セバスチャン 西川 哲彌
新年度の司祭人事異動で私が主任司祭として任命を頂きました。
今まで通り浅草教会の主任司祭を務めながら上野教会の主任司祭もやりなさいという任命です。
岩橋神父様が事故によって司牧が出来なくなり急遽上野教会の責任者として任命を受けました。
1年間あいまいな立場でなんとか務めさせて頂きました。
来年度はどなたか神父様を派遣して頂きたいと云いました。
信徒の方々もそれを期待していたと思います。
しかし、現実は主任司祭として浅草教会と兼任しなさいという任命でした。
二つのあるいは三つの教会をいずれも主任司祭として兼任する事は東京教区のみならず、他の教区では決して珍しくありません。
司祭の減少にともなって仕方のない現象です。
ひとつの教会に一人の主任司祭を送るということは、できないことは、10年前から大司教様がおっしゃっておられます。
それが現実になりました。
禍い転じて福となすというキリスト様の教えに従って、大司教様の任命を両手を広げて受けとめたいと思います。
フロジャク神父様が戦後の混乱の中で生活も心も荒んでいる現実に応えて創立された教会です。
その後パリミッション会の宣教師によって宣教と司牧が進められて来ました。
その後、邦人司祭にバトンタッチされ教会の旅が続いて来ました。
途中でイエズス会中国センターを迎えての巾が広がって来ました。
又教会が22の宣教協力体に分けられ、グループで力を合わせて宣教を進めてゆこうという制度の中で上野・本所・浅草三教会の協力体制がとられました。
このたび、上野、浅草両教会の主任司祭の兼任の任命を受けた時、その裏に大司教様の意図が見て取られました。
協力体というのは司祭も信徒も協力して宣教にあたれということです。
今までの教会はひとつひとつの教会が独自性をもって栄えて来ました。
しかし、これからはそれぞれの教会の独自性、独立性を尊重しながらも、一緒にできることは一緒にするという作業を進めていかなければなりません。
これは意外とむつかしいです。
ひとつひとつの行事を合同ですることはなんとかやれても、小教区の壁をくずして二つをひとつにすることは、もっともっとむつかしいです。
しかし、これからはそれをやってゆかなければならないということです。
今の段階では1+1が2ではなくあくまで1にすぎないのですが、これからは1+1が2どころか3にも4にもしてゆくという答えなのです。
むつかしさは覚悟の上でそれを表してゆくことが、兼任の中味なのです。
明日の教会を作り、あとに続く若い方々の為にひとつひとつチャレンジしてゆきましょう。