「虐げられている者の」

 

セバスチャン 西川 哲彌

神の子であり世の救い主であるイエスが、エルサレムの神殿ではなくそこから40Km位はなれたベトレヘムの町の町はずれで生まれたことは、神様の鋭いメッセージです。
もちろん、ベトレヘムはダビデの町でありダビデの家系であったマリア様ヨゼフ様が人口調査の勅令に従ってゆかれたことは聖書にも詳しく書かれています。
町の中の旅館ではなく町はずれ、しかも家畜小屋の中でお生まれになったことは、二千年以上もたっている私達の胸をキュンとさせます。
旧約聖書のシラ書に次のような言葉があります。

「貧しいからといって主はえこひいきされないが、虐げられている者の祈りを聞きいれられる」(新共同訳聖書シラ書35章16節)

虐げられている者がどういう人であるかは、私達にはよく解りません。
しかし神様は解っておられます。
何故なら虐げられている者の叫びやうめきは直接神様に届くからです。
わざわざベトレヘムを誕生の地にお選びになられたことに神様の深い愛と配慮を感じます。
私達はひたすら虐げられている方々のそばで、何も出来ないながら寄り添うことは出来ます。
そのために、いつも神様がお選びになったベトレヘムに心をむけていなければなりません。
虐げられている方に光がもたらされるために、そのうめきを聞いてとまどいながらも何か出来ることを探すのが私達の生き方です。
改めて、ベトレヘムでのご降誕おめでとうございますと申し上げます。

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