被爆二世

 

セバスチャン 西川 哲彌

広島、長崎で投下された原子爆弾の放射能を浴びた方々から生まれた子達を「被爆二世」と呼んでいる。
やっと、「二世委員会」が発足し、10月3日に東京で初会合を持ったことが新聞で報じられました。
広島では、被爆したことを隠して語らないということがずっと続いていました。
被爆者がピカ(ピカドン=原爆)のことを語るようになったのは、語らなかったらピカそのものがなかったことになってしまうと当人が心底から感じるようになったからです。
言ったって何の益にもならないということがあったからです。
私自身の体験としてクラスの中に身内の方が被爆したという噂があっても、それを確かめるなんてとんでもないことでした。
新聞によると、被爆二世の方々は数十万人いるとのことです。
もちろん、自分の親が被爆者だと表明して原爆の恐ろしさを訴え続けて来た方が沢山いらっしゃいます。
沢山といっても、全体からすればごくわずかだと思います。
それだけに、正式に「二世委員会」が初めて交流会を持てたという記事は感銘的でした。
原爆でも原発でも、人間の能力ではどうすることも出来ない破壊的な放射能の元を生み出します。
それは、生命の根源に悪い影響をもたらし、人の口を封じてしまいます。
原爆が投下され、計り知れない災厄をもたらしたことさえ忘れ去られることを危惧し、リスクを顧みずに、語り継ぐことを決意した被爆二世の方々に心からエールを送りたいと思います。
「二世委員会」が会合を持つきっかけに福島第一原発の事故と、それを隠してさらに原発に頼ろうとする動きを新聞はあげていました。
最近、「放射能は怖くない」とか「上手に使えば安全なエネルギー源だ」とか事故前と同じ言葉が流されています。
「戦争を終結し、さらなる犠牲を押さえるために原爆使用はしかたなかった」という言い方と共通しています。
原爆がまき散らした放射能にどれだけの人が苦しんだことでしょう。
いや、今からも苦しんで行くのです。
このことを忘れてはなりません。

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