抱きしめる共同体

 

ペトロ 晴佐久 昌英

主のご降誕、おめでとうございます。
ちょうどひと月前の11月25日、私は東京ドームで、教皇フランシスコの司式するミサで共同司式しておりました。
間近に教皇様の司式するお姿を見て感無量でしたが、なによりもそのお説教に感動しました。
「私たちは、すべてのいのちを守るよう招かれている」とした上で、「目の前のいのちを、そのまま抱きしめて受け入れる共同体となるように」とおっしゃったのです。
それこそ、私たち上野教会への招きであり、励ましではないでしょうか。
「愛をかけるに値しないと思っても、まるごとすべてを受け入れるのです。
障がいを持っている人や弱い人は、愛するに値しないのですか。
よそから来た人、間違いを犯した人、病気の人、牢にいる人は、愛するに値しないのですか」。
実はこの説教を、先日刑務所の中で、教誨師として受刑者たちに朗読しました。
「間違いを犯した人、牢にいる人は愛するに値しないのですか」と、まさに「間違いを犯した人」に「牢」の中で語りかけていると、あたかも教皇様が語りかけているかのような気持ちになったものです。
実際、教皇フランシスコは、訪問国ではいつも刑務所を訪問するのですが、今回の日本では被爆地訪問などもあって時間的に実現しませんでしたので、私が代読したというわけです。
説教では、続けてこう語っています。
「イエスは、重い皮膚病の人、目の見えない人、体の不自由な人を抱きしめました。ファリサイ派の人や罪人をその腕で包んでくださいました。十字架につけられた盗人すらも腕に抱き、ご自分を十字架刑に処した人々さえも赦されたのです」。
一人の女子受刑者は、これを聞いて泣きました。
彼女は自らを責めるあまり摂食障害になり、私が会ったその日は、一週間で5キロも痩せてしまったところだったのです。
「神様はあなたを抱きしめてますよ」とお話したら、「今晩はちゃんと食べます」と言いました。
天の父は、すべての人を抱きしめておられます。
イエス様はその天の父の愛のしるしとして、すべての人を抱きしめてくださいました。
教皇様はそのイエス様の愛のしるしとして、すべての人を抱きしめようとしておられます。
わたしたちもまた、教皇様に励まされて、すべての人を抱きしめる共同体になろうではありませんか。
馬小屋に飾る聖家族の人形では、飼い葉おけのイエスはたいていの場合、こちらに向かって手を開いています。私たちを抱きしめようとしているのです。

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