一本の鉛筆

 

セバスチャン 西川 哲彌

台東九条の会の7月例会は、蔵前二丁目にある日本聖公会浅草聖ヨハネ教会で開かれました。
いつものことですが、その日は、6月に教会地階に開店した「カフェ・エクレシア」を会場にして歌う平和集会でした。
2枚の紙にコピーされた曲目は歌声喫茶で歌われていたような曲が大半でした。
「原爆を許すまじ」「若ものたち」「青い山脈」「長崎の鐘」「ふるさと」等。
それらを片っぱしから歌ってゆき、かなり乗った所でリクエストが出たのが「一本の鉛筆」でした。
この曲には、広島出身の私に少しばかり思い入れがあったので、とても嬉しいプレゼントでした。
「一本の鉛筆があれば、私はあなたへの愛を書く。「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」とあり、「一本の鉛筆があれば8月6日の朝と書く。一本の鉛筆があれば、人間のいのちと私は書く」でくくられます。
この歌は1977年の8月、人類最初の原子爆弾の被災地である広島で開催された第1回平和音楽祭で発表されました。
その時、音楽祭の実行委員長を務めた古賀政男のプロデュースで美空ひばりのために書き下ろされたものです。
松山善三が詞を書き佐藤勝が曲をつけ美空ひばりが歌いました。
詞の背景には、原爆の子の像のモデルになった佐々木禎子さんの平和への願いがあるのです。
ひばりは、この曲を歌うことに自分の反戦への思いをこめていたようで、亡くなる前年まで、楽屋で点滴を打ちながらも歌ったそうです。
平和音楽祭は1993年で幕を閉じるのですが、そこで歌われた楽曲の何曲かは、今も歌い継がれています。
中でも「一本の鉛筆」は反戦の意思を歌う感動の一作として今なお新鮮な思いを呼び起こし続けています。
何がなくてもいい。
一本の鉛筆と一枚のザラ紙さえあれば、「戦争はいやだ」と訴えることが出来る。
今年の平和旬間にそのことを改めて深く思いました。

台東九条の会

昨年の9月のある日「台東九条の会結成5周年記念講演会へのお誘い」という手紙を受け取りました。
私の名前が書いてあり、番号まで入っていました。
内容を読んでゆくと呼びかけ人代表者の中に下條裕章という名がありました。
蔵前にある浅草聖ヨハネ教会の司祭さんです。
日本聖公会の教会で、伊藤幸史神父様の友達です。
何で私の名がと思いましたが、ともかく誘われたのだから行ってみようと思って出席しました。
それが台東九条の会に入るキッカケになり、下條先生と話を交わすようになる始まりとなりました。
月に1回、聖ヨハネ教会を会場に会合がもたれ、学習会と情報交換が行われています。
2004年井上ひさしさんをはじめ9名の方が発起人となって始まった「九条の会」があっという間に全国に広まり、翌年は台東地区にも結成され、昨年5周年を迎えたとのことです。
呼びかけ人代表の中には、谷中の宗善寺の住職山名広隆さんもおられ、挨拶の中で再び戦争を起こしてはならないし、巻きこまれてもならない。
日本の平和、世界の平和を守るために憲法9条の精神を広めてゆこうと呼びかけられました。
月1回の会合は20名くらいの会員が集まり、そのときそのときのテーマを出して話し合います。
主婦、教師、自営業の方、地域の活動家、体にハンディを持っておられる方等色んな方がいらっしゃいます。
その中に神父である私も加わったという訳です。
憲法9条は戦争と武力の行使を、放棄を宣言しています。
そして武力の保持も交戦権も否定しています。
しかし、現実的には、すぐ隣の国で砲火が絶えていないし、憲法を改悪しようという動きも決して小さくありません。
その中にあって、9条の重要性がますます重大になっています。
9条は平和の灯火です。
この灯火を消してはならないと私は心から思っています。

西川 哲彌

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