父からの宿題

 

ペトロ 晴佐久 昌英

主のご復活、おめでとうございます!
今年の聖週間は、ようやく公開ミサをすることが出来ました。
コロナ対策のために何かと不自由な儀式にはなりましたが、聖堂に集うことさえ出来なかった去年の聖週間を思えば、感無量です。
文字通り「復活祭の復活」ということで、二重の意味で「ご復活おめでとうございます」と、ご挨拶申し上げます。
ミサの復活に続いて各教会活動も早く復活してほしいと願っていますが、東京教区の最新の指針によれば、「ミサ以外の会議や会合、集い、勉強会などの活動は、可能な限りオンラインとするものの、会場の収容人数や換気、時間(最大でも2時間以内)に慎重に配慮しながら、実施することも出来ることといたします」ということで、なんとか入門講座は再開することとなりました。
しかし、「飲食を伴う行事は控えてください」とありますので、受洗者のお祝い会などもできませんし、ベトナム技能実習生たちの「サンタ会」や、育児支援の「まんまカフェ」など、飲食を伴う集いの復活はもう少し先になりそうです。
じゃあ、食事抜きにすればいいじゃないかと思われるかもしれませんが、福音家族系の集いはいずれも「血縁を超えて助け合う家族になるために『一緒ごはん』をする」のが目的ですから、食事抜きでは意味のない集いになってしまいます。
それは言うなれば「聖体拝領のないミサ」のようなものであって、そこだけは譲れない、福音家族の魂なのです。
それにしても、なんでこんなに「一緒ごはん」にこだわるのか、かねてより自分でも不思議に思っていたのですが、それについてはつい先日、大変腑に落ちる事実を知りました。
カトリック新聞社に勤めている親しい友人から、「こんなものを見つけたよ」と、古いカトリック新聞のコピーが送られてきたのです。
それは1969年1月5日号の特集記事で、「新春座談会」として「今年の信者の課題」を話し合うという内容のものです。
司会は井出雄太郎神父で、出席者は長江恵司教と主婦や大学生など男女4名の信徒なのですが、そこになんと、私の父が参加しているのです。
当時40歳、おそらくは一般のサラリーマン代表として招かれたのではないでしょうか。
今の自分より20歳以上も若い父の写真も載っていて大変懐かしく、半世紀を超えてふいに父が会いに来てくれたような不思議な気持ちになったのですが、驚いたのは、「1969年の課題」として父が語っている、その内容です。
「(小教区を超えて信徒たちが集う)ある会では、毎週集まりを持って兄弟のように励まし合っていますが、これは練成会に参加したとき一緒に食事をし、一緒に寝て、そして現実の共通の問題を語り合って、何日かの間みんなが信仰の喜びを、そこで体験し合ったからだと思います。
小教区においても食事を共にして、皆の共通の現実の問題をとりあげて一緒に活動すれば、ほんとうの兄弟愛がそこから生まれるのではないでしょうか」これには、驚きました。
父は預言者のようにそう語り、その10年後には世を去ってしまったのですが、なんのことはない、そんな父の願いを、そのころ小学生だった息子が半世紀後にせっせと実践している、ということだったのです。
恐るべし、親子に流れる遺伝子の働き。
もっとも、考えてみればこれはキリスト教に流れる遺伝子なのであって、キリスト者として当たり前の願いであり、実践でもあるはずです。
イエスは多様な人々と共に集って一緒に食事をし、一緒に寝て、それこそ「現実の共通の問題を語り合い、兄弟のように励まし合って」神の国を生きていたのですから。
世界は激変しています。感染症のパンデミックは、この世の様々な病根をあぶり出しにするとともに、そんな世を救うためにこそ存在するキリスト教が、当たり前の願いと実践に立ち還るきっかけを与えてくれました。
今、人々が孤立している世界全体が、一緒に食事をして励まし合う「ほんとうの兄弟愛」の価値に目覚め始めています。
「1969年の課題」は、いっそうの緊迫度を持って、いまや「2021年の課題」となりました。52年前の父からの宿題を天の父からの啓示として受け止めて、今年の復活節を始めることといたします。

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