ジュリア祭(第46回)

 

セバスチャン 西川 哲彌

習志野教会のHさんからお誘いを受けて久しぶりに神津島へ行って来ました。
「ジュリア祭」にです。
ほんとに久しぶりだったので島の風景に少しばかりとまどいを感じました。
港は整備され、大型客船がゆっくり無理なく碇泊出来るようになっており、役場をはじめ学校や公共施設の建物がどっしりとしたものに変わっていました。
ホテルや民宿もちゃんとした建物になっており道もほとんど舗装され、一ケ所ではありますが信号も設置されていました。
短い滞在のなかで、村役場の方が海岸をひとめぐりして下さいましたが何もなかった多幸湾に大きな船着場が作られ、赤崎には、素敵な遊歩道が巡らされ子供達が喜ぶような遊び場も設けられていました。
神津島は変わりました。
変わらないのはジュリア様を祭ったと伝えられている石塔です。
ジュリア祭だからという訳でなく、きれいに掃除され真っ白な砂が 敷かれ沢山の花が添えられています。
約50年前当時大島教会の主任司祭兼伊豆七島の司牧をされていた杉田栄次郎神父様が、その存在を知らされたのがそもそも「ジュリア祭」のはじまりでした。
それを歴史家の田村さんや当時本所教会の主任司祭だった下山正義神父様がジュリアの事を調べて神津島への道がひらかれたのです。
キリシタン禁教令にかかわらず信仰をすてないことに業を煮やした家康に遠島を命じられてジュリアの島暮らしが始まったことまでは歴史的にもはっきりしています。
その上、ひょんなことから、ジュリアが島暮らしの中で一番寂しかったことはミサに与ることが出来なかったことだという史料が発見され、神津島でジュリアを偲んでミサを捧げるというジュリア祭の骨子が定まったのです。
下山神父様の人望も手伝って年々巡礼者が増え、多い時は1千人近くになった年もあった程でした。
しかし、神父様が亡くなって(1996年)一時ジュリア祭も下火になって行きました。
これで終わりかと思われた時、本所教会出身の浦野雄二神父様が押されるように団長を引受けられ、ささやかながら火が燃え始めました。
団長という役はなんでもないようですが大役で、巡礼の興廃に関わる程のものです。
今年はそばで浦野団長の気遣いぶりを見せて頂きました。
素晴らしい団長ぶりです。
もう大丈夫です。
私は今回、久しぶりに参加しましたが、あわただしい巡礼旅行の中で、ジュリアに触れたような恵みを頂きました。
ジュリアというよりジュリア様というようになる程の恵みです。
400年の長きにわたって島の人達の心に住み続けたジュリア様。
聖人が私達に信仰のすばらしさと力を与えてくれる方であるなら、ジュリア様はもう立派な聖人です。
今まさに高山右近、北原怜子さん、チマッチ神父様、津和野の殉教者と列福列聖が根強く繰り広げられています。
それはそれですばらしい事ですが、ジュリア様が400年島の人達の心に生き、そして今私達にそのすばらしさがじんわりと伝って来ていることは、なんという恵みでしょう。
たまたま誘われて行ったにすぎないジュリア祭で私の信仰に小さな火が灯りました。
感謝です。

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