福音家族集会

 

ペトロ 晴佐久 昌英

「一緒ごはんで福音家族」をキャッチフレーズに、いくつかの集いを始めたことは、うぐいす6月号で紹介しましたが、このたび10月9日体育の日に、上野教会を会場として、それらの集いが一堂に会する「福音家族集会」を開催することができました。
「福音家族」とは、キリスト者や求道者が、キリストの名のもとに「血縁を超えた福音的家族づくり」を目指す集いです。厳密な定義はありませんが、最低でも月に一度は「一緒ごはん」をしていて、同じ神の子として家族同然に信頼し合っている集いならば、「福音家族」と呼ぶことにしています。
もちろん、所属教会はそれぞれ違いますし、プロテスタント教会の人たちも加わっています。
以前に紹介した通り、心の病を背負っている青年たちの集い「ここヤシの会」とか、路上生活者と一緒ごはんをする「うぐいす食堂」など、それぞれの特徴を持った14の家族がすでに活動中ですが、そのような福音家族がお互いに知らないのはもったいないですし、知り合うことでもっと助け合いたいということで、このたびの集会を企画しました。
当日は何人集まるかと思っていたところ、100人近くの「家族」が集まって、共に祈り、共に語り、共にごはんを食べることができて、幸いな一日を過ごすことができました。
始めに互いの集いの紹介をしたところ、映像でスライドショーを見せてくれた家族や、ピアノ演奏で自分たちの心を紹介した家族もいて、和気あいあい。
その後のミサは、まさに「最後の晩餐」にあずかる「霊的一緒ごはん」でしたし、ミサ後は「いつもの晩餐」を分かち合う「福音的一緒ごはん」となりました。
さすがに月に一度は一緒に食べている家族たちですから、料理を上手に持ち寄って暖かくもてなし合い、天国的食卓が実現して、これこそ、「(信者たちは)毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をしていた」という初代教会そのものだと、心を熱くしました。
本当を言えば、小教区全体がこのような「福音家族」であるべきですが、現実にはなかなかそうはなっていません。
どうしても小教区は、それこそ「聖堂共同体」という言葉があるように、建物と組織が中心ですから、真に家族的な集いになるのは難しいようです。
そこで、先ほど引用した聖書の箇所をヒントにするならば、信者たちは「神殿に参る」のと同時に、「家ごとに集まって一緒に食事をしていた」わけですから、私たちも、小教区教会に集うのと「同時に」、一緒ごはんの家族的集いも持つことが必要だと考えました。
ちょうど、学校での全人的教育のためには、教室の授業も大事だけど、「同時に」放課後のクラブ活動も欠かせないといったところでしょうか。
そして多くの場合、生き生きとした人間教育ができ、心の通う師弟関係を持てて、生涯の友と出会えたりするのは、いつでも部活のほうだったりするわけです。
もっとも、私自身は部活に拘束されるのがいやで、いわゆる「帰宅部」でしたが、そのような帰宅部同士で家族的な仲間をつくり、いつも一緒に遊び、一緒にご飯を食べ、互いの家を行き来していました。
その中の一人はやがて洗礼を受け、今でも親友としてつきあっていますし、彼はそれこそ、今回の福音家族のメンバーでもあります。
小教区教会も、そのようないわば「ミサの放課後」や、いろんな種類の「部活的グループ」を大切に育てていかない限り、どんどんやせ細っていくのは必然です。
なにしろ、現実には「入学者」がほとんどいないのですから。
部活が盛んな学校にこそ、入学者が集まるという事実から学ぶ点は多いのではないでしょうか。
これからも年に一度は、福音家族集会を開きたいと思っています。
ちょうど年に一度、お正月には家族全員がそろうように。
ただ、来年は全員が入り切れるかどうか、少し心配です。
実を言うと、今回は来られなかった人も多く、もしも現在の福音家族が全員集合したら、もうすでに上野教会の実質上の信徒数を上回っているのですから。

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