セバスチャン 西川 哲彌
はじめて上野教会にいらっしゃった方を聖堂に案内し、一緒に祈ったり、中を見て頂いたあとで「何が印象的でしたか」と尋ねることにしています。
だいたいの方が、祭壇と聖櫃のこと、あるいは祭壇の真上にある三つの丸い照明のことをおっしゃいます。
床に敷きつめられている赤い絨緞がすばらしいですねとおっしゃる方もいます。
さらに、他にはどんな所が印象にのこりましたかと尋ねると、壁一面に巡らされた十字架の道行とかマリア様と聖ベルナッデッタ様のルルドをあげられます。
たまに、どなたが作られたのですかと聴く方がいらっしゃると松谷謙司さんのことを話します。
その松谷さんが6月17日、天の御父のもとに旅立たれたのです。
98才でした。
体調を崩して秋津のベトレヘムの園病院に入院されたのは、ひと月足らずで、それまではデイサービスに通いながらも創作意欲そのものは衰えることなく、生涯の作業場で あったアトリエに入る気力を見せておられたとのことです。
松谷さんが上野教会で十字架 の道行や、ルルドを彫っておられたのは44才頃でした。
松谷さんは普通の彫刻家ではありませんでした。
若い頃からちょっと絵を描いたり、いたずら程度に彫刻刀を持ったりしたくらいの人でした。
若い頃に出会ったパリ外国宣教会のフロジャク神父様に魅せられて、ささやかなお手伝いをしていた人だったのです。
それがひょんなことで大きなキリスト像を彫ることになったのです。
それは徳田教会の献堂式の半年前のことでした。
聖堂の建物はなんとかなることがわかっていたのに、内部に置くべき祭壇やキリスト像ができていないのです。
作る人もお金もありません。
「こまったなー」と頭をかかえておられたのです。
その姿を見ていて松谷さんは「神父様、私がやりましょうか」と言ってしまったというのです。
まさかそんなこと言うことは予想もしないことだったのです。
ただ神父様の困った姿を目の前にしてとんでもない言葉が口を突いて出たのでした。
それから半年、寝食を忘れてキリスト像に取り組みました。
その様子をみていたベタニア会のシスターが「松谷さんは教会が出来上がるときっと死んでしまうでしょう」とおっしゃって いたそうです。
そのキリスト像は今も徳田教会の聖堂の正面に架けられています。
その時から彫刻家松谷謙司がスタートしたのです。
36才のことです。
それ以来もうひたすら休むことなく彫り続けました。
展覧会に出すために女性裸像も彫りました。
それで賞も取られました。
しかし松谷さんの作品の大部分はキリスト像、マリア像、聖人像、十字架の道行、祭壇とその正面のレリーフ。
大は何メートルのものから小はロザリオの十字架まで、毎日毎日休むことも忘れて彫り続けたのです。
そのひとつが上野教会の作品です。
身体が弱く若い頃多くの病気をかかえ、いつ死んでもおかしくない人生だったそうです。
その身体で信じられない程の作品を生み出していかれたのです。
時間があれば迷うことなく作品に取り組み、蚕が生糸を吹き出すように湧いて来るイメージを型にされて行ったのです。
アトリエにはいくつも完成を待つ作品が並べられ少しずつ形になって行ったのです。
徳田教会やベタニア会から始まって上野教会、潮見教会、川越教会八王子教会、蒲田教会、那須のトラピスト修道院、ベタニア修道院、東星学院、光星学園、カトリック府中墓等々枚挙に暇(いとま)がありません。
上野教会の聖堂は、ルドールズ神父様の献身的な努力と、その努力に応えた日本とフランスの信徒の結晶です。
第二バチカン公会議の典礼改革を先取りしたような祭壇と三位一体を象徴する天上の照明、宣教の発展を絵にしたような五本の光線、ほかに類を見ない独特なレイアウトの聖堂に花を添えているのが松谷さんの作品です。
この作品群はずっと残り続け神様によって呼び集められキリスト様の神言に救われ生かされてゆく、上野教会の信徒と共に生きてゆくでしょう。
たゆまない学習と寸暇を惜しんで作品に向かわれた松谷先生、あなたのひたむきさと笑顔は、私にとってかけがえのない宝です。