改めて「母」を想う

 

セバスチャン 西川 哲彌

気持ちはまだ四十、五十なのに、年令だけは七十才と言う高令者になってしまった。
私にとって七月八月は、ひとつの思いにつながれてゆきます。
それは戦争です。
その中でも私が生まれた十八年、そして十九年です。資源の乏しい日本が、武力で他国の資源を奪いながら米英列強相手に戦い挑むのですから、所詮、始める前から無理があったのです。
結果、三百万とも三百五十万とも云われる人命が失われました。
戦後七十年近くの年月を経ても、尊い命が失われた戦場とその時の様子は、貴重な映像と共に、語り継がれて私の脳裏に焼きつけられています。
若い人は十七才から年配者は四十才近くまで、藻屑のように命を落としてゆきました。
北はシベリアウラルから西はインドインパール、南はニューギニアパラオ群島、東はアリューシャン列島に至るまで。
戦後、国を挙げての遺骨収集への努力も、戦場の広さと土に帰ってしまっている現状に、ただ黙するだけでしょう。
残るのは、食べ物がない、飲む水がない中で命を終えた兵士、軍属住民の気持ちです。
追い詰められ死を直前にした人の気持ちを推し量ることは簡単ではありません。
しかし、追いつめられれば追いつめられる程、自分を全面的に支え庇う存在が浮かび上がって来ます。
その存在こそ、母なのです。
具体的に自分の母であることではないかも知れません。
母的な存在と云ってもいいでしょう。
自分を生み、乳を与え守り包んだ存在です。
私は、その母なる存在に聖母をおいてしまうのです。
聖母は、神の母であると同時に、私たちの母です。
いつも全ての命に眼を注ぎ心にかけ、取りなして下さる母です。
戦地で命を落とした一人一人のそばに母がいたことを信じ、非戦の誓いを新たにしたいと思います。

前の記事を見る うぐいす目次へ 次の記事を見る