復活祭にあたって、信徒の皆さんへ
皆さん、主のご復活おめでとうございます!

 

ペトロ 晴佐久 昌英

世界中が新型コロナウイルスに苦しんでいるときに「おめでとう」を言うのははばかられるような気もしますが、キリスト教信仰の基本は、「主はすでに死に打ち勝ち、復活した」という福音にあります。
わたしたちキリスト者は、お互いに会うことさえできないこの苦難の中でこそ、いつにもまして心をひとつにし、「主は復活された、アレルヤ!」と声高らかに宣言いたしましょう。
「緊急事態宣言」のさなかにわたしたちが発出すべきは、「緊急福音宣言」にほかならないからです。
復活節第二主日の福音朗読では、次の個所が読まれます。
「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。
そう言って、手とわき腹とをお見せになった。
弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。
『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』」(ヨハネ20・19―21)
今まさにわたしたちは、ユダヤ人ならぬウイルスを恐れて閉じこもっていますが、そんなわたしたちの真ん中に、イエスは来てくださいました。
弟子たちと同じようにわたしたちがどれほど恐れているか、そして自らの心の戸に鍵をかけているかを、イエスはよく知っておられるからです。
イエスはみなさんに、死に打ち勝った平和の主としての祝福を与え、励ましてくださっています。
この苦難の世に、わたしたちを遣わすために。
ですから、今は共に苦難に耐え、ウイルスが収まったあかつきには、十字架の日々を共にしたキリスト者として、復活の主から聖霊を受けて世に遣わされ、この世界をいっそう神の御心にかなった世界へと変えてまいりましょう。
歴史を振り返るならば、人類の歴史はそのまま苦難の歴史であることがわかりますが、その苦難を乗り越えることでこそ人類は人類になってきたというのも、確かなことです。
天災や疫病こそが、人類を育ててきたと言ってもいいでしょう。
ちょうど、おさなごが転んでは起き上がることを繰り返して育っていくように、今回の試練も、わたしたち人類がいっそう優れたものに成長していくための、大切なプロセスなのではないでしょうか。
天の父は、転んで泣いている神の子たちを、永遠の親心をもって見守っておられますし、再び立ち上がって歩き出せるように支えてくださっています。
そのような天の父の親心の目に見えるしるしこそが「主の復活」なのです。
主の復活は、わたしたちの復活でもあります。キリストの十字架を復活の栄光に変えてくださった神は、人類の孤立と困難もまた、一致と解放の喜びに変えてくださるに違いありません。
「成長」というからには、わたしたちは今までと同じでいるわけにはいきません。
感染症はいつの時代でも、その時その時の文明や社会を問い直すきっかけになってきました。
一見天災のように見えるこのたびの感染爆発も、実は現代社会のあらゆる問題が引き起こした人災であることは明らかです。
なおざりにされた環境問題と置き去りにされた貧困問題、過剰な消費主義と過密な都市社会、人口爆発と少子高齢化、経済原則の生命科学と商品化された医療、硬直化した行政と保身の政治などなどはすべて、コロナ以前とコロナ以降で同じであってはいけない問題です。
神は、人類の回心と成長を望んでおられます。
わたしたちキリスト者は、神の国の完成を待ち望みつつ、復活の証し人として世に遣わされるよう召されているのです。
「すべてのいのちを守るため」に。
復活を告げ知らせる福音には、力があります。
福音のうちにこそ、希望が輝きます。
「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」(ローマの信徒への手紙5・3―5)
特に、この復活祭に洗礼を受ける予定だった洗礼志願者のみなさんは、むしろこんな時に選ばれたのだという誇りを持って、希望を新たにしてください。
すべてのできごとは、天の父の限りない慈しみのうちにあります。
やがて来る洗礼の日は、いつにもまして復活の輝きと解放の喜びに満ちた、特別な日になることでしょう。
気の滅入るニュースが続きますが、恐れてはいけません。
真に恐れるべきはウイルスではなく、自らを縛る恐れそのものなのです。
この世で外出は自粛していても、わたしたちの内なる霊は全く自由です。
何ものもわたしたちの「信じる心」を縛り付けることは、できません。
先ほどの朗読個所で、復活の主はトマスにこうおっしゃいました。
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」どうかみなさん、からだの健康と魂の自由を守ってください。
今は家にいて、病床で孤独の内に苦しんでいる方々、危険な現場で働く医療従事者の方々、生活が困窮している方々のために祈ってください。
そして来るべき再会の日には、ご一緒に大声で賛歌を歌い、いのちの主に賛美と感謝を捧げましょう。
復活祭の派遣の祝福を送ります。
「全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にありますように。アーメン」
「行きましょう、主の平和のうちに、アレルヤ!」

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