難 民 選 手 団

 

ペトロ 晴佐久 昌英

お騒がせのオリンピックもどうにかこうにか終えることができました。
賛否両論とはいえ、そこはさすがにオリンピック、さまざまなドラマも生まれたようです。
個人的には最終日の男子マラソンのゴール風景に胸を熱くしました。
トップのキプチョゲ選手がぶっちぎりでゴールした、その後のことです。
二位集団の三人が銀メダルを争う中、オランダのナゲーエ選手が抜け出しそのままラストスパートするかと思いきや、なぜか繰り返し後ろを振り向き四位のベルギーのアブディ選手に向かって、何度も何度も「来い、来い」と手招きしたのです。
これに励まされてアブディは最後の気力を振り絞ってスパートし、ゴール直前で三位の選手を追い抜いて、ゴールイン。
それぞれ銀と銅を獲得した二人は路上でいつまでも固く抱き合っていました。
実は二人ともソマリア難民で、ナゲーエはオランダに、アブディはベルギーに保護され、それぞれの国民として参加していたのです。
ソマリアと言えば20年に及ぶ内戦によって、避難民が150万人に達し、2011年には国連の飢餓宣言が出て現在も210万人が飢餓の危機にあるという世界最貧国のひとつです。
同郷で、しかも同年齢の二人は 別々の国で暮らしながらも助け合い励まし合う友人同士で、記者会見では「二人でこうして隣にいられるのが本当にうれしい。夢みたいだ」と語りました。
その命がけの友情と、そこから生まれる奇跡的な力、そして、そんな二人が並んで表彰されることの喜び。安心安全な生活をしているわたしたちには、それらの本当のところは分からないのかもしれません。
他にも、例えば女子一万メートル走と五千メートル走で金メダル二冠となった陸上界のレジェンド、オランダのハッサン選手などもエチオピア難民です。
惜しくも銅メダルとなった千五百メートル走の予選では、残り一周に入ったところで他選手の転倒に巻き込まれて転倒。
だれもが予選落ちを想像する中、勢いよく起き上がると最後尾から皆の後を追い、たった一周で11人全員をごぼう抜きにして一位ゴールという底力を発揮しました。
目を疑うその光景は、あたかも勝利の女神が苦難を潜り抜けた難民に、そっと美しい魔法をかけたかのようでした。
もっとも、彼らのようにそれぞれを保護した国の代表として参加できるのは恵まれたケースで、現実には多くの難民アスリートたちは、他国の難民キャンプなどの過酷な現場にいるために、オリンピックに参加するなど夢のまた夢です。
そんな彼らのために、前回大会からは難民選手団 として参加する道が開かれ、今回の開会式でも29人の難民選手団が、慣例のギリシャについで実質上の先頭として選手入場を果たしました。
旗手を務めた 23歳のガブリエソ君は12歳の時にエリトリア紛争を逃れて裸足で砂漠を渡り、スーダンとエジプトを越えてイスラエルで難民申請をしたというアスリートです。
今春ついにフルマラソンでオリンピック参加標準記録を突破して参加資格を得たということで、インタビューでは「あきらめるなんて自分じゃない」と語りました。
彼らにはもはや、参加しただけで金メダルを授与すべきではないでしょうか。
全世界に難民問題を訴え、難民の尊厳を示して、人々の気づきと行動を促しているのですから。
教皇フランシスコは2013年の就任直後、初の訪問先として地中海のランぺトゥーザ島を選びました。
いうまでもなく、アフリカからの難民が殺到して多くの人が海上で命を落としていることで有名な悲劇の島です。
「難民問題に対する唯一の回答は連帯といつくしみだ」と語る教皇らしい明確な行動であり、世界中が「今度の教皇は難民問題に本気だ」と理解した出来事でした。
2015年には「欧州の各教区、修道院、小教区教会は、それぞれ一家族ずつ難民を受け入れよ」という要請をして各現場に衝撃が走ったのですが、これを「欧州の問題であって日本は関係ない」と言うことは許されません。
実際、2019年に日本を訪問した際も、東京カテドラルで開かれた「青年の集い」に日本在住の難民を招き、若者たちに対して「日本へ逃れてきた人たちをもっと受け入れてほしい」と要請しました。
その時会場にいて、それをこの耳で直接聞いてしまった私にとっても 難民保護は単なる徳目ではなく義務となりました。
幸い今は、スリランカ難民のラリットさんが神のみ心によって遣わされ、すでに一年半上野教会の三階に一緒に住んでくださっているので、かろうじてこの義務を果たすことができていますが、まだまだ道半ば。
この国で実際に難民を保護している教会はいくつあるのでしょうか。
ご存じのとおり、日本での難民申請はあまりにも厳しい審査基準と理解しがたい長期審理によって、もはや虐待に等しい現状になっています。
長い人は10年も放置され、その間の生活保障もないためにホームレスになる人もいますし、ラリットさんの同郷のウィシュマさんのように、入管の拘留中に病気を放置されて亡くなる人さえいます。
こうなると虐待どころか、もはや殺人でしょう。
いったいどうしたら同じ人間に対して、これほど冷酷になれるのでしょうか。
昨年の「世界難民移住移動者の日」に当たり、教皇フランシスコはこう語りました。
「幼子イエスは両親と共にエジプトに逃れ、難民の悲劇を体験なさいました。
現代においても何百万もの家族が、この悲しい現実の内に置かれています。
その一人ひとりの中に、イエスがおられます。
難民は私たちを、主に会わせてくれるのです。」
オリンピックが終わり、各国選手団が続々と成田から母国へ帰る姿がニュースで流れています。
笑顔で「アリガトウ、トウキョウ」と手を振る彼らを見るうちに、思わず涙がこぼれそうになりました。
夢の舞台が終わり、それぞれの避難先で「一難民」に戻っていく、難民選手団一人ひとりの胸の内を思ったからです。

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