「藤が丘病院から」

 

セバスチャン 西川 哲彌

「話す」 「食べる」 この偉大なこと。
岩橋神父様が自分の口で言葉を発したというニュースは衝撃的でした。
先月のミサのお知らせタイムで、岩橋神父様のことをご報告したら、聖堂全体に「おー」という驚きの声が出ました。
言葉を発するだけではなく、今、一年近く開けていた喉(のど)の穴が塞がれて食事もとれるようになりました。
その食事も、はじめは、流動食のようなものを30分も40分もかけて入れていたのが、今は、普通食をご自分の口で味わって頂いています。
藤が丘病院に移ってからの回復は毎日毎日が驚きの連続で、今までためていた力が一気に花を咲かせたような感じがします。
昨年の12月28日、ほんとにちょっとした転倒で始まった肩から下のマヒは、約一年の闘病で、ついに、自分の口で話し、自分の口から食べるという奇跡的回復を得たのです。
神父様を直接、間接に支えたご家族の方々、絶え間なき祈りで支えた上野教会の信徒、浅草教会、本所教会をはじめ、全国的な規模で繰り広げられた祈りの輪。
神様はその祈りを汲んで下さったのだと思います。
それにしても、この「話す」「食べる」という何げないことが、これ程までに人間にとって大事なことであることを、岩橋神父様の闘病の一年がよくよく教えて下さいました。
よくよく分かっているつもりです。
しかし、それを身をもって教えて下さったことに今感謝しています。
あたり前のように使っている機能はあることさえ気付かないものです。
しかし、それを失って苦しんでいる神父様、それを回復するために死ぬ程の苦しみを味わられた神父様を想う時、与えられている恵みの大きさを今さらながら感じさせられるのです。
「それは預けているのです。それを使って仕えるために」と、主はささやいておられます。
岩橋淳一神父様のお見舞いに行って2011年9月24日土曜日、藤が丘病院にお見舞いに行った時、お話が出来るようになっていました。
まだ息つかいが苦しそうでしたが、岩橋神父様に皆様へ何か一言おしゃって頂けますかと、いきなりマイクを向けてお願いしましたところ

「声がちゃんと出るかどうか・・・・ 皆様こんにちは、岩橋です。いつもお祈り有難うございます。御心配をかけまして、こちらもよくなって頑張っております。どうぞお祈りのうちに一致して進める幸せを味あわせて下さい。以上です。」

急きょお願いしたにも関わらずヒューヒューしながらの御声でしたが、よどみなくお話して下さいました。
私も付き添いの方も感激で涙があふれてきました。
でも夜は人工呼吸器を着けているとの事でした。
録音しました岩橋神父様からのメッセージを25日の日曜日ミサ後のお知らせの時に皆様にきいて頂きました。(12月10日のお見舞いでは呼吸器も取れ、傷跡も目立たないようです。)

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