普遍の霊!

 

ペトロ 晴佐久 昌英

「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」
カトリック信者は、十字を切りながらいつもそう祈っていますが、その意味を本当に理解している人はどれだけいるのでしょうか。
「父」とは、天の父であり、神さまのことです。
天地万物すべての生みの親です。
「子」とは天の父の愛の結晶であるイエス・キリストのことですが、大きな意味では天の父の愛によって生まれたすべての神の子のことです。
キリストはすべての神の子の完成された姿であり、このキリストに結ばれている私たちもまた「子」なのです。
「聖霊」とは、天の父から「子」に注がれる愛、すなわち親心のことです。
「子」は、子を望む親心によって生まれ、子を愛する親心によって育ち、子を救う親心によって天の父のもとに召されます。
この「父」と「子」と「聖霊」は、一つの愛の交わりです。
父がなければ子は存在せず、親心もありません。
子がいなければ父とは呼べませんし、親心も必要ありません。
親心がなければ父は父になれず、子は子になれません。
「父と子と聖霊」は、神の本質がこのような「ひとつの交わり」であることを表していますし、私たち神の子は、この父と子と聖霊の交わりに目覚めて安心し、喜びに満たされるために存在してい ます。
特に、聖霊降臨の日は、聖霊すなわち親心に目覚める 日です。
聖霊は祈ればやってくるなんていうケチなものではあ りません。
わが子が願ったから愛する親なんて、親ではありません。
子どもが願う前から親は子を愛してますし、その意味では、私たちは生まれる前から聖霊に導かれていますし、聖霊に包まれて生きてきましたし、今も、全身全霊聖霊に満たされています。
眠っていても起きていても、いい子であろうが悪い子であろうが、気づいていようといまいと、親心の中を生きているのです。
大切なことは、その親心に気づくことです。気づいて 安心し、喜びに満たされることです。
聖霊降臨は、自分が永遠に神に愛されているという真理に目覚める日なのです。
そのような「父と子と聖霊」の恵みについて書いたのが、晴佐久神父の最新刊「十字を切る」(女子パウロ会)です。
これは早くも5刷りになり、韓国語にも翻訳されて、とても人気があるようです。
ぜひ読んでいただければ幸いです。
私たちは、父に愛され、子と一つになり、聖霊が宿っているという、まことに幸いな神の子です。
それを信じ切って、今夜は安心してお休みください。

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