セバスチャン 西川 哲彌
						
						私たちは、ミサの中で、いつも、亡くなられた方のために祈ります。
						それもミサの中の重要なところ(奉献文)で司祭が「復活の希望をもって眠りについたわたしたちの兄弟とすべての死者を心に留め、あなたの光の中に受け入れてください」と唱えます。
						私はこの祈りの時、必ず、東日本大震災で亡くなられた1万7千人の方々を思い起こします。
						それだけではなく、震災関連死といわれる2500名の方を思い起こします。
						震災発生以来5年間経ちました。私にできることは、ミサの中で、亡くなられた方々のためにお祈りすることです。
						私たちの信仰は、命は無くならない、一端与えられ誕生した命は永遠に生きることをわからせてくださいます。
						命は神さまのものであり、永遠の命です。
						その一時をこの世の命として生きています。
						永遠の命のほんのひとときです。ですから、大切に生きなければならないのです。
						しかし、この世の命は、いかにも簡単に終わります。死です。
						大震災で、突然の死を迎え、そのためにその何倍もの方々がその死を悼み、悲しい思いでいます。
						しかし、その悲しみは次第に癒されて行っています。悲しみ疲れたのでもなく、諦めたのでもなく、亡くなられた方が生きていることに気付いたからです。
						イエス様が復活され、死を滅ぼされました。
						死は、この世の命の終わりですが、命は続きます。
						死んでも生きているのです。
						新しい命です。夢でも幻でもありません。
						新しい命でそばにいるのです。
						親しい者の死は、その新しい命によって癒され、支えられ、共に生きることができるのです。
						復活は、命の不滅と生きる喜びを私たちに保証してくださいます。
						私たちに与えられているのは、長いか短いかはともかく、与えられた命を喜びをもって懸命に生きることです。
						そのことを教えるためにイエス様は十字架の死を引き受けてくださったのです。
						「そのことによって私たちは愛を知りました。
						世の富を持ちながら、兄弟が必要なものにこと欠くのを見て心を動かせないものがあれば、どうして神の愛がそのような者のうちにとどまるでしょう。
						子たちよ、言葉や口先だけでなく、行いをもって誠実に愛 し合いなさい。」(ヨハネ 第1の手紙3章)。