気でいる。そこで、感謝して洗礼を受け、大学にも復学し、念願かなって初めての日本旅行に来ることができた。今、浅草のホテルに泊まっているので、日本の教会で感謝の祈りを捧げに来た」と、そう言うのです。
感動しちゃいました。
当然のようにDの会にお招きし、彼が大好きだという日本酒を飲み交わしました。名前はミンジュン君なので、「ミンミン」って呼ぶことにするねというと、とっても喜んでくれました。
別れ際に、ミンミンは手首からブレスレットのロザリオをはずすと、私の手首にはめて言いました。「ファーザーに会えて本当に嬉しかった。一年後に必ずまた来るので、それまで僕を忘れず、これを預かってください」。
韓流ドラマみたいで照れ臭かったですけど、つくづくと思わされたのです。
「教会って、ほんとにいいところだなー」