信徒の皆さんへ第三信

 

ペトロ 晴佐久 昌英

先月ご復活祭のご挨拶を申し上げてから、早ひと月が過ぎました。
いまだ緊急事態宣言の続く中、それぞれに不自由な日々を過ごしておられることと思います。
体調はいかがでしょうか。
心の状態はどうでしょうか。
先の見えない不安な気持ちと、寂しい思いを抱えているであろう信徒の皆さんに、改めて福音的な励ましのお便りを差し上げたいと思います。
今日、復活節第5主日の福音朗読は、イエス様の力強い励ましの言葉で始まります。
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハネ14・1)
このような社会状況にあって心を騒がせてしまうのは、ある意味仕方のないことかもしれません。
しかし、キリスト者である私たちは、神の愛を信じ、イエスの力を信じて、だれにもまして希望を持つ仲間でなければなりません。
離れていても心をひとつにして、すべてを良いものに変えてくださるお方を信じましょう。
第2朗読で使徒ペトロが宣言しているとおり、「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民」(1ペトロ2・9)なのですから。
「選ばれた民」というからには、責任は選んだ側にあります。
確かに私たち一人ひとりは弱い人間ですが、神はそんな私たちを責任を持って選び出し、キリストにおいてひとつに結んでくださいました。
この苦難の時代にあってなおも希望を失わず、互いに励まし合う「聖なる国民」として。神は善いお方です。
今もいつも善い業をなしておられます。
この私を選んでくださった神に信頼して、救いの日を祈り求めましょう。
これを読んでいる人の中には眠れないほどに落ち込んでいる人や、祈れないほどに疲れ果てている人もいるはずですから、お互いのためにも祈り合いましょう。
苦しむすべての人のために祈り続けることは、まさに「王の系統を引く祭司」の聖なる勤めにほかなりません。
私も、公開ミサが中止になった四旬節以降、主日はもちろん、平日も毎日欠かさずに非公開ミサを捧げ続けています。
がらんとした聖堂ではありますが、皆さんを代表して皆さんと共に捧げるミサですから、「主は皆さんと共に!」と、聖堂の隅々にまで響くように声を出しています。
皆さんがそこにいると信じて、いつにも増して大きく手を広げながら。
外出自粛の日々はさまざまなストレスが溜まりますが、これもまた神のみ心と信じるならば、恵みの日々とすることもできるはずです。
「自粛で出来なくなったこと」を嘆くのではなく、「今だからこそ出来ること」を始める機会といたしましょう。
実際、普段出来なかった部屋の片づけを始めたという声をよく聞きますし、私自身、溜まっていた膨大な資料を整理したり、珍しくシーツを洗ったりしています。
そんな「今だからこそ出来ること」の中で最もみ心にかなっていることは、実は「自らの本当にあるべき生き方と、みんなが幸せに生きていける社会について真剣に思いめぐらすこと」ではないかと思っています。
確かに3・11のときも、絆の大切さに気付いて身勝手な生き方を反省したものですが、喉元過ぎると忘れてしまったという人も多いはずです。
しかし、今回は本気にならなければいけないと、多くの人が直感しています。
人類が共に生きていく上で最も大事なことは、何なのか。
人と人が助け合って暮らすには、どうしたらいいのか。
多様な人を受け入れ合うために、何をなすべきか。
回心のために与えられたこの機会を黙想の日々として、聖霊の語りかけに耳を澄ませ、出来ることから実践し始めることこそが、神の望みなのではないでしょうか。
今、弱い立場にある人ほど、苦しんでいます。
目立たないところで多くの人々が生きる希望を失いかけています。
浅草橋のフードバンクには、以前には見たことのない行列ができていて、中には子連れのお母さんも並んでいます。
神父のところにもさまざまなSOSが届き始めました。
一人暮らしの中で精神的に追い詰められて、いわゆる「コロナうつ」になってしまった人も多く、みんな話し相手を求めています。
福音家族として一緒にご飯を食べていたベトナムやウズベキスタンの若者たちも、収入を絶たれて途方に暮れています。
仕事と共に住む所を失ったスリランカ人をやむなく教会で保護していますし、家賃が払えなくなった青年の援助もしています。
皆さんの身近にも困窮している人が必ずいますし、今後ますます増えるはずですから、賢明に工夫しつつ手を差し伸べてまいりましょう。
「神のものとなった民」として。
いまだ先は見通せない状況ではありますが、ご安心ください、必ずや活動再開の日はやってきます。
再び主の食卓を囲んで歌ったり、ミサの後にお茶を飲んで笑い合ったりする日も遠からず来ることでしょう。
その日私たちは、このようなひとときがどれほどありがたい恩寵の時であるかを、しみじみと確かめ合うことになるでしょう。
それまでの日々を、祈りと実践のための恵みの期間として、「復活節の黙想会」といたします。
状況が変わって教区から新しい方針等が出ましたら、またお便りいたします。
毎日、ミサの後は庭に出て、ルルドの聖母像の前で祈りを捧げています。
本日、母の日にあたり、病める者の母、聖母マリアの取次ぎを願って祈ります。
「聖母マリア、感染症拡大の一刻も早い終息と、困難の中にある人々への救いを、母の愛を持って天の父に取り次いでください。苦しんでいる私たちのために、今もいつもお祈りください。主、キリストによって。アーメン!
「行きましょう、主の平和のうちに、アレルヤ!」

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