セバスチャン 西川 哲彌
少子高齢化社会到来と云われはじめて一世代、つ まり三十年近くたちました。
3人も子供がいると多いほうで、どの家庭も1人か 2人という感じです。
現実的に、百年近くの歴史のある小学校や中学校が統廃合で廃校になり、校舎だけが残っている区がいくつもあります。
その中で3人どころか4人5人と子供が授かっている家庭があると、見ているだけでも飽きません。
その中でやはりお母さんはすばらしいです。
巣の中にいる幼鳥のように皆、お母さんのほうへ顔を向け「母ちゃん、母ちゃん」と叫んでいます。
父さんがダメだと決して云いませんが、ともかく母は偉大です。
若い時でも年をとっても元気な時も病んでいる時でも、母の偉大さは変わりません。
学校や仕事で少しはなれることがあっても、母さんは自分に気持ちを向けてくれていることを疑いません。
子達は母がどこでどうしているかをどこかで気にとめています。
不思議です。
母が死んで、今この世にいなくてもそれは続きます。
それは母と子を結ぶ絆が不変だからです。
細いけれども強い絆です。
絆をひっぱると母が「なーに」と云ってくれる、その絆です。
私達の信仰はイエスを地上にもたらしたマリアを自分の母と思える恵みを与えてくれます。
別に母依存(マザコン)ではありません。
極自然にマリアを母と云える恵みなのです。
これは単なる思いこみや幻想ではありません。
結びつきを確認する恵みなのです。
その母マリアは今、神様のみもとにいます。
だから安心なのです。
手を出して私共を受けとめて下さる母が神様のそばにいらっしゃる。
これ程の安心があるでしょうか。
「母は神のそばにいます。だからじたばたしません。いつもやすらかです。」
今日はそれを確認し、心から喜ぶ日です。
聖母被昇天おめでとうございます。